小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

和食の源流:歴史ヒステリア

2014年12月05日 | 映画・テレビ批評
和食の源流:歴史ヒステリア
現役の頃には、食品に関わっていたので、随分と、色々、食品の歴史に関する本を読んだものである。とりわけ、岩波新書の「えびの話」、「バナナの話」や、鰹節。出汁の歴史、鮨や天ぷら、醤油、等、これを外国人にも分かりやすく、宴席などの時には、説明をしたものである。和食が、世界無形文化遺産に認定されたと云うことは、逆説的に考えてみれば、絶滅危険危惧種のようなもので、もう一度、その歴史を考え直してみる必要は、確かに、歴史ヒステリアに促されなくても、あるのかも知れない。平安時代から、鎌倉時代に掛けて、鰹節や昆布の出汁が開発されるまでは、食品の素材中心で、料理法というものも、創る側の技量も、確かに、発達していなかったのかも知れない。それが、道元禅師の云うところの食事の作法も、食事を作ること、食事をする事自体が、日常生活・作法の中での禅的な「悟り」であるという思想から、発展してくるとは、とりわけ、精進料理などは、がんもどきを例に挙げるまでもなく、素晴らしい、しかも、美味しい食品を生み出す元になっているとは、全く恐れ入ってしまう。しかも、食品というものは、江戸時代の醤油の発展ではないが、ある一定の商流というか、海路や物流網も、その伝播・普及を促進するきっかけになったことも、事実であろう。誠に、そう考えてみると、昆布も鰹節も、今日で云うところのイノシン酸、アミノ酸の「うまみの公式」みたいなものの大発見で、歴史的にみても、西洋で云うところの肉食の臭みを消すために、わざわざ、バスコダガマの印度航路の発見に由来する胡椒や香辛料の発見と海外貿易の隆盛にも、匹敵するほど、日本文化の中で、特筆されるものなのかも知れない。やがて、それが、武家の台頭に伴い、家臣団や客人のもてなしという形で、料理人という形で、専門化され、精進料理、懐石料理、更には、一汁三菜禅という形で、発展し、更には、茶の湯の席で今日された茶会膳へと、お茶や、茶器・食器・陶器・重箱などへと食文化ならず、精神文化にまで、或いは、日本人の様式、所作振る舞い、行動様式、考え方にまで、こうした和食の系譜が影響を及ぼしてきたかを考えると、実に興味深いことである。前浜の江戸前天ぷらや立ち食い鮨が、実は、江戸のファスト・フードであったことを外人に教えるのも、実に、面白いことではないだろうか?そんなところから、西洋の或いは、アジアの麺の歴史とか、ラーメンの歴史を議論するのも、実に興味深いことではないだろうか?和食の源流も元々は、スプーンを中華料理のように、昔は、使用していたというのも、面白いではないか?ひょっとして、箸置きやナイフ・フォークの比較歴史論や文化史などを、日本酒を飲みながら、或いは、ワインを飲みながら、語り合うのも、面白いかも知れない。「医食同源」、「食育」と言う言葉も、再考の余地がありそうである。今晩は、「いただきます」と「ごちそうさま」をきちんと合掌して、云って食事をしてみることにしよう!


「居酒屋、兆治」を観る:

2014年12月04日 | 映画・テレビ批評
「居酒屋、兆治」を観る:
高倉健の追悼映画と云うことであるが、随分と、懐かしい俳優陣が出ているものである。大原麗子、大滝秀治、佐藤慶、伊丹十三、田中邦衛、小林稔侍、武田鉄矢、平田満、加藤登紀子、左とん平、小松政夫、ちあきなおみ、とりわけ、ちあきなおみは、そのコミカルな演技が、逆に、その最愛の夫を喪って以後、芸能界から、プライバシーを完全に消し去ってしまったところは、まるで、高倉健が、同じように、その私生活を決して表に出さず、秘していたのにも通じるものがある。それ以上に、コミカルな役柄に、歌手との落差と、その役者としての将来性、可能性も、今にして思えば、垣間見えて、おおいに残念なことである。薄幸のヒロインを演じた大原麗子は、考えてみれば、この映画で演じた高倉健の元恋人役は、その後の彼女の私生活を考えると、なかなか、複雑な思いがする演技である。まるで、吹き飛ばされそうな、折れてしまいそうな、か細い役柄で、別の映画で共演した若い頃のいしだあゆみのようである、それにしても、兆治役の高倉は、心に傷ある、寡黙な、不器用な男役が、当たり役である。再会を果たすも、2人写った旧い写真を握りしめて死んでいる元恋人を見つける。残された3人の男達は、心の寂寞感は、如何ばかりなものであろう、この映画の中では、随分と兆治の友人や関係者は、病気等で、この世を去る。結局残された兆治の妻は、どんな思いで、あったのであろうか?人が人を思う心というものは、こういうものなのであろうか?「幸せの黄色いハンカチ」といい、この映画も、高倉の任侠路線以後の、或いは、俳優としての深みを増してゆく過程での一作品であろうか?遺作となってしまった「あなたへ」の降旗監督との自作も、期待していたのに、実に、残念なことである。まだ、この作品の頃の目つきは、まだ、任侠路線の怒りを何処かに含んだものであるが、マイルドになる初期段階のものであろう。

BS 美空ひばりサミットを観る:

2014年12月03日 | 映画・テレビ批評
BS 美空ひばりサミットを観る:
それ程、石原裕次郎も美空ひばりも、又、同時代に生きていたときには、好きな歌手ではなかった。理由は、何だったのであろうか?余りに、世間が評価する偉大な歌手だから、権威主義嫌いだったのか、それとも、唄の女王とか、エスタブリッシュメントに自然と嫌悪感があったのか、将又、親の世代にとっての同時代の青春を生きた歌手だったからだろうか?BSの録画ビデオでは、明らかに、既に、その歌手は、30代後半や40代半ば、或いは50代である。それにしても、こんなに、りんごに哀愁を乗せて、故郷の情景を描写出来、情感を込めて、日本語を、うまく歌える歌手は、稀有であることが、今日でも納得されようか?!。作詞家や作曲家冥利に尽きるとは、このことを云うのであろうか?歌手としては、栄光と名声と成功を入れても、あの有名な「悲しい酒」の一節を歌っていたときに、一筋、流した涙は、確かに、個人としての一女性の人生は、波瀾万丈であったことは、事実であろう。恋歌に情感込めて、これを、ひとつの人生へと昇華させてしまい、曲を聴く観客の心をも、自分の世界を通して、魅了してしまう能力は、歌手という職業が、大変な社会的な役割を担っていることを意味しているのかも知れない。当時は、メッセージ・ソングとか、何とかと、難しい小うるさいジャンルなどはなくて、十把一絡げに、「演歌」とか、「歌謡曲」とかで、呼ばれていたのかも知れないが、今や、絶滅危惧種に近い存在になりつつある。ジャズのメロディーも、英語が分からなくても(?)この歌手にかかると、別物になってしまうのであろうか?10代での「A列車で行こう」等は、今日、聴いても、なかなかなものである。それにしても、初めて聞くような歌も、改めて、おおいに宜しいではないか?カラオケなどで、自分で歌う唄と、どうしても、うまく歌えなくて、明らかに、「聴く曲」というモノもあるらしい。プロの歌手が言うのであるから、そういうものなのかも知れない。成る程、「みだれ髪」では、同時録音による作詞家や作曲家との真剣勝負や、流石の船村徹も形無しである。そして、「函館山から」、小椋佳による「ある女の詩」では、もはや、歌手と云うよりも俳優の如く、人生模様を幅広い音程と独特な仕草で演じる福音の使徒か、メッセンジャーのような役割を演じる何ものかであろうか、8月6日の原爆を想起させる「一本の鉛筆」や、そのカップリング曲の「八月五日の夜だった」、島倉千代子による「越後獅子の唄」、はるみによる「津軽のふるさと」、等々も、実に、聴くべき曲としては宜しいではないか、「愛燦燦」とか、「川の流れのように」で、締めくくられるのであろうか。歌手という職業は、ある種、俳優でもそうであるのかも知れないが、仮想の世界を構築して、その中で、その聴衆に、人生を想い描かせたり、タイムスリップさせたり、喜びも哀しみも一緒に、共感したり、互いに、慰めたり、或いは、逆に、慰められたりしながら、時代と共に、歩んでゆくものなのかも知れない。生前録音された歌でも、その死後、初めて聴いても、感動を覚えるのは、その唄の有する、或いは、作曲家、作詞家、そして、最終的には、歌手の大いなる力のなせる技なのであることが、改めて、再認識される。


奨学金支援を憂う:

2014年12月02日 | 社会戯評
奨学金支援を憂う:
根幹である教育の機会均等という幻想すら、もはや、崩れ去ってしまったのであろうか?学校でもスポーツでも、貧乏やハングリーだけでは、もはや、一流にはなれないのが、現実なのであろうか?返済しなければならないという条件を有する奨学金制度というものも、誠に、不可思議な制度である。少なくとも、ある一定程度の収入を得られなければ、返済は免除するとかという特別ルールでも設けない限り、初めからハンデを背負っている人間を救済することは出来ないのではないだろうか?我々の世代は、子供の頃を振り返ってみると、みんな、一律に、貧乏であったような気がする。それでも、学歴のない親の世代は、一生懸命になって働きながら、勉学の機会を子供達に与えてくれたような気がしてならない。或る者は、炭鉱の会社員、又、或る者は、製鉄会社員とか、あまり、一流企業の大会社の重役のお坊ちゃまやお嬢様がいるとも思えなかったが、、、、、、。もっとも、今にして思えば、そう言えば、あの有名会社の重役だったのではないかくらいの記憶は、お手伝いさんとおやつにいつも出されたプリンを想い出す度に、そうだったのかも知れないと思われるが、、、、、大半が、貧乏家庭であったが、学習意欲と成績は、不思議と良かったような気がする。確かに、大学時代の友人の何人かは、奨学金を貰っていたものであるが、、、、。我が家系でも、母方の叔父は、いつも、「貧乏人の家庭のほうが、何で、出来が良いのか?」等と、当時は、平然と、正月の年賀の時に、居並ぶ親戚・親族一同を前にして、はげ頭が、酒を飲みながら、大声で言っていたのを、子供心に、想い起こす。しかしながら、どうやら、今日では、そうでもないらしい。教育の機会均等も、金次第になってしまったのであろうか?もっとも、もはや、今日では、一流と呼ばれる大学に入ってからでも、人生そのものが保証されるわけでもなく、その幻想だけは、どこかに、しっかりと、根付いてしまっているのであろうか?幼児の頃から、有名幼稚園などに、通わせる人間の心理は、全く、理解しかねるが、もっとも、水泳やテニスやフィギアスケート等は、子供の頃から、一家揃って、海外留学ならぬ、海外移住をする傾向が多いような気がしないでもないが、大変な時代になったものである。教育というものは、ある種の再生産可能資源のようなもので、長期的な観点から、ある種のレベルが、落ちないように、或いは、もっと、向上するような仕組みが確立されなければならない。本田宗一郎や井深大らが、設立した交通遺児支援の「あしながおじさん」の基金ではないが、そんな浄財と公的な資金とのコンビネーションでもなければ、うまく機能しないのではないだろうか?最低限度の「教育の機会均等」の条件は、一種のセーフティー・ネットとして、何らかの形で、担保されなければならないであろう。それは、憲法によって保証されたものと考えるのではなく、それ以前のものであると考えるべきであろう。

金融資産統計に思う:

2014年12月01日 | 社会戯評
金融資産統計に思う:
株や債券、預貯金を保有しない世帯(2人以上)が、今や、3分の1にものぼり、更には、1人の世帯では、それを上回る数字であると野村證券が報じていると。もっとも、1億円以上の資産を有する富裕層は、55世帯に1世帯であるらしいが、、、、、、、、、。まぁ、アベノミクスで、株や債券の価値が、やっと、回復してきたから、こちらの方は、頷けなくはないが、それにしても、資産なしの数字のほうが、空恐ろしい限りである。一体全体、日本の中間層は、何処へ行ってしまったのであろうか?没落して、或いは、消滅寸前なのであろうか?非正規雇用労働者の採用の増加に伴って、こうした数字が、現実味を増してきたのであろうか?それとも、長い間続いたデフレの影響の下、なけなしの少ない利益は、大会社の内部留保へと流れていって、名目賃金も実質賃金も、両方とも上がらず、貯蓄に廻すだけの余裕も、ローンの支払いに追われて、生活が苦しくなってしまったせいなのか?日本の得意とするところだった「中流・中間層」が、やせ細ってしまったことを意味するのであろうか?これでは、「老後破産」とか、「老後漂流」と言う言葉も、まんざら、非現実的な事ではなさそうである。ましてや、「貧乏女子」やら、「若年貧困層」と言う言葉も、他人事でもなさそうである。中国や韓国での富の格差とかを、云々する前に、テメェの国の足許をしっかりと見直さない限り、とんでもないことになってしまいそうである。いくらでも、選挙の争点は、ありそうである。先日、年に一度の昔のサラリーマン時代の会社の忘年会に出席したが、皆、子供世代や、孫の世代の行く末を案じる声ばかりであった。流石に、自分を案じるのは、健康不安ばかりで、こちらの世代は、大変、恵まれている世代なのであろうか?40年ぶりに、昔の同じ机を並べた女子達、といっても、今や、オバさん世代やおバアさん世代になってしまったが、、、、、、、。と再会したが、同じ事を皆、異口同音に言っていた。小平の「先に、金持ちになる人間が富を分け与えれば良い」的な発言を一笑に伏すのは、簡単であるが、今や、日本社会も、他国を笑えない事態に、なりつつあるのであろうか?これが、現実ならば、本当に困った事態である。