2本立てのもう1本がこの「パッチギ」
こっちが観たかったんですよ。
「パッチギ(박치기)」とは頭突きの事。
1968年京都。
高校生の康介と朝鮮学校の生徒達が繰り広げる青春グラフティー。
一言で言うと簡単だけど、これがめちゃめちゃ良かったー!
朝鮮半島の悲しみを歌った「イムジン河」のメロディーがバックに流れ、
康介と、康介が一目ぼれした朝鮮学校の女生徒キョンジャ、
キョンジャの兄のアンソン、アンソンの舎弟達が、
日本と朝鮮に横たわる溝、朝鮮の南と北に横たわる溝を感じながら、
若く有り余る力を、喧嘩と恋に注いでいく。
写真のシーンは一番ジーンと来たシーン。
朝鮮に帰ると言うアンソンの送別会で、康介とキョンジャがイムジン河を合奏する所です。
イムジン河の歌詞を考えながら観ていると、泣けてきて泣けてきて仕方ありませんでした。
当時は発売禁止になった曲らしいのですが、
南北の分断は朝鮮半島だけではなく、日本に連れて来られた在日一世、二世達の問題でもあったと言う事なのでしょう。
イムジン河で分断されてしまった祖国。
河の向こうに足を踏み入れる事も出来ず、
河の向こうにいる愛する人々と会う事も出来ず、
出来る事と言えば、河を挟んで泣く事だけだったのでしょう。
今現在も、北朝鮮の問題は山積みで、朝鮮半島の悲しみも癒されていません。
~~♪ かなしくてかなしくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか ♪~~
イムジン河を歌ったフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の
「悲しくてやりきれない」の一説ですが、
どんなに悲しくても、どんなにやるせなくても
人間はそれを抱えて生きていかなければなりません。
明日、必死で生きていく為に、
今日、必死で生きるのでしょう。
人間の愚かさを、井筒監督は愛一杯に描いていました。
この映画のどのシーンを観ても、井筒監督の愛を感じました。
この前の日本アカデミー賞で、この映画が作品賞も監督賞も取れなかったなんて!
日本映画界には目の開いている人が居ないのでしょうね。
たくさんの人に観てもらいたい映画、何度も何度も観たい映画です。
今の所、今年のベスト1ですね。
こっちが観たかったんですよ。
「パッチギ(박치기)」とは頭突きの事。
1968年京都。
高校生の康介と朝鮮学校の生徒達が繰り広げる青春グラフティー。
一言で言うと簡単だけど、これがめちゃめちゃ良かったー!
朝鮮半島の悲しみを歌った「イムジン河」のメロディーがバックに流れ、
康介と、康介が一目ぼれした朝鮮学校の女生徒キョンジャ、
キョンジャの兄のアンソン、アンソンの舎弟達が、
日本と朝鮮に横たわる溝、朝鮮の南と北に横たわる溝を感じながら、
若く有り余る力を、喧嘩と恋に注いでいく。
写真のシーンは一番ジーンと来たシーン。
朝鮮に帰ると言うアンソンの送別会で、康介とキョンジャがイムジン河を合奏する所です。
イムジン河の歌詞を考えながら観ていると、泣けてきて泣けてきて仕方ありませんでした。
当時は発売禁止になった曲らしいのですが、
南北の分断は朝鮮半島だけではなく、日本に連れて来られた在日一世、二世達の問題でもあったと言う事なのでしょう。
イムジン河で分断されてしまった祖国。
河の向こうに足を踏み入れる事も出来ず、
河の向こうにいる愛する人々と会う事も出来ず、
出来る事と言えば、河を挟んで泣く事だけだったのでしょう。
今現在も、北朝鮮の問題は山積みで、朝鮮半島の悲しみも癒されていません。
~~♪ かなしくてかなしくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか ♪~~
イムジン河を歌ったフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の
「悲しくてやりきれない」の一説ですが、
どんなに悲しくても、どんなにやるせなくても
人間はそれを抱えて生きていかなければなりません。
明日、必死で生きていく為に、
今日、必死で生きるのでしょう。
人間の愚かさを、井筒監督は愛一杯に描いていました。
この映画のどのシーンを観ても、井筒監督の愛を感じました。
この前の日本アカデミー賞で、この映画が作品賞も監督賞も取れなかったなんて!
日本映画界には目の開いている人が居ないのでしょうね。
たくさんの人に観てもらいたい映画、何度も何度も観たい映画です。
今の所、今年のベスト1ですね。