今日は暦では“立春”ですが、10年ぶりに“寒波”が襲ってきました。朝のウォークも途中でやめたい位の寒さでした。
雪解けの春を待ち望んでいた大先輩が昨日亡くなりました。心からお悔やみ申し上げます。
大先輩からの年始状に「暮れには色々と応援ありがとうございました。仕事は手早く気持ちはおおらかに生きたいがもう無理かな?」と追伸が書きこまれていました。昨年の暮れ(12/30)に年末の挨拶で訪問したとき、いつもなら投函済みの年賀状が机の上に山積みされていて、「どうしたんですか?」と伺うと、一筆一筆書き込みしたいのだか、「何を書いたらいいのか・・・」と悩んでいました。「体調でも悪いのですか?」と聞いても返ってくる言葉は「もう、年だから・・・」のひと言。私の顔を見ながら笑顔で「貴方の分は、もう書いたので間違いなく届くから」と冗談も言っていたのに、今年の賀状が最後となりました。改めて賀状を読み返すといつもと違うスタイル。弟妹全員と一緒に旅行した時の笑顔のワンショットが真ん中に写っていました。「・・・もう無理かな?」とは、自分の体調を知っていたのか?と考えさせられました。
私は、●●先生と言っていますが、恩師ではありません。私にとっては平和運動などでいつも一緒に行動し、どのようにして幅広い運動を起こしていったらいいのかいつも議論し、指導して頂いた大先輩です。最初の出会いは“平和。民主主義、革新統一をめざす苫小牧懇話会”の事務局を担当したときです。真面目で一本気なところがあって、時にはぶつかりながら3時間も議論した事もありました。その時の顔は真剣そのもの。人生のなかで一番輝いていた時期ではなかったのか、と推測します。
そして憲法九条を守るために“苫小牧九条の会”を発足し、初代事務局長となりました。常に前向き思考で、多くの方から信頼されていた先生でした。
「もし、何かあったらあんたにすべてを託すから!」と言われていましたが、その恩返しとして葬儀委員長を引き受けました。
時代に乗り遅れないように、とパソコンを購入し、いつでもニュースを作れるようにと“パソコン教室に通っていた”のが5年前でした。(パソコンが)起動しなくなると、「時間があったらチョット寄ってくれない」と頼られたことを思い出します。直近の平均寿命が83歳と世界一の長寿国と言われています。常に社会進歩をめざして生きて来た方だけに、享年80歳で悔いのない人生を送ったものと思います。その意志を継承するために私は頑張りたい、と思います。