長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

放チョウ大作戦

2025年03月14日 22時20分08秒 | 折々の情景
 これはいかん…
 羽化二日目、お食事の支度もどうにか調って、気がつけば彼の者は、気ままに当家の居住空間を飛び廻り、什器のあちこちに安らい、すっかり居続けの態であった。
 指をひょいと脚先に出すと、私の手に移ってくるほどに慣れてきたのだ。
 これでは手乗り文鳥ならぬ手乗り鳳蝶ではなかろうか…

 一昨年、国書刊行会の創業50周年フェアで『蝶を飼う男』という外国文学を入手した私は、しかし読む間がなく積読のまま放置していたが、もとより、蝶をペットにするつもりもなかった。
 小学何年生だったか忘れた…ある時とても手乗り文鳥が欲しくなり…そのとき既に我が家には犬、猫、金魚、カエルなどが居たのだが、なんとか親を説得して、鳥を飼ってもよいという許可を得た。『ペットの飼い方』というハウツー本を読み込んでいたので、大概の動物の飼い方は心得たつもりになっていた。親鳥を飼い、生まれた雛を手懐ければ、私も夢の手乗り文鳥持ちになれるのだった。

 …しかし、息せき切って小鳥屋さんへ駆けつけた私は、店頭に置かれていた、真っ白で嘴だけが紅いことりの番いに目と心を奪われ、文鳥ではなくその錦華鳥…キンカチョウという鳥を買ってしまった…お店の方がキンカチョウは托卵しない鳥だけど、いいですか?と親切に説明して下さり、母にも念を押されたが、私はどうしてもその白い鳥が欲しくなってしまったのだった。当初の目的の事はままよ、白くて嘴の紅い、あの美しい鳥が手に入るのだ…という悦びの前に手乗り文鳥計画は無力だった。
 結局、自分の指先に小鳥をとまらせて愛玩するという夢は、もろくも崩れた。

 …そんな目先の情動に惑わされがちな自分の性癖を分かっているものだから、生き物の生き死にに関わる立場には決してなるまい…と決めて、小学生以来、ペットを飼うことは無かった。第一、自分の世話さえまともに出来ない私である。



 蝶や、蝶や、汝を如何にせん…
 彼の身の振り方を二日目の晩に考えた。
 ふと、ある夏の夕立の時間帯に羽化して、ベランダに居残っていた一頭がレモンの葉の上で風乗りサーフィンに興じていたことを想い出した。蝶は風に吹かれているのが好きなのである。
 そこで、頂き物のチョコレートの白いリボンにとまったのを、ブランコのようにぶらぶら揺らしてみた。
 どうやら彼もその遊びが気に入ったらしく、じっとしている。



 このまま室内に居ることに慣れてしまっては、自然に帰れなくなる。しかし、外気温が10℃に満たないこの季節に、昆虫を外に出すのは死地に赴かせることに変わりない。
 どこぞの温室で、早生まれのアゲハチョウを引き取ってもらえるところは無いものか知らん……
 それにつけても、還暦過ぎて蝶一匹養う温室の一つも無いとは…甲斐性なしの自分ではある。
 井の頭動物園にもかつては温室が在って、熱帯植物の生い茂る常夏の庭に蝶が飛び交う夢のような空間が存在していた。
 昭和の終わりのバブルの頃、八景島パラダイスに蝶が棲む巨大な温室が出来たことがあった。私にはあこがれの世界で一度行きたいと、新聞記事を切り抜いて持っていたのだが、それも見果てぬ夢のまま、その施設もいつの間にか無くなってしまった。

 ……温室が無ければ、温暖な土地に連れて行ってあげればいいじゃない、と、異次元のマリー・アントワネットが囁く。

 それだ。遠出は時間的に難しいが、関東近県で温暖な土地を探せばよいのだ。
 幸い、当家のレモンアゲハは並揚羽という種族のアゲハチョウであるから、本州に於いて棲息地帯に縛りはないのである。
 思いつく地名に"気温"という言葉を添えて、Google先生のワード検索にかける。
 何という便利なインターネット社会になったものでしょう、今後一週間の天気と最高気温、最低気温の予報が我がたなごころの上に展開する。
 
 

 三日目の昼近く、火災報知機のコードにとまっていた蝶を、彼の寝床である白いリボンで釣り上げて、そのまま、お弁当とともに引き出し式の小函に収めた。
 何かしら感じるところがあるのか、ずいぶんと大人しい。
 お引越し先は、伊豆半島の南端。黒潮の影響で一年を通して温暖で、何より最低気温が10℃前後。凍死の心配もない。

 天城を超え、夕刻、下田についたが、曇り空からの雨が本降りになっていた。
 その日の放蝶は断念して、街なかの花屋で若さまのお食事の手配を。



 …出来ますものは、プリムラ、キンセンカの二種盛り、白菜の菜の花、家より持参のガーベラのようなもの、でございます。
 四日目の朝も雨模様だったが、天気を待って旅程を延ばすことも出来ず、小止みの間に宿を出立した。



 思いがけず菜の花が気に入った様子で、リボンと共にふたたび移動用の箱男となる。
 花壇のような平坦地では雨を凌ぐのも難しいだろうから、丈のある菜の花畑はどうだろうかと、候補地をあれこれ思いめぐらす。
 南伊豆町の里山は、河津桜か桃かアンズか、眼にも心にも優しい景色が広がる。





 モンシロチョウほどには歓んでもらえないかも知れないけれど…嗜好に合うか気懸りながら、昨晩スーパーの野菜売り場で見つけた白菜の菜の花にとまっている彼を箱からそっと取り出し、本物の菜の花に移ってもらった。







 ここなら草間の蔭で雨宿りもでき、激しい海風に遭うこともなく、明日晴れたら、気ままに飛び立つこともできるだろう、と…

 自宅に戻って翌朝は夜明け前に目が覚めてしまった。
 蝶々は無事に過ごしているだろうか…
 西の地平に沈む間際の十三夜の月を見送る。



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ミモザと偽アカシア事件

2025年03月11日 22時20分23秒 | 近況
蜜源植物、という言葉があるそうなのですね。
日曜日は所用の掛け持ちで、蝶の食糧となるに相応しき品揃えのお花屋さんを閲するいとまもなく、稽古の合間に街なか駅近の生花店にて、留まり易い花托の広いものをと、小菊、ガーベラ、アネモネ、そして…ぉぉ、蜜源植物のアカシアがあるではないか! と、チョウが歓ぶ顔(判別できるかはまた別の話ですが)見たさに、取り急ぎ調えました。



しかし、お店では“アカシア”と札が出ていたけれど、どう見てもこれはミモザではなかろうか…
前日の3月8日は国際女性デーでミモザの日と呼ばれていると、日比谷花壇のメルマガにも書いてあったし…
第一、♪アカシアの雨に打たれて…の歌に出てくる華影はこんなじゃ無いし、実を言えばうちの椅子の座布団はアカシアの柄なんですけどね…藤とマメ科の花を足したような形をしているのだ。

一体どうしたことかと、有難きGoogle先生にお教えを乞いますれば…
手っ取り早く言えば、蜂蜜の蜜源植物であるアカシアは単なるアカシアではなくニセアカシアという種類だそうな。
そして、ほわほわの花が咲くミモザの別名が、房アカシア、銀葉アカシアなどと呼ばれるとの事。
都鳥とユリカモメのようなお話。
これにて一件落着。

さて、いち早く冬眠から覚めた当家のアゲハチョウの饗応係としては、賓客の食の加減が気に掛かり…
かの姫君(か若様かは不明)は、居間の天井近い壁紙に同化したまま、月曜日をお迎えに。
せっかく見事に羽化した彼には、せめてこの世に現れた至福というものを味わって頂きたいもので御座る……



困った時の頼もしい心あての花屋さんに、いざ。
早春の鉢物が溢れんばかりに揃って、再び一件落着の心地が致しました。
さて、本日の姫君の御膳は…桜草、マーガレットにフレンチラベンダー、四季咲き撫子、ストック、ネメシア(海蘭もどき)、ローダンセマム(朝霧小菊)の活け造りでございます。



宵っぱりのご気性なのか、室内灯の周りを舞い遊ぶ…





山種美術館所蔵の速水御舟の絵で見たような…まさに友禅作家が写した着物の柄のような形で翔ぶのでした。



花瓶から垂らしたリボンに留まって、月曜日はお休みになりました。
さて、これからどうしたものか…


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蝶屋敷、鳴動す。

2025年03月09日 23時53分45秒 | 近況
西暦2025年3月9日早朝。
迂闊なことに、居間の長椅子の蔭に終齢幼虫が露営(?)していたことを露とも知らず…
この一冬を、彼と共に過ごしていたのでした。
越冬サナギは、寒暖ではなく、昼夜の陽光の差によって季節を知り己が羽化する時を測るらしいのですが、よくまぁ、啓蟄を過ぎたとは言え、こんな季節に…

ともあれ、無事に羽化した蝶を室内に留めることも出来ないので、明るいベランダへの戸を少し開けて放って置きましたら、床に傾いで倒れております。
外気温3℃…瀕死の状態かも、と、指を差し出すと掴まってきたので、再び暖かい居間へ。



観葉植物の鉢の根方で水分補給をしたり、パタパタと自由に舞い遊んでおります。



片付け途中で積んである書誌の凸凹が居やすかったのか、しばしまどろむ本の角。
渡世のため私もそのまま彼を残して仕事に出掛けました。

※上から『没後50年 松野一夫展』図録 北九州市立美術館 2023
2冊目:繊月を見るたび、小学生の時読んだ『空に詩織の…』という漫画のタイトルが想い浮かぶのですが、題とその扉絵の記憶以外思い出せずにいたのが、この正月、迚も気になり始めて、思い付いてインターネットで調べましたところ、鈴木光明先生の掌編である事が判明。私がかつて手にした少女マンガ誌とは違う再編の雑誌でしたが、手頃な価格でしたので入手。50年の時を超えて再読。
3冊目:『古典図説』明治書院
4冊目〜:『季刊 落語』弘文出版 追悼・笑福亭松鶴、❜87新真打とその背景 …昭和の終わり頃、落語と寄席にハマり、当時住まいしていた近所の富士見通りの本屋さんに落語関連雑誌を取り寄せて頂いておりました。ご店主は三遊亭円丈師匠によく似た方でした。

さて、日も暮れて…急拵えではありますが、蝶のお食餌たるお土産を携え家路を急ぐ。



気に入ってくれたようで、ミモザの花房によじ登りジャングルジム様にして遊んでおりました。
はてさて、明日からどうしたものか…

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紅、ふたたび。

2024年12月14日 21時31分07秒 | 近況
 13日の金曜日なので、懸案のスイカを割ることにした。
 雪下の筍…にも等しい珍なる12月の西瓜をどうしたものか…と新たな懊悩の種におびえつつも、甘みが増すかも…と収穫したままの西瓜を天日に干していたらもののはずみで、スイカがころりんすってんてん…と転がって、ベランダの床に落ち、ひびが入ってしまった。
 こんなに可愛らしいものに包丁を入れるなんて…勿体なくて切れない…しかしこのまま西瓜のミイラにするのもしのびなく勿体ない…と無限のモッタイナイの応酬が、有難いことに決着したのである。
 これは天意であろう。

 ずいぶん遠い昔…小学生の頃とっていた学研の科学と学習誌の別冊読み物特集号で読んだのだったか…子どもが海岸で拾ってきた卵ぐらいの丸い石を大切に持っていたが、ある時、屋根に上って「この石は割られたがっているんだ!」と地面に放り投げたら、見事真っ二つに割れて、断面に化石が出現した…という、とある学者先生の短編のエピソードが、ふと、脳裡に蘇った。

 そうなのだ。スイカは割られたがっているのである。
 塩冶判官に遠慮して、やはりここは前日のうちに済ますべきであろう…と躊躇なく包丁で真っ二つ。



 驚いたことに、こんなに小さいのに普通の西瓜と遜色ない大きさの黒い種が出来ていた。
 もっとうらなりの瓜のように白々とした果肉を想定していたのだが、アニハカランヤ。



 まごうことなき西瓜の匂いがして、あの遠くもない灼熱地獄で仏…今夏の甘露のひと時がよみがえる。
 まな板にこぼれた露が甘い。



 国貞だったろうか…西瓜を賽の目に切って供した浮世絵がよぎったが、それほど果肉も無く、ごく普通に櫛切りに。



 手前のギンナンは半田稲荷へ参詣の折頂戴したもの。



 立派な種が八つ、穫れました。
 ふふふふふふ。

 さて、「割れた西瓜に紅を見た…」木枯し紋次郎のサブタイトルになりそうな、まだ暮れないでほしい…片づけに着手する間もなくお正月の支度も出来ないのに…という庵主の気持ちを酌んでか、最後の紅だと思っていた百日草が、またもや、赤い花を咲かせました。



 ちなみにこちらは、先日記事にいたしましたその後の最後の紅↓



 暮れてもなお咲き誇る(単に花柄を摘んでいない…園芸の先生に怒られそうなmy花園…)ジニアなのか、はたまた百八十日草なのか…手摺り際の百日草たち。


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スイカの収穫

2024年12月08日 16時18分39秒 | ベランダ実記
 自分でも訳の分からない状況なので、気を静めるために客観的作業である文章というものをしたためてみむ…と致しまするに、
 先程、うちのベランダで西瓜がとれました。



 きのうは二十四節気のうち大雪でありました。
 この秋口に突如、甘夏の棒苗を一株購入する成り行きになり(この顛末は後日…)、ちょうどよい鉢が無く、根方が土から少々はみだし、上方の根が空気に曝されたままになっておりましたのが、とても気に懸かっておりました…しかし、哀しいかな…季節労働者的演奏会&行事シーズンはshow must go on的に進みます…
 
 ふと、懸案事項の甘夏を植え替えなければ…と思い立ち、鉢を新たに買いに行っている暇がなければ、手持ちの鉢植えで代替できるものはないか…と、ロケットの損傷を積み荷内の別な器具や道具で修理し、乗組員を無事生還させたアポロ13の映画の1シーンが想い浮かんだのです。

 …そこで、実生3年目でありながら、若干大きめの鉢にて育成中のレモン苗(ゆりかご荘の一つ)と、鉢を交換しようと思い付きました。
 その作業は無事済んで……更に、実生のレモンの苗で、ふた粒が密接に生えて、想夫恋や玄宗皇帝と楊貴妃を詠った詩…連理の枝のように育っている鉢へ思いが及び、さてシャム双生児の手術を決断する時が来た…と掘り起こしてみましたら、根が別々に生えており無理なく分けることが出来ましたので、無事に空いていた小振りの植木鉢へ、おのおのを。
 …しかし、何という事、ここへ来て土が足りないことに気がつきました。

 ふたたびNASA地上スタッフの出番です。
 …そうだ、この9月、酔狂にスイカの種を植えてみたプランターに、今は枯れてしまったけれど、余分な土が、あったではないの…!!

 というわけで、ハスラーの手になる撞球の玉の如く、ほぼ奇跡的な顛末ながらもベランダの外界との際の、レモンの鉢の向こう側に捨て置かれておりましたプランターをよっこらしょ、と持ち上げてみましたところ、ゴトン…と、手摺りの向こう側で鈍い音がしました。
 一体何が…そんな錘のようなもの置いてあったのだろうか…鳥が何か運んできたのかしら…
 と、恐る恐る、レモンの向こう側を覗いてみましたら…丸い瓜のようなものが。





 夏も終わって、あだに黄色い花が咲いた…とばかり思っておりましたが、立派に結実していたのでした。
 大きさは、現在生育中のレモンの実よりちょと小さいぐらいです。



 蔓が枯れなければもっと育っていたのかも。
 しかし、植物とはなんと健気なものでしょう。
 負けずにお稽古に励まなくては…

 西瓜を育てたプランターの土を流用するのも申し訳ない気も致しましたが、檸檬にいのちを繋ごうと、二株に分かれた新・ヴィラゆりかごも誕生し、せわしない12月の初旬に暫し、清々しさを補充したのでした。

【追記】
気まぐれに蒔いた西瓜の種から芽が出て花が咲いたのは、いつ頃だったのか…
撮り溜めていた写真を調べてみましたら、
いくつか咲いた花も、終わり際になっていたのを
最後に撮影したのは10月5日のことでした。



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落ち葉

2024年12月04日 16時24分08秒 | 折々の情景
今朝がた、柿の葉鮨にできそうな立派な落ち葉が三枚。
大きさ比較に柿の種を置くのが本筋であろう…と思いましたが、生憎、手元不如意につき、胡桃(クルミ)とアーモンドを添えてみました。

葉っぱが全部落ちたら、棒杭のようになってしまうのかなぁ…と柿の苗の行く末を案じておりましたところ、何と…(*>∀<*)



拡大写真↓



苗から枝分かれした葉っぱが新たに育っていたのでした。
…と言うわけで、柿の苗から柿の木にGrowing upした、血色のよい柿の木の近況ご報告まで。
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最後の紅

2024年11月29日 12時00分43秒 | 折々の情景
さて、当方のささやかな庭には、レモンの鉢植ばかり12本(全てアゲハチョウの食用)、それに付随する実生の檸檬苗数鉢、八朔、甘夏、2年目の柿…など、植木ばかりなのですが、
今年は羽化不全のアゲハチョウ対策として…人工受餌も可哀想だし此方も切ない思いを致しますので、香華の意味合いもあって、夏前に色物を購入したのでした。

園芸店の店先で、はて、どのような花が蝶たちの好みであろう…と暫し佇んでおりましたところ、1頭のシジミチョウがひらひらひら…と、花に戯れ舞い遊びながらお食事を。
そんなわけで飛ぶ蝶に教えられ、カムパニュラとジニア(百日草)ともう1つ…初めて知るスカエボラ タッチという半円状の、扇を広げたような形の花が増えました。


↑今夏7月13日撮影の、スカエボラに揚羽蝶。

思いつきで9月も末に食した後の種を蒔いたスイカの苗も、立派な蔓を伸ばし花を咲かせるまでに育っていたのですが、季節の移り変わりには如何ともし難く、十日夜(とおかんや)過ぎには…柴田是真の画題になりそうな風情をしのばせながら立ち枯れてしまいました、その庭の片隅に、百日草との名にたがわず、150日ほども次々と花を咲かせていたのが、表題の写真です。

同朋は緑っぽい白茶けたスモーキーな色合いだったのですが、ひときわ鮮やかな。
今季、最後の紅(くれない)。

かたや、



ビアフランカ種に1つだけ、レモンなのにこれまた丸い、西王母のような檸檬が実りました。
今日もよいお天気です。

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常磐の庭(ときわのにわ)

2024年11月25日 09時05分00秒 | お知らせ
常磐なる当家のレモン樹の消息をお伝えしたい…と思いながら諸事情あってノートパソコンが開けず(またもや怪しのインターネット…( ω-、)) ……

幼虫たちも冬眠に入り、すっかり静かになったベランダの我が庭にお水を遣りに参りますと、柿の苗の葉が一ひら…

この柿の苗(木と呼ぶには小さい)は、ちょうど去年の秋の日、食した柿の種が余りに立派だったので、ふと植えてみた6粒のうち、生き残った一人なのです。

レモンは常緑樹ですが、柿の木は落葉樹ゆえ、黄葉したのでした。
昨冬はそれに気づかず、双葉の頃からずいぶん気を揉んでいた私でした。
夏には朝夕お水を上げても葉っぱがしんなりと萎れるときもあって、おやおや、柿の木はレモンよりも水が大層必要なのだ、とビックリしたものです。

果樹の指南書に、柿は水切れに弱いので、乾燥防止の為に冬場は根方に藁を敷きましょう、と有ったのですが、悲しいかな、現代日本。藁が無いならおが屑を敷けばいいじゃない?(ホントかな…)と思い付き、過日頂戴したユリ根の梱包材を取っておいたのを、敷いてみました。

さて、今週木曜日の夜、渋谷の伝承ホールにて、第14回を迎えます伝統長唄伝承の会、演奏会がございます。
有難いことに、私もお教えを賜りまして、十世 杵屋六左衛門 作曲 『常磐の庭』に出演致します。

この曲は、お能でいえば『融』のような、作庭に命を懸けた大河内伝次郎のような、ガーデニング好きには堪らなく愉しく美しい曲です。
名曲のフレーズも断片的に織り込まれていて、名物裂の切り嵌めのような手練れによるパッチワークの如き造りでもあります。

江戸時代にはお浜御殿(現・浜離宮庭園)のお隣に在った、藝州広島潘の下屋敷のお庭を眺めつつ、嘉永四(1851)年のその当時日本国内に存在した、作詞者が好ましいと感じた様々な名景勝の情景に喩えたり、思い起こしたりしながら(歌舞伎舞踊『汐汲』や子持ち山姥を連想する詞章も散見します)を詩情溢れる歌詞で綴ります。
日本の風土の美しさが殊更に感じられる、四季折々の情景を描いた女性的な曲です。

お時間かないましたらお越し下さいませ。
鋭意、お稽古中です。
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七福神

2024年10月10日 08時10分00秒 | ネコに又旅・歴史紀行
 舞台で演奏する曲にゆかりの土地、神社仏閣に詣でるのは、対象に対する純粋な探求心、好奇心というよりも、まず、先様へのご挨拶である。
 文化とは礼節である…との先人の言葉を、あるとき偶然に知ったので、以来、時々引用させていただいているけれども、
今日、私たちが安心して文化活動に邁進できるのは、先人たちが苦労して文化を営む土壌を耕して下さったからなのである。
 あだやおろそかに享受してはいけないのである。

 …というわけで、寺入りの千代の言葉をお借りすれば、日頃、軽く暮らしているわたくしのような罰当たりなものでも、神妙な心持ちになりつつ、物見遊山という、おそらく、日本人独特の感性の所産である、実を言えばそこまでの信心、宗教儀式が目的ではないのだけれども、神域である清々しいところへ詣って、日頃世俗の垢にまみれた自分自身も清められたい気がして、八百万の神さまのもとへちょっと近況報告がてら参ずるわけであるが…
 御一方(おひとかた)に片寄るのは他の神々が気を悪くするだろうから、満遍なく博愛の精神で、ほうぼうに伺ったりする…あいまいな多様性を、気づかずして日本列島に棲む我々は身につけているのである。

 であるから、多様性を新進な言葉として多用するのは、古い人間には今更感がして、世間の成り行きとはいつになっても迂闊というものなんだなぁ…と感じてしまう。

 たぶん、そう気がつくのは人間がようやく、“ひと”として成熟してやっと物事の有態が分かってくるお年頃…還暦過ぎた頃で、経済活動優先の世間を牽引する世代から引退する年代に至ってからのことなので、仕方がない…そんなわけで、日々腹の立つことばかりに直面する…しかしこれは自分が若い彼らを至らぬものとして達観できない、自分自身が至らぬものであるからであろう…と自省が先に立つので、年寄りは無口になるのだ。

 …あれれ、愉しかった旅の記憶を、十日えびすのご縁日にちなんで、今回(10月20日…ご縁日の二倍サービスとなっております、吉祥寺は武蔵野公会堂にて)演奏いたします長唄「七福神/しちふくじん」のご説明がてら一筆…と考えておりましたが、失礼いたしました。
 関八州に住まいしております東夷(あずまえびす)は、小説や映画で見聞きしているものの、JR東海・新幹線終着駅の新大阪と以西の山陽新幹線管轄に入る神戸駅間には、あまり土地勘の無いもので…社会生活上どうしても必要な事務的手続きが発生した、その機に乗じ、福男のかけっくらで有名な西宮神社へご挨拶に参りました。
(簡潔に…と心がけているのに…年寄りは無口になる分、文章が饒舌になって困ります……)





 あまりにお日様のご機嫌がよいので、散策を諦めJR西宮駅から車にてつけて頂いたのが脇の赤いご門です。
 (…今更ですが、赤井御門守とはけだし名ネーミングでありますなぁ…漠然とした職掌のお侍さんのキャラクターとして…)











 さて、朱塗りの立派な大門をくぐり参道を神妙に進みますと、





 右へのカギの手に行き当たり、狛犬さんがおわします。
 阿吽…なのですが、左側のお口をきりりと結んだ狛犬さんからご紹介。





 狛犬さんが目くばせする方角へと更に歩を進めますと…





 木の鳥居の傍らに
 ♪くつばみ揃えて、神の神馬を引き連れ…と七福神の歌詞にも登場する御厩が。





 穏和なお顔立ちに和みながら、参道をずいずいーっと…



 近隣の観光案内が絵馬型取りになっていてオシャレ。
 ご当地ならではの鯛の絵馬はお土産に拝領したい。



 …ところが。



 ご本殿が修理工事中で御目文字かなわず…



 仮社にお参り致しました。
 芸能の神さま、百太夫さまがお出迎え下さいました。







 神楽のお稽古中なのか、無闇と賑やかなお囃子の音が聞こえてきて、神社における音曲というものも東西では持ち味が違うものであるなぁ…とハタと膝を打ちました。長唄・七福神のお囃子は本来、正にこんな感じなのでしょう。
 中の島へ歩を進めますれば、ぉぉ!長唄にしばしば登場なさる宇賀のみたまも鎮座されています。



 御遣いひめの啼きつる方を眺むれば…



 よろずのお魚…この池に於かれましては金銀綾なす錦鯉。





 えびす様が海神様となられた証左の宝船がお祀りされていました。
 奉納樽がこれまた素敵にカッコいい。






 ご挨拶も済んで、すかっり晴れ晴れとした私は、最寄りの阪神電鉄西宮駅へ。



 何と…! 駅ビルの名称はその名も“EBISTA”…エビスタ。
 簡略にして全てが集約された素晴らしいネーミング。関西の諧謔みここに極まれり。
 いちいちが私のツボにはまり、ひたすら感心しつつ駅構内へ、三宮方面ホームに立った私の目の向こうに、反対方向の電車が入線してきました。





 …なんと!! これは甲子園の…野球まんがのキャラクター満載の…ドカベン電車ではありませんかっ…!
 中学時代の私は週刊漫画雑誌・少年チャンピオンを至上の愛読書として(週刊誌はクラスの男子から借りて読み、単行本をコレクションしておりました)、ブラックジャック、マカロニほうれん荘、がきデカ、エコエコアザラク、7半ライダー…etc.
 中でも水島新司先生著『ドカベン』に至っては、TVアニメは勿論のこと、女子高生漫研時代は二次創作にも手を染めていたのでした。番組主題歌を収めたサントラ盤LPレコードを何度聴いたことか…小さな巨人 里中くん、われら里中親衛隊…♪ ひょっとして、今でも無本で歌えるかも…(いえ、唄いませんけれどもね)
 
 えびす様のお心づくしのお見送りを賜り、すっかり気をよくした私は、次なる目的地へと向かったのでした。

【簡略版 長唄・七福神のご説明】
 日本もかなり欧米化が進み、歳時記もすっかりすたれましたが、七福神めぐりを年末年始になさる方も、まだいらっしゃるかと存じます。この曲は七福神というタイトルですが、歌詞中に出てくる七福神の神様はエビスさまのみです。
 古事記と日本書紀にかかれている、イザナギ、イザナミのミコトの国生み伝説から始まります。
 二人のミコトの間に生まれた最初の子どもがヒルコ神で、骨も皮膚もなくぐにゃぐにゃしていたので、舟に乗せて海に流した、という、現代でも語り継がれている神話、映画やマンガのもとになった神さまです。
 原典によっては、アマテラスとツクヨミの次に生まれた三番目の神さまとされ、のちに、海の神さまであるエビスになりました。
 やおよろずの神々を身近に感じてくらしてきた、おおらかな日本古来の民間伝承の味わいを持つ、舞踊曲です。
 もともとは、江戸三座の市村座が、興行中、毎朝開演する前に演じられた序びらきの番組で、各座に独自のテーマ曲がありました。
 演奏を聞き進むにつれ、お気づきになるかと思いますが、縁起のいいものを引く、ひきもの尽くしの部分があります。
 これも、劇場にお客さまが沢山引きも切らずご来場くださるように、お客さまを引くという縁起かつぎのひとつかもしれません。

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二日続けて御目文字仕りまする

2024年10月06日 17時38分25秒 | お知らせ
風流の国に生まれながらも、うたごころを忘れてしまいそうな苛烈な炎熱の天気が続きまして…
それでも新暦10月の声を聞きましたら、ようようしのぎやすくなって参りました。

さて、令和6年の当・杵徳社中、秋季演奏会シーズンは、ギュッと凝縮されまして、

10月19日(土)13時よりの世田谷区民総合文化祭@成城ホールにて
    長唄『俄獅子/にわかじし』

10月20日(日)13時よりの武蔵野邦楽連盟@武蔵野公会堂にて
    長唄『七福神/しちふくじん』『五郎時致/ごろうときむね』『俄獅子/にわかじし』

の、場所を違えまして2日間連続にて相勤め申し候。

ご来場をお待ち申しております。

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緑になるまで

2024年08月28日 23時45分26秒 | ベランダ実記
 昨夏の我がレモンの庭では、青虫に寄生する生物の魔手からの防衛対策が主眼となっていたのですが、酷暑に喘ぐ今年は、新たなる災厄がアゲハチョウたちを襲っていました。
 暴風や豪雨から生き延び蛹化したものの、もうすぐ羽化する様子を見せながら、眠りから覚めないサナギが多数発生する状況となったのが令和6年の八月でした。
 さながら『猿の惑星』などの20世紀のSF映画で、宇宙船がどこかの惑星に漂着するも、睡眠装置の故障で目覚められなかった宇宙飛行士たちのように…
 この“かえらぬサナギ”問題は、レモンの国の森番の心象に暗い影を落としたのですが、一方で、無垢なる幼児たちは炎熱地獄をものともせず、葉陰で一心に檸檬樹を蚕食するさまは、また、森番の心に、ひと時の安らぎを齎してもいたのでした。

8/15 人間の鬱屈をよそに、今日もアゲハチョウのお母さんたちの来訪で賑わうレモン林に散在する、ゆりかご荘に産み付けられた瑞々しい卵を発見したのは、79年目の終戦の日のことでした。(表題写真)

8/17 7:10AM 卵が褐色みを帯びてきました↓


同日 12:39 孵化しました↓


8/18 7:14 お食事に出掛けました↓



同日 9:04 生まれた場所が彼の寝床のようで、いつもの場所に戻っていました↓


8/19 8:44 二齢幼虫に脱皮↓


8/20 7:05 食欲旺盛。


8/21 7:26 トゲトゲ虫(三齢幼虫)に進化↓


8/22 8:40 恰幅がよくなる↓


8/23 9:48 おそらく四齢幼虫に↓


8/24 8:19 だいぶ大きくなりました。


同日 16:29 いつもの場所で大人しく↓


8/25 8:15 居続け↓


8/26 7:51 地色がやや緑に↓


同日 9:31 終齢幼虫(アオムシ)に脱皮しました。



同日 17:27 青虫生活の始まり。


8/27 7:36 ゆりかご荘から大きい枝葉のラフマイヤー南荘へ、自主的引っ越し計画推進中。


8/28 6:55 昨晩お引越し完了。新居にて。



 雨に濡れて、空き店(だな)となった、みどりちゃんになるまでの育ての親。


 だいぶ脛(葉ですが)を齧られました。
 蝉の声もやみて吹きくる風に、秋だなぁ…と、つるべ落とし。
 
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お暑うございます

2024年08月07日 11時59分19秒 | 折々の情景
暑さに耐えかねトホンとしてベランダに出でてみれば、ひらひらひら…と舞い遊ぶ蝶が一匹。



我が庵に寄宿なされしアゲハチョウが、母蝶となって再来した模様。





暫くの間、旧居を懐かしみ一頻りパタパタとベランダを游弋しておりました。









今日は立秋。
一昨夕から秋の虫の音も聴こえて、季節の移ろいは早いものです。
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夏色に染まる

2024年08月02日 00時23分28秒 | 近況
昼過ぎに外出先での用事が済んだ。
これ幸いと、早く帰って懸案事項を片付けたいのは山々だが、炎天下の熱風に吹かれて家路を辿るのに臆した。
駅ビルで涼もうか…夏物のセールでも覗いてみるか…いや、映画館で日暮れまで酷暑をやり過ごす手もあるぞ……

7月の初旬、余りにも暑いので、35年ぶりにバッサリ髪の毛を切ってもらった。
鏡の中の私は妙に懐かしく、百年ぶりに昔の自分に逢ったような気がした。



…この顔は……そうだ、ジブリの『おもひでぽろぽろ』のタエ子ちゃんでは…
何より、髪を結う作業から解放されたのが堪らなく爽快であった。
それから暫くして、犬神家の一族の草笛光子演じる三女梅子の髪型にも似てきたので、更に着る物の断捨離を挙行して身も心もサッパリと真人間、還暦過ぎの刀自に相応しい風体になるべく心掛けてみたのだが、どうも当節のアパレル業界のラインナップがしっくり来ない。

そこでふと、吉祥寺駅ビル上階のユザワヤに立ち寄り、染色コーナーで染め粉を入手。
もう二十年以前に求めた夏のカーディガンが、甘いペールブルーで最早着られない色合いだったのを、ものが良いので捨てられずに持っていたのだった。これをどうにか色揚げして、生ける衣に出来ぬものか。



何と懐かしいみやこ染め。
昭和の頃聞いたきりの固有名詞に廻りあえる歓び。
説明書通りに、粛々と手順を追ってゆく。
染め粉を溶いてカーディガンを溶液に漬け込み、待つこと30分。ぬるま湯と水で濯いで色止めの溶液に20分。脱水して干す。
思い掛けず、心地よい夏色に染まった。

思えば、染色作業に勤しむのは、小学校だったか中学校だったかすっかり忘れてしまったが、家庭科の授業でろうけつ染めをして以来だから、まさしく50年ぶりのこと。
自分の手でこんなに簡単に染め替えが出来るとは、有難いことである。

そんなわけで、酷暑を凌ぐには、注意深く神経を傾注しつつ没頭できる、何かしらの手作業が最適なことが判明。
むかし名画座で観た成瀬巳喜男監督の『おかあさん』では、家業のクリーニング屋さんで帽子の染め替えを請け負っていたっけ…と、髪型ひとつでおのが記憶のタイムラインを縦横に往き来する、令和6年夏、極熱地獄の一日。

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今夏、下北沢で…湖龍斎展@武蔵屋画廊

2024年06月26日 13時37分11秒 | お知らせ
お暑うございます。
昨日、初日を迎えました。
ご来場の皆さま、ありがとうございます。

浮世絵好きの方々にも、あまり耳慣れない、マニア向けの企画、礒田湖龍斎の作品をおたのしみ頂きながら、三味線の音色や、日本の古文の表現力の深さに廻り逢うひとときをお過ごし下さいませ。





すぐりと白い紫陽花、野イチゴの葉っぱがお迎え致します。
いけ込みは、東石川小学校五年五組、生け花クラブ、小林麻里さん。



ライブは鍾馗様の御前にて、そよそよと爽やかにお届けしております。
長唄の番組は、湖龍斎の深川八景シリーズにちなみまして「巽八景」、ダイジェスト版の「廓丹前」、「吾妻八景」
謡曲は「班女」クセ、「江口」キリ、「花月」小歌などを日替りで演じます。

曇り空のお出掛けに、暫しお立ち寄りくださいませ。
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見て聞いて愉しむ浮世絵展@下北沢を開催します

2024年06月16日 07時16分16秒 | お知らせ
昨年9月に開催しましてご好評賜りました、
横山實先生の浮世絵コレクション展。
昨年の鈴木春信から、今回は、彼の次世代である、
多彩な浮世絵を遺した礒田湖龍斎/いそだ・こりゅうさい
の特集をご覧いただきます。

伝統芸能に携わる若手の勉強会として
コラボライブも同時開催いたします。

会期は、6月25日(火)から30日(日)
場所は、下北沢の武蔵屋画廊さまにて。
連日、午前11時から夜7時まで、開廊しております。
ご観覧は無料です。

連日、昼下りの2時と夕方5時から
日や時間替りで、作品世界に関連する
長唄と謡曲のライブを上演しました後、
横山先生の解説をお聴き頂けます。

詳細は追ってお知らせいたします。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

フライヤーの浮世絵は、
『青楼藝子俄狂言尽/せいろう・げいこ・にわか・きょうげん・づくし』by礒田湖龍斎
毎年八月に開催される吉原の祭礼・俄での演し物の一つを描いたもの。
相撲の力士、行司に扮装した仕手の、しぐさや拵えの細部にわたっての意匠も見事です。
おたのしみに‼️ (*>∀<*)



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