昨夜は勤医協苫小牧病院の開院(1981年4月16日)から30年が経過したことを受け、開院30周年祝賀会(第31回友の会・春のつどい)が開催され来賓として参加しました。
会場の受付には、時間前から人の列。毎年行っている“友の会・春のつどい”とは ひと味違って、節目の祝賀会ということもあり300人以上が参加し大盛況でした。同病院に勤務していた職員(退職OBも含め)など全道から多くの同僚・仲間が出席していました。(再会出来て楽しかったです)
節目の祝賀会でしたが、歴代市長として初めて、岩倉博文市長が忙しいなか激励に駆けつけてくれて、「・・・30年間の時代の変化は激しく、ここに至るまでは大変なご苦労があつたと拝察・・・『何よりも健康で暮らしたいと願う人々の思いに心を寄せる』という貴院の基本理念に賛同する多くの市民の支持があったればこそ、今日を迎えたことに感謝と敬意を申し上げます」と来賓を代表して祝辞を述べました。私も、20年前まで元職員という立場からテーブルスピーチをさせていただきました。24年前の33歳のとき、勤医協総合病院札幌病院(入院管理課課長)から転勤。いっせい地方選挙が終わった年でした。勤医協での15年間のなかで、特に、労働組合運動、医療経営や地域医療づくりは大変勉強になりました。1980年代は臨調・行革路線のなかで医療改悪が続き、「お金のない人は医療にかかれない」という状況を作り出しました。慢性疾患(高血圧、糖尿病など)があっても、クスリを間引きして我慢していた方。孫の貯金箱から400円を借りて受診していたおばぁちゃん。経済的理由などで中断する方が増えた時代でした。(今も同じですが!)患者訪問をすると「仕事が忙しく受診出来ない」などの相談を受けて、職場で議論を繰り返し、「働く人たちの医療機関なんだから夜間診療を実施しよう!月に1回は日曜特診を!」と取り組みました。無差別・平等の医療はこうした地域からの声、運動によってつくられ守られ、発展してきたと思います。そして、いまの無料・低額診療制度に生かされています。ひとつの小さな民間病院でも、その取り組みの姿勢によっては、行政にも大きな変化を作り出すことが出来ます。
大震災後、同病院からは医療派遣が続けられています。単なる、節目の祝賀会ではなく、より市民の暮らし、福祉を守る砦として、まちづくりにも寄与する医療機関として発展することを私も期待しています。
9月には、作家で「9条の会」の呼びかけ人の一人でもある“澤地久枝”さんの「30周年記念 市民講演会」(市民会館大ホール)が企画されています。今から楽しみです。