19年前の夏(H5.7.12:午後10時17分)に発生した「北海道南西沖地震」(M7.8:震度6強)の“津波”で壊滅的な被害を受け、その後完全復興を成し遂げた“奥尻町”を視察(5/14~16)してきました。瀬棚町から奥尻町へ、そして奥尻町から江差町への航路で行ってきました。
色々と“書き込みしたい”事項がありますが、「何故、今なのか。もっと早くに現地の復興と防災対策を学ぶべきでした」と反省しながら、今日から数回にわたり奥尻町の視察レポートを書き込みます。
偶然が2度も起きました。1度目は奥尻町の“なべつる岩”に立ち寄ったところ、東日本大 震災の影響で今年の春に行われた宮城県議選で議席を倍増して躍進した日本共産党宮城県議団(4人)とお会いしたことです。被災地復興に向けて“奥尻町”に勉強に来ていました。
2度目の偶然は、今朝のこと。宿泊していた江差町のホテルで日本共産党道政策委員長の“はたやま和也”さんとの出会いでした。昨日から同じホテルに宿泊していたのです。「これから、地元で地域演説会があって・・・」と日本共産党の小野寺 真町議がホテルまで迎えに来たので久々にお会いすることが出来ました。
こうした2度の偶然を同行していた田村雄二議長から「渡辺議員の党の方々はみんな頑張っているネ。どこに行っても会うということは、それだけ一生懸命(国民のために)活動しているということ・・・」と感心していました。
30数年ぶりの長時間の船旅(青函連絡船)の影響でしようか?“めまい”のような状態が続いています。船酔いでしょうか?
明日は震災廃棄物(がれき)に関わって岩倉博文市長に申し入れを行いますので、今晩は早めに就眠につきます。
視察の具体的な内容は後日に報告します。