昨日の5月晴れと変わって、今朝はどんよりした雲行き。昨日苫小牧入りした「2009年国民平和大行進」は午後には白老に引き継がれます。5/8に礼文島を出発した全国縦断幹線コースの通し平和行進者 五十嵐成臣さんと16日にえりもをスタートした北海道内コース(えりもコース)通し平和行進者 山崎 忠明さんがそろって合流しまし た。合流会・激励集会となった勤医協苫小牧病院でお二人とお会いして名刺交換を行いました。(添付写真:右上)
全国縦断幹線コース(礼文島→東京)の五十嵐さんは高校1年生(15歳)のときに東京で初めて平和大行進に参加。以来50年間、毎年参加しながら「核兵器廃絶を訴えて」きましたが、「自分の人生にとって50年という節目の年だけに、2月に自ら行進者として応募。選考されるか判らなかったが、決まったのは5月に入ってから。この間、あのオバマ大統領のプラハ発言(核兵器廃絶・・・)を聞いて、自分が50年間歩いていたことは間違っていなかった、と確信した」との発言に感動しました。山崎さんは、「オバマ大統領の発言は歴代の米大統領として歴史あるもの。もちろん敬意を表するが、大事なのはこれまで積み重ねていた『核兵器を廃絶しよう』という草の根の運動と署名が実ったもの。ようやく、核兵器廃絶の扉のノブに手が差し掛かった」と今後の運動に大きな意義があることを強調されました。
今年で52回目を迎えた国民平和大行進。2年前の苫小牧集会で苫小牧原水協の岡昇元理事長が「20世紀は核の時代であった。21世紀には核のない時代を必ず作ろう。世界から核兵器ゼロをめざして」との挨拶を思い出しました。歴史は、急激に動いていることは平和運動にも現れています。
平日の午後の時間帯にもかかわらず、12団体43人の市民・団体が集まって「苫小牧集会」が開催され、若草中央公園から「王子通り」→「駅前(シンボルストーリート)」→国道36 号線→若草公園と約45分間歩きました。(添付写真:左下)
被爆国日本で核兵器廃絶への国民的世論をつくりだし、来年5月に開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議(ニューヨーク)のなかで国連総会の場で核兵器禁止・廃絶を優先課題とすること、核保有国の論理「核抑止力論」(核を持つことで相手国に脅威を与える)、「核の傘」(核保有国によって守って貰う=対米従属の日本の姿勢)をやめること-です。そのために「核兵器のない世界」署名を日本の人口1億2千万人の1割にあたる1.200万筆を集めようと取り組んでいます。
夜、親しい友人と会話が弾み、元気を貰いました。「1歩1歩の積み重ね」、「(自分が生きている間に)実現出来るのだろうか」など様々な思いが平和大行進に刻まれ引き継がれています。私も過去3回(広島・長崎)原水爆禁止世界大会に参加し、平和大行進も22歳から参加。33年目の運動の継続に確信を持ちました。