今夕、友人から“訃報”のメールが届きました。友人宅の向かいに住んでいる方で、私の母と同じ“名前”だったので良く覚えています。私が(ご自宅の近くで)演説をすると必ず外に出て最後まで聞いてくれた方です。演説後に駆け寄ると私の手を力強く握ってくれて、「こんな年寄りだけど、貴方のように“はっきり”物を言う方が議会には必要なんだから頑張りなさい!」と励ましてくれました。寒かっただけに、(手の)“温もり”はしっかり覚えています。遅いので、明朝にご自宅にお参りしてきます。
麻生太郎副総理兼財務相の高齢者の終末期医療に関わっての発言報道を読んで怒り心頭です。「さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろんなことを考えないといけない」と自身のことを例えて言ったとしても、高齢者医療費について、「政府のお金でやってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い」と本音で言ったとしか考えられません。あとで訂正しても言ったことは覆すことはできないのです。
麻生副総理の発言に似たような事を言った故人となった国会議員を思い出しました。いまから30年前、私が勤医協病院に働いていた時です。後に、通産大臣になった(故)渡辺美智雄代議士の語録です。
老人医療費の無料化に関わって、「お年寄りへの医療費は“枯れ木”に水を差すようなもの、早く死んでいただくと大蔵省は助かるんです」(1983年11月23日福井県)とか、「乳牛は乳が出なくなったら“と殺場”へ送られる。豚は8ヶ月経ったら殺す。人間も働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率が良い」(1983年11月24日東京)と発言したことが新聞報道されましたが、これは失言ではなく“本音?”のようでした。
この発言が端に発して、「病院はお年寄りのサロンの場」とか、「サミット袋にクスリが一杯・・・」など医療費の無料化によって国の財政が壊れる“医療費亡国論”が展開され、国会で一部有料化がごり押しされました。
税と社会保障の一体化改革を進めていますが、30年前と同じようなことを政権党の幹部から発言されているのは要注意です。
これまでの医療費の改悪のプロセスを見ると、まず“高齢者いじめ”をして“国民健康保険加入者”、そして“働く世代の健康保険”制度を改悪してきました。国民のなかに“分断”政策を持ち込み対立させるのです。
高齢者と国民健康保険との負担割合とか、国民健康保険と健康保険の負担割合の差に“不公平”感を持ち込み、“公平”にするためには、「みんな同じ負担にする」と解決するかのように・・・。
生活保護費と最低賃金との差を問題にしています。この世論誘導で生活保護基準を最低賃金に合わせようとしています。騙されてはいけません。ここをしっかり見る目を持ちましょう!