長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

4本半

2011年06月06日 00時06分00秒 | お稽古
 前回にひき続き、キュウリの話です。…ではなくて、まじめに、音楽のお話を少々。

 以前、若手ホープで売れっ子で美声で男前と、何拍子もそろった唄方の先生とご一緒させていただいた演奏会でのこと。タテ唄のイケメンの先生に、私は「何本にいたしましょうか?」と訊ねた。
 三味線の調子を合わせるには、一の糸をタテ唄の唄方さんの唄いやすい音でとって、それから二と三の糸の調子を合わせますが、音の名称を「本(ほん)」で表すのです。
 利休七哲の瀬田掃部によく似たイケメン先生、「4本半でお願いいたします」とお応えくださった。
 さて、ここで問題です。
 私はそのとき、どの音程で調子を合せたでしょうか? …はい、チッ、チッ、チッ、チッ………。

 では、ヒントですョ。
 1本が西洋でいうところのラ、A音です。2本はラのシャープ、3本はシ、B。4本はド、C。で、5本がドのシャープ…と以下続きます。
 …あれ? 先生、4本半って、音がないですョ???
 ドとド♯の間に、音は存在しないですよね????? ピアノだと鍵盤がないし、弾けましぇん。
 と、あなたはそう不思議に思うかもしれません。

 でも、音って、そうだな、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」とか聴くと分かるけど、最初のクラリネットの一声。グリッサンド。音は間断なく、つながってあるわけです。
 12音階、各々の音の間に、無数の音が存在するわけですョ。忍者のように姿が見えない、でも、名もなき数知れぬ音の姿が、目に見えないけど現にあるわけですね。
 それしかないって、誰が決めたの?

 着物の尺は鯨尺という単位ですね。その昔、クジラのひげで作った物差しだったからそういうので、大工さんが使っていた曲尺(かねじゃく)とはちょっと長さが違います。
 家紋の大きさを正しく、何センチ何ミリですか?…と呉服屋さんに問い詰めている人がいましたが(スミマセン…若かりしときの私です)だいたい何センチ、とかしか、言いようがないのです。
 西洋生まれの尺度では、厳密にイコールで換算できるわけないんですよ。
 だって、着物は尺でつくられてきたものであって、単位が先にあったのではなく、測られるものが先にあったわけで。

 私は、八百万の神って、好きだなぁ。この世に存在する森羅万象、生きとし生けるもの、すべてのものに魂があって神性なものが宿っている、という考え方。
 …つまり、物事をいろいろな立場、方向から捉え、考える柔軟性を持っている、ということでしょう?
 そしてまた、どんなものに対しても、尊厳をもって接するということでもある。

 価値観、ものを測る尺度がひとつしかなかったら、その物以外の価値観を認めないということになってしまう。そして、測れないものの存在をも。
 光が一方向からしか出ていなかったら、影となる部分は、永久に影のままってことでしょう?
 それって、いろいろなものが存在するこの世界で、ひどくかたくなで…人間が生きていくうえで、とても窮屈で残酷で、非人間的な発想じゃないかしら。
 
 いま、日本全土を覆っている合理主義の考え方って、いったい何を目指しているのでしょうね?
 コストの計算とか、生産に携わる人が自分の仕事に誇りを持てないほど、そんなにいろいろなものを切り捨てて、いったい何をしたいのでしょう??
 コストを下げるために、労働賃金の安いところに工場をつくって…って、18世紀あたりの植民地政策と、なんら変わるところがないと思いませんかね。
 アタシはヤだな。自分の労働に対する正当な評価がなされず、人間性をも買いたたかれているような現在日本の、資本至上主義的な社会通念の在りよう。
 すべてを横文字的発想の一定の枠で括って、それに外れるものは存在すら許さないような、傲慢なもののとらえ方。

 物差しがひとつしかないと思ったら、大間違いです。

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霜夜の月

2010年12月26日 03時20分00秒 | お稽古
 西條八十が幻想した、峠から落とした麦わら帽子が露に濡れて、コオロギがその陰でちろちろと鳴いていた季節も過ぎ、秋の虫はことごとく息絶えて、地上が白い大気に覆われるころ。
 「砧打つ」という言葉をご存じだろうか。

 東京都世田谷区砧に住んでいた学生時代の友人は、近所の横溝正史のお孫さんと幼馴染だったそうである。お爺さんの書斎でよく遊んでいて「あのころゴミ籠の中から書き損じの原稿用紙でも貰ってくれば今頃は左団扇だったのに…」と、本当に残念そうに頭を抱えながら述懐するので、私はその心根をたしなめるより、いっそ気の毒に感じたものだった。
 人間、『バック・ツウ・ザ・フューチャー』みたいには、なかなか、出来ないものである。

 民俗学の柳田国男の『木綿以前のこと』という本がある。現代では、コットンは衣料の最たるもののようになっているのだけれど、綿というのは南方にしか育たない。木綿が日本で普及したのは江戸の中期以降で、それ以前、庶民の衣服は麻で拵えていたのが主流だった。
 夏から秋、そして冬。四季はめぐり、再び、衣更え。麻は繊維がしっかりしているから、それで衣を、石の台、つまり砧に載せて、杵のようなものでトントントン…と打つ。硬いものでも柔らこう。
 その音が、秋の夜長の、静寂が支配する夜寒の虚空にこだまする。秋の虫が死に絶えてのち、冬の野山に響くのは鳥の声ぐらいしかないように思う。しかし、まだまだ、日本の風物は、四季折々に控えているのだ。

 長唄に『小鍛冶』という、小品ながらもすっきりとまとまった名曲がある。
 数年前まで神田駅近く、昔の名前でいえば神田鍛冶町に「小鍛冶」という洋菓子屋さん兼喫茶店があって、お稽古するたびに弟子に喧伝していた。
 この『小鍛冶』は、謡曲『小鍛冶』のストーリーをもとにつくられた歌舞伎舞踊である。三条小鍛冶宗近が、名刀を奉ずるように勅命を受けるが、相槌を打てるものがいない。稲荷大明神の力を得て、みごと名刀・小狐丸を鍛え上げるという筋だ。 
 日本において刀というものは、ただの武器ではない。もっと精神性を象徴するもので、刀鍛冶が刀を鍛えるときは精進潔斎して、全身全霊をかけて刀を打つ。

 私がこの曲をとくに讃えたいのは、お稲荷さんの神霊が現れて刀を鍛える、相槌の拍子の合方のあとの、クドキの部分。歌詞が絶妙にすばらしいのである。

♪打つという それは夜寒(よさむ)の 麻衣(あさごろも) をちの砧も音添えて 打つやうつつの宇津の山 鄙(ひな)も都も秋更けて 降るや時雨(しぐれ)の初紅葉(はつもみじ) 焦がるる色を金床(かなどこ)に…
 
 私の脳裏には、鍛冶場の室内から情景は一転して、パンした冬枯れの里が浮かぶ。ここでくだんの砧の出番。
 宗近が刀を打っていると、その鎚音に呼応するかのように、遠くから、やはり夜っぴいて仕事をしているのであろう、砧の音が聞こえてくる。一心不乱に打っていると、夢ともうつつともつかぬ忘我の境地に陥ってゆく。
 田舎も都も秋更けて、折からの時雨が紅葉に降りかかる。そのさまは、金床に置いて鍛錬している、真っ赤に焼けた刀身に似ている。

 なんて美しい歌詞だろう。緋色の紅葉と燃える刀、そして時雨の雨つぶと、工房に充満する湯気と水滴。
 天空が一切の雑念を凌駕して、ただひたすら打つという作業から、何ものかを生みだそうと没頭する男に、砧の音としぐれる紅葉は、一人じゃないのだと同調する声援を、密かに寄せているかのようなのだ。
 私は、ついうっかりすると、この部分を唄いながら、涙ぐむことがある。
 日本の文化の発想と表現の、なんと多元的で豊かなことか。

♪焼き刃渡しは陰陽和合 露にも濡れて薄紅葉(うすもみじ) 染めて色増す金色(かないろ)は 霜夜(しもよ)の月と 澄みまさる…

 焼きを入れて、いよいよ刀身は青白い光を放つ。霜月の夜空に浮かぶ澄みきった月のように。
 そして、精魂こめて見事打ち上がった名刀を、刀工は月の光にかざして、惚れ惚れと見つめるのだ。
 そのときの月は、下弦でなくてはならない。
 夜を込めて鍛え上げたからには、傾くまでの月を観るかな…宵のうちに地平に姿を消す、三日月や満月であってはならないのだ。
 しんしんと夜が更けて、空の底が明らむちょっと前の、暁の匂いが風に乗ってくるけれども、まだ夜明け前の、そんな西の空に浮かぶ下弦の月。

 昭和の、私が生まれ育った北関東の、海に近い田舎町では、クリスマスの夜はとても寒くて、でも晴れていて、空の星々は凍てつくように輝いていた。
 群青色の夜空に、青白く鏤められた星たち。見つめていると、とても厳かな神々しい気持ちに満たされた。身も心も清められたように思えて、ただただ、星の煌めくのを眺めていた。

 太陽暦では聖誕節だが、太陰太陽暦では霜月廿日の今年のこよみ。
 そんなふうに、霜月の、凍てつく夜空のもとでは、西の国では天子が降臨して、極東では名刀が生まれる。
 
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綱館の段

2010年08月07日 14時55分50秒 | お稽古
 朝、稽古場へ向かう。
 すでに陽は高く、吹く風は熱をはらみ、日差しは苛烈さを増している。
 背中といい脚元といい、身体を灼く陽があまりにもジリジリと暑いので、つい「♪九夏三伏の暑き日は…」と、口ずさんでしまう。長唄『綱館(つなやかた)』の一節である。
 源頼光の四天王の一人、渡辺の綱は、羅生門で、茨木童子こと鬼神の腕(かいな)を斬り落した。
 この後日談が『綱館の段』で、渡辺の綱の館へ、鬼が腕を取り返しにやってくる。

 綱は陰陽の博士・安倍晴明に、七日間のうちに必ず鬼が仕返しにやってくるだろうから、物忌みをして、館に閉じ籠るように助言された。
 …十年ほど前だったか、二十世紀末に陰陽師がやたらと流行って、「週刊・安倍晴明」なる雑誌も刊行されたりしたが、あれからどうなったのかしら…。余談、余談。
 鬼は誰に化けてやって来るかもわからない。堅く門扉を鎖して、絶対に、誰にも会うなという、ありがたい晴明先生のアドバイスです。
 …そんなところへ、来てしまうんですねぇ、伯母が。はるばる故郷の摂津の国から。

 当然のことながら綱は、晴明先生の言いつけを厳守して、伯母を追い返そうとする。
 しかし、伯母は綱の事情なんかには一切耳も貸さず、これは当然、鬼の茨木童子が化けているのだからして、どうにか家の中に入れてもらおうと思って、自分がどれだけ苦労して、幼子だった綱の面倒をみたことか…それに引き換え、今のその情け知らずの態度は何だ、えぇ、情けないじゃないかねぇ…と、くだくだしく、甥をかき口説くのだ。
 そのときの伯母のセリフが、くだんの「九夏三伏の暑き日は…」なのです。

 夏の酷暑の時期には、扇であおいで暑さを凌がせて、厳冬の夜は布団をかけて温めて育ててやったのにィ…そこまで立派になったのは誰のおかげだと思っているんだぃ。
 「♪恩を知らぬは人ならず、ええ~汝は邪慳者かな…」と、声をあげて泣き喚く有様。
 そうまで言われて綱はタジタジ。まったくもう、伯母さんにはかなわないよなぁ…とこぼしながら、是非もなし…と扉を開けてしまうのでした。

 それにつけても、オニは、なんとまあ、人の心の弱点を、よく突いてくるものだと感心する。
 これが妙齢の美しいご婦人だったら、綱は絶対に入れない。
 モノノフの沽券と意地と誇りにかけて、絶対に色仕掛けなんぞでは落ちないのだ。いや、落ちてたまるか。断じて。世の中に、金と女はカタキなんですからねー。
 …というほど、後世の浪人者ほどスレてないにしても、可愛い女の子は、日頃つらい思いをすることが少ないだろうから、人としても、むしろキッパリと拒絶しやすいというものだ。いや、本人のためにも、キッパリした態度が情けというものでありましょう。

 しかし、ことこれが伯母御となると、そうはいかないのだ。
 身体髪膚、これを父母に受く。親の恩は海よりも深く、山よりも高いのだ。
 そんな大恩ある係累のオバちゃんを、無下にするわけにもいかない。年ふると、ただでさえ情けないことが多い世の中なのに、ばあちゃんを泣かすのは寝覚めが悪いというものだ。
 何より、言い負かすのが大変だ。オニより祟りそうな気もするし…。
 そして、武勇の誉れ高きサムライである綱には、人の道を外れるというのが、何よりも恐ろしい、恥ずべきことなのである。

 御所の警護役である頼光の邸には、よく、もののけがいろいろなものに化けて潜入してくるのだが…たとえば土蜘蛛が、バレ易い、入道や座敷ワラシのような幼女に扮してきたのと比べると、茨木童子は大したものだ。

 大薩摩がめちゃカッコいいこの曲は、歌詞もいいので、何かというと、思わず口ずさんでしまう。
 ♪恩を知らぬは人ならず…あたりも、思いがけない思いをしたときや話を聞いたときに、よく口を衝いて出る。

 それからクライマックスの、伯母が正体を現わす前の、唐櫃の中の腕を眺める、緊迫したシーン。
 「♪このとき伯母はかの腕を、ためつ、すがめつ、しけじけと、眺め眺めて居たりしが、次第しだいに面色変わり…」
 このところも、あまりにも面白いので、なにかというと♪しけじけと…と、口ずさんでいる。

 この♪しけじけと…を、陰にこもって物凄く…的になるちょっと手前で、含みを持たせて唄うのが楽しいのだ。…サスペンスですなぁ。
 この季節はやっぱり、物の怪の怪異譚で涼みたい。
 かにかくに、泣く子と伯母と、夏の暑さには勝てまへんなァ。

 …さて、そんなことを言いながら、今日は旧暦の六月廿七日。
 立秋です。
 
 
 

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666

2010年07月10日 00時28分00秒 | お稽古
 「六歳の六月六日にお稽古を始めると上手になる」と、よく言う。
 一歩間違えば『オーメン』だ。あぶない、危ない。
 これが、私には不思議だった。その6月6日は、新暦でなのか、旧暦でなのか。
 新暦だとすると、こんなに土砂降りのしとしとした梅雨のさなかに、稽古を始めてうまくいくものなのか…?

 だいいち、こんなに湿気ってちゃあ、三味線の皮が破けて、鳴りませんでした(成りませんでした、に、掛けましょ)…ということに、なりかねない。

 旧暦でいえば、六月六日、五月雨の季節が終わって、見上げれば一面の青い空。
 ♪さつき、五月雨…農耕民族の重要な務め、五月女の田植えも終わったし、つばくろのヒナは無事飛び立ったし…空はますます青く、海はさらに深さを増し、風がさやさやと蒼い大地を渡っていく。
 そういうときに人は、何かやったろぅか…という意欲が湧くもんじゃぁないかいなぁ。

 そこで、思い立ったが吉日。旧暦の六月六日にお稽古始め運動、というのを始めました。

 今年の旧暦六月六日は、7月17日。
 …うむうむ、推理どおり、梅雨が明けてそうなお日柄ですわぃ。かてて加えて、奇しくも成田屋、市川雷蔵の祥月命日。
 ……祇園祭のさなか、山鉾巡行の日でもありますね。

 ♪京都八坂さんでは山を曳く、東京杵屋では三味を弾く…。

 御用とお急ぎのない方は、ブックマークにもございます、<http://shami-ciao.com> へご参集くださいませ。
 ♪昔の写真で、出ています。
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詰めなきゃ!

2010年06月27日 13時50分51秒 | お稽古
 ……シュート!
 しかし敵もさる者、ゴールキーパーのブロックに阻まれ、あえなくボールはペナルティエリアをころころ転がっていく…二の矢を放て! …しかし、あぁ、ボールの周りは、ディフェンダーばかりで、寄せ手の選手はシュートした本人しかいない。
 そんなとき思う。「詰めなきゃ!」

 ゴール前で猟犬のようにウロウロして、千載一遇のチャンスを逃さず、こぼれたボールを見事に決め込む選手がいる。こんなとき、イタリアはミランのピッポ・インザギくんなら、すかさずモノにしていただろうになぁ…。
 一発で決められない、いざという時のために、援護射撃をする選手が常に控えていなくちゃ。
 単騎じゃ攻めは続きませんョ。

 …こう思えるのは傍目八目、遠隔地から俯瞰しているからである。まったく、当事者じゃないものは何だって無責任に言うものだから、かまびすしいことこの上ない。

 ある日のお稽古。
 勘所が決まらずに、どうもイマイチな音色になっているお弟子さんに。
 「詰めなきゃ」。
 …いえいえ、指を詰めて落とし前つけろ、と言っているわけじゃありません。指の間隔を詰めなさい、と言っているのですョ。さらに、音に対する感覚もつめること。

 息をつめて演奏する。…わが師の教えである。
 音色はデリケートなもので、ほんのちょっとした違いで極上のメロディが生み出せるか、無神経な音の連なりになるのかが決まる。

 将棋もそうなのでしょうね…。
 なんでも「詰め」、これが重要ですなあ。
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菖蒲浴衣(あやめゆかた)

2010年06月16日 01時18分18秒 | お稽古
 今日は待ちに待った五月五日、端午の節句である。もちろんお稽古カレンダー時間で、陰暦でのことである。
 …それにつけても、やっぱり…!!日本の風土は月の暦だよね~~と思う。いくら異常気象だ、温暖化だ、気候分布の移行期だ、といわれても、みなさん! 身の周りに、花菖蒲の、すこやかにシュッと恰好よく伸びた、剣のような葉、まっすぐな茎の先に、これまた潔い形で咲いている藍紫の花を目にしませんか?
 端午の節句といったら菖蒲が付き物。それは昔も今も変わらない。太陰暦の五月になれば五月雨が降って梅雨入りして、濡れツバメが軒先を低く飛んで行ったりして、ふと眼を上げると樹影にぽっかりと白い、泰山木は夢見て咲いているし…ううむ、美しい。世界のすべてがソフトフォーカス。
 古歌にもいう「ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめ草 あやめ(文目=分別、物の道理)も知らぬ恋もするかな」。
 こんなしめじめとした雨の季節だからこそ、想い込んじゃう恋が、熟成されちゃうわけだ。晴天の空にひときわ響くホトトギスの、あのあでやかな声は、曇天の暗い雲の垂れさがったところで聞いたら、ちょっとギョッとする。
 ♪ぞっとするほど想いの増して…というのは「屋敷娘」の歌詞だけれど、雨で増水して水嵩の増した川みたいに物凄い想い…そんな恋心で理性の堤防が決壊しそうなシーズンが、旧暦の五月なのだ。
 そんな鬼気迫り危機迫る季節だから、邪気を払う魔除けの意味もあって、菖蒲を軒下に飾ったり、湯に入れたりしたそうな。たしかに、今時分は、蒸すのに妙に寒かったり、ただでさえ体調を崩しそうな気候だ。

 菖蒲革という、ものすごく達者に、抽象的に、菖蒲をデザイン化した文様がある。菖蒲→尚武→勝負と、同音異義語の多い日本語は、二重三重の意味を含ませるのが面白い。…そんなこともあって、武将がこの小紋を好んで身につけた。
 十数年前に甲府へ旅行したとき、本場の甲州印伝の、菖蒲革の信玄袋を手に入れた。舞台用の小物入れに使おうと思ったのだ。その頃の私は、とにかく、舞台度胸をつけたかったのだった。演奏は真剣勝負だっ!と、あの頃の私は肩に力が入っていた。観ている側はさぞやつらかったでしょうね…。しゅみましぇんでした。

 さて、「あやめ浴衣」。これは長唄の名曲で、唄も、本手も替え手も、みんなが演りたがる。演奏会ともなると、名取はお揃いを着るのでまあ置いておいて、素人衆は、帯が作家ものの菖蒲の絵柄だったり、ツウっぽく凝ってる人は帯揚げが菖蒲の地紋だったりする。常の演奏会とはまた違い、必要以上に衣装にリキが入ってしまうのだ。
 本調子→二上り→三下りと、無理のない調子変わりで、それぞれの調子の特徴をよく表した、よくできた飽きの来ないメロディが続く。
 歌詞が、また、いい! この曲を習っただけで、安政年間の流行りものの着物や帯結びのスタイル、意匠など、江戸の服飾文化や染織技術に詳しくなってしまうという、魔法のような曲なのだ。それだけじゃぁない。「鬢(びん)のほつれを簪(かんざし)の…」とか「命と腕に堀切(惚れた相手の名前を二の腕に刺青した「彫り」物を入れた意味と、菖蒲の名所・堀切菖蒲園をかけてある)の…」とかグッとくる、イカす言葉の数々。…う~ん、粋でやんすねぇ。
 晋子(しんし)という宝井其角の別号を、わけもなく覚えられちゃったりする。
 しかつめらしく歴史資料とにらめっこしているよりも、楽しく面白く、江戸時代の豆知識を蓄えられるのである。先代金馬も、浅草の観音様の裏、北国のことを説明するのに「『吉原雀』という教科書に書いてございます」…なんて、言っていたし。

 ♪五月雨や 傘につけたる小人形 晋子が吟も目の当たり おのが替え名を市中の 四方(よも)の諸君へ売り拡む つたなき業(わざ)を身に重き……唄い出しのカッコいいことといったら…! 初演時に唄方が改名披露した、そのことも歌詞に盛り込まれている。
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口三味線と調子合わせ

2010年06月11日 07時51分00秒 | お稽古
 6月6日付の記事を書き直したら、流れで口三味線に話が至ってしまった。
 それで思い出したのだが、先日、独眼竜…いや違った、独学で三味線をやっていたのだが、我流でとうとう行き詰まってしまった、という方がいらして、基本からきっちりやり直したい、ということなのだった。その方は、手ほどきはちゃんと教わったのだが、お師匠さんがご高齢になって、教えてもらえなくなってしまったらしい。
 それで、調子を合わせるのに、ドッピンカンと合わせなさい、と教わったそうで、「よくわからないんですけどね…」と、困ったような顔で言った。
 いやいや、しかし、これは言い得て妙というか、たしかに、そんな感じに合わせると言えばそうなのだ。これは本職さんのセンスというか、職人の本能のようなものに基づく表現で、長嶋茂雄カントクの「スッと来たのをバァッと行ってガーンと打つ」という名言に相通ずるものがあると思った。
 これはプロゴルファー猿の「チャーシューメーン」、NHK朝のテレビ小説の「雲のじゅうたん」の浅茅陽子が、お辞儀の仕方を仕込まれていた「チントンシャン」などなどにもみられるものである(類例を、記憶のみで列挙しているので、違う物語のだったら、ごめんなさい)。

 物事の真髄を、何も知らない人に言葉で伝えるということは難しい。マニュアル化すると、文化…というか、技術は低下する。優れているものというのは、微妙なニュアンスが大切で、ほんのちょっとしたことで全然違うのだ。これは芸事のみならず、お料理にも、すべての人間社会の生活や仕事全般にいえることだと思う。
 すべての人に分かり易く、やり易い方法に汎用化すると、伝えづらく、体得しにくいトップレベルの技術は、置き去りにせざるを得ない。

 それで想い出したのは、ごく最近体験した、こんな話である。
 差し障りがあるといけないので、具体的な固有名詞は出さないが、知人が演奏会で、ある現代邦楽の名曲をかけた。昭和の現代邦楽の第一人者の作品で、三味線一棹と尺八一管で演奏する、深山幽谷の水面に月影が映っている…というような曲想の名曲である。洋物でいえばドビュッシーの「月の光」かなぁ…いやいや、あんなにロマンチックではなくて、もっと禅的精神にあふれた毅然とした曲ではある。波に反映する光を表すような、揺らぎの表現がすばらしい。
 演奏後、知人が、前回同じ曲をかけたときは、○×流の尺八の方にやっていただいたのだが、今回は×△流の先生にやっていただいたけれど、この曲は○×流の方にやっていただいたほうがいいような気がする、と語った。
 その曲を、知人とはまた別の、三味線の種類が違う異なる演者で聴いたときのことを思い浮かべた私は、たしかに、同じ曲でもだいぶ印象が違う…と感じた。間合いとか抑揚とか、そういったものの違いかなぁ…と考えてみたが、まだ手掛けたことのない作品だったので、実感がつかめない。どうもそれだけじゃないように思ったので、わが家元・杵屋徳衛に伺ってみた。
 家元のおっしゃるには、×△流は、西洋式に譜面も整理されていて、音程もきちんとしているのだけれども、それだったら別にフルートで演奏しても構わないんじゃないか、ことさら尺八で演奏する必要性がまったく感じられない、というような演奏になってしまうところがある、ただし、そういうわけで教え方がマニュアル化されているので、圧倒的に×△流のほうをやっている人数が多いのであるけれども…、ということだった。

 …邦楽の面白さと難しさを、実に的確に表している事例だと思う。
 ところで、蛇足になるが、誤解があるといけないので補足する。くだんの独眼竜さんのおしさんが伝えたかったドッピンカンは擬音である。それはおっしゃったおしさんご本人もそう意図して表現なさったことである。三味線の調子合わせは、唄う人の声の高低で基音となる一の糸の高さをきめるので、必ず何の音、ということではないのだ。三筋の糸の音程の関係性は決まっているのであるが。

 口三味線はそれとはまた別の話で、演奏するにあたり、音の呼称を糸ごとに押える音色で区別したものである。
 独眼竜さんをたびたび例にたとえて恐縮だが、ちょうど口三味線を説明しやすいエピソードがある。自分は同じ音を弾いているから間違っていないつもりなのに、おしさんから、「違うわョッ」と指摘された部分の手があるという。
 それは、おしさんが正しい。
 つまり、こういうことだ。たとえば同じ高さの音でも、三の糸の開放絃テンと、二の糸を押えて出した音ツンとは、明るい感じの開放絃と、くぐもった感じの指で押えた音と、音質が違う。糸の太さも違うから当然音色が変わる。だから違う音なのだ。
 
 ちなみに、よくいわれる「チントンシャン」は口三味線である。
 チンは三の糸を押えたときの口三味線。トンは前記したように二の開放絃。シャンは二と三の糸を二本一緒に弾いたとき。…ね、すぐに弾けたでしょう?
 一つの道に精進を重ねた本職さんの、直感に基づく言葉というのは、端的に真実を伝えていることがある。千に一つも無駄がないのだ。


追記:ある現代邦楽の名曲とは、杵屋正邦先生の「明鏡」です。

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日本三大仇討①

2010年05月28日 23時58分00秒 | お稽古
 五月二十八日ごろに降る雨を「虎が雨」という…といっても旧暦の五月廿八日なので、本来の季節は梅雨の最中。もっと空が悲しい感じに曇っていて、どんよりした雲が低く垂れこめている。
 虎が雨の「虎」は、タイガーマスクでも、柴又の寅さんでも、金語楼のおトラさんでもなく、大磯の虎御前という遊女のことである。平たくいえば「虎の雨」。六甲おろしの風に吹かれて甲子園球場で雨が降りコールドゲーム。トラキチ、ボー然の虎が雨…というわけではない。
 自分の間夫が討ち死にしてしまったので、悲しくて泣いている。それで空から雨が降ってくるのである。

 …って、ドロップスの歌みたいなメルヘンになってますが、ちゃうちゃう。
 旧暦の5月28日は曽我兄弟が富士の裾野の巻狩りで、苦節十八年、父の敵である工藤祐経(すけつね)を討ち取った日なのだ。工藤祐経は源頼朝にも仕えた、鎌倉幕府の武将である。この仇討は、日本三大仇討の一つで、江戸歌舞伎では重要な意味を持つ人気演目となっている。
 …というのは、一富士、ニ鷹、三茄子…縁起のいい初夢じゃなくて、三大仇討の覚え方なのだが、三大仇討の二は忠臣蔵(赤穂の浅野家の家紋が違い鷹の羽)、三つ目は荒木又右衛門、伊賀上野は鍵屋の辻の仇討。ということで、ほかの二つは上方のものだが、唯一、将軍家お膝元の関東のものである曽我兄弟の仇討は、江戸で好まれたのである。お正月の初春狂言には、必ず、曽我兄弟の仇討のバリエーションの演目(これを曽我物という)を興行するのが習わしだった。

 何よりも、単純でわかりやすいキャラクター類型と筋立てが、明快で関東らしい。
 曽我兄弟は、兄を十郎祐成(すけなり)、弟を五郎時致(ときむね)。兄が和事の二枚目で、弟が荒事の若武者。兄は鳥の、弟は蝶の柄の、ともに浅黄色の小袖を着ているのがトレードマークである。能の「小袖曽我」は、兄弟がいよいよ仇討に出かけるので母に暇乞いをしに行き、小袖を拝領するという、勇ましい謡が印象的な演目である。
 弟の五郎のほうが江戸歌舞伎のメインである荒事の演目で主役になるから、この兄弟は「曽我の五郎十郎」と、弟が先にくる。

 五郎の恋人が化粧坂(けわいざか)の少将。十郎の恋人が最前の大磯の虎で、武運つたないお兄さんは、仇を果たしたものの、同日討ち取られてしまう。
 虎が雨は、晴らした仇のうれし涙か…いや、やっぱり戦死した恋人を悼む涙でしょうなあ…。梅雨の末期には、とめどもなく雨が降る。

 長唄に「五郎(時致)」、踊りでは「雨の五郎」というタイトルで上演される曲がある。こちらは、雨が蕭々と降るなかを、傘をさした五郎が、廓の化粧坂の少将のところへ通うという、他愛ない内容ながらも、歌詞と曲調に色気があって艶やか、そして爽やかな名曲である。

 そんなわけで、旧暦五月廿八日、曽我兄弟が敵討ちをした日に降る雨を、虎が雨というのである。

 今でも、国道一号線、東海道の大磯駅入り口付近にある和菓子屋さんで、たしか、虎が餅とかいうお饅頭を売っているはずである。お店の名前は……スミマセン、失念しました。
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六段

2010年05月18日 00時15分12秒 | お稽古
 「六段」といっても、将棋の棋士先生のお話ではない。「六段の調べ」。筝曲である。
 作曲したのは八橋検校。この八橋検校が72歳で亡くなった1685年の同じ年、ヨーロッパではバッハとヘンデルが誕生している。作曲家として誕生したのではなくて、赤子としてこの世に生を享けた年である。…えへん。日本の音楽って、すごいんどすぇ。
 この六段の調べは、たぶん、そうとは知らず、知らず知らずのうちに現代の日本人が耳にして、記憶している邦楽のひとつだと思う。何とも言えず美しい旋律で、そこはかとない切なさを含んでいる。
 このメロディは長唄にもよく取り入れられていて、「羽根の禿」とか、「五郎」の上調子や、「助六」でも演奏される。そうそう、記憶も新しい先月、最後に聴いた歌舞伎座の舞台の音楽は、六段だった。そのころ、偶然にも私は、地元の演奏会の「蜘蛛拍子舞」のトメのお役目を頂いて、精魂こめて六段をさらっていた。忘れ得ぬ六段ばやりの平成22年の4月だった。
 長唄における六段は、単独で演奏しないで、主旋律にそえて演奏されることが多い。
 主旋律と副旋律、本手と替え手というような関係ではない。
 不思議なことに、主旋律とは全然違うメロディなのに、一緒に演奏して、なおかつ、すばらしい演奏効果を上げるのだ。たぶん、この使われ方は、西洋音楽理論で武装した方には理解できないかもしれない。
 全然違うものを合わせて、絶妙に合わせちゃうという…日本人の発想、というか、感性って、すごい。
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うなる風(続・近江八景)

2010年05月04日 22時33分11秒 | お稽古
 よく知っているはずのものを、改めてしみじみよくよく見てみると、急に今まで思いもしなかったことに気づく。
 いつもは稽古場で話して説明していたことを、こうして文章に変えて説明してみたら、おや?と、立ち止まって、顎に指を当てて考え直すことが出てきた。
 近江八景のなかで、今まで仲間はずれの音の風景について説明してきたが、ここへ来て、コウモリ的立場の両面性を持つ景色があることに気がついたのだ。

 ひとつは「粟津の晴嵐」。天気のよい日に、ものすごい風圧で吹きまくる山おろし。
 これは、よく考えてみたら、風に鳴る松林の音の、松籟の風景でもあるまいか。
 海岸沿いには千本松原とかいうような、防風林がよくあるものだ。時代劇では街道をゆく旅人さんが、振り分け荷物を肩にかけた縞の回し姿で、松の根方を往き来する。焼津の半次がアイドルだった小学生の私は、通学路を街道に見立て、登下校時、旅人さんごっこをしていた。その心持ちで往来すれば、見馴れた商店街や道端の雑草すべてが、旅情だった。

 先年、松本清張『ゼロの焦点』のヤセの断崖に行きたくて、羽咋から東尋坊を経て海岸線を北上したとき、琳派の松そのままのような松の枝ぶりの景色に感激した。
 茶の湯の風炉、釜で湯を沸かすとき、ゴウゴウと釜の鳴る音が、松の風に鳴る音に似ていて、松籟という銘のある名物もある。…風流でんな。

 それに私、風が天駆って唸っている、風鳴りの音がものすごく好きなのだ。とくに夜中に、あのびょうびょうという音を聞いていると、瞑い、雄渾たる雲がわく天空を、龍がとぐろを巻いて泳いでいるような気がする。昔の人の想像力は、実に率直である。
 そういえば、犬吠埼に行ったとき、岬の先に立つと、太平洋から巻いてくるものすごい強風にさらされて、びょうびょうとすごい風音がして、本当に、これは犬が吠えているかのような状況を映した地名なのだと、感動した。日本古来の犬の鳴き声の擬音は「わんわん」ではなく「びょうびょう」なのだ。

 垣根を吹き抜ける風のびゅうびゅう鳴る音に、虎落笛(もがりぶえ)という命名をするくらいだから、日本人って、風に吹かれてるのが好きな民族なんじゃないかしら。
 もし同好の士がいらしたら、これはまた場所が違うが、ぜひ、伊良湖岬のビューホテルに泊まることをお勧めする。夜もすがら、海原を渡り、砂浜と断崖、木々を鳴らす風が、実にしみじみとした風音を奏でるからだ。私が行った平成5年前後のころは、さらに宿の窓から沖合の漁火が見えて、晦い海と風が渡る音のハーモニーの風景の、もう、その旅情たるや…! 何に譬えん、というぐらい素晴らしかった。

 そしてその夜明りを想い出すにつれ、さらにもう一つ疑念がわいてきたのが「唐崎の夜雨」。
 しっとりして、♪ン、夜のあぁめぇ~と一節呻りたくなる夜の雨の風情。大人には遣らずの雨、というのもあるけれど、夜降る雨を、子どものころ、生まれ育った家の二階の窓から眺めるのが好きだった。今はもうないので、見ることはできないのだけれど、玄関先の門扉のわきの金木犀の、雨に濡れた木の葉に、街頭の水銀灯の光が反射して、キラキラしてきれいなのだ。まるで木の枝に星がひっかかって輝いているようで、ファンタジーの極みだった。
 …しかし、考えてみたら、街灯がない昔、こういう景色はなかったわけで、雨が降っているのだから、月明かりも星明かりもない。漁火だってない。油代が高いから、夜なべ仕事もそうそうはすまい。
 夜の雨が屋根に当たってはじける音って素敵だ。ひょっとしてこれなのか…??
 でもそれって、アメリカの50’sじゃあるまいし、トタン屋根にはじける音だよね…いやいや、待てよ、あ、そうそう、雨戸だよ、雨が板戸に当たってはじける音ってのも考えられるよね…もとい、篠突く雨だ! 琵琶湖岸の蘆の原に、ザアザア降りかかる雨の音ってのもあるョ、湖に降りそそぐ雨音もある…と、湧き出る疑問は尽きることがなく、一人問答を繰り返すのだった。

 そういえば、樹に引っ掛かったお星さまを眺める愉しみって、最近見かけないけどなんでだろう…と思い入るに、そうだった。街中が明るくなってしまったからだ。
 住宅街でも夜っぴいて、ティンクルティンクルしている電飾が、あちこちに出没するようになったからだ。…昔に帰って、夜は静かに、暗闇の風景を観たい。
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音の風景

2010年04月27日 11時00分03秒 | お稽古
 今も存続しているだろうか。昭和の終わりごろよく聴いていたNHK・FMの「音のある風景」という番組が好きだった。記憶だけで書いているので間違っていたらごめんなさい。
 …踏切のカンカンという鉦の音、通り過ぎていく列車の風音、連結部の軋み、レールの響き。またあるときは、風鈴の音色、物売りの商い声……。
 さかしい、無遠慮な説明は一切ない。ラジオの音だけの放送で、収録してきたその景色と世界を想像させる、素敵な、すばらしい発想の番組だ。これは、すべての事象を愛でる日本人の感覚ならではの産物だろう。LAのラジオ放送で、アメリカの西海岸のビッグウェーブの音をしみじみと聴く、なんて図は想像できない。

 溝口健二監督の「雨月物語」など、銀幕のなかだけで空想していた琵琶湖へ、初めて訪れてみたのは昭和の終わりごろだった。長閑で柔らかい、水と陽の光に暖かく包まれて育まれた、近江の湖のほとりがとても好きになって、それから湖畔をたびたび訪ね、訪ねるたびに、ますます好きになった。なにしろ琵琶湖は広いので、行き尽き観尽くすことがないのだった。
 生まれ育った土地である関東の雑木林も風情があって私は好きだが、歴史が浅いせいか、原生林のような鋭角的な厳しさが風景の中にある。関西の、自然の中にもすべてにすっかり人の手が入った、丸みを帯びたような景色は実に魅力的で、それはことに岡山の高梁(備中松山城)に行ったときにも感じたのだが、風景に現れる歴史の深さの違いに、感心したことがあった。

 さて、長唄「藤娘」に、近江八景が詠い込まれた部分がある。
 この、世に多くある八景ものは、本来はどんな景色でもいいというものではなく、八つの決まりごと、則るべき形式がある(それを広義に、かっきり八つではなく概数的にとらえて、四季折々の美しい花鳥風月を配して名勝を詠い込んだ「吾妻八景」という長唄の名曲もあるが、この話はまた後日)。
 原典となった中国は北宋の時代の瀟湘八景(湖南省の洞庭湖に注ぐ、瀟水と湘水の辺りのグッとくる景色を、文人画家の宋迪が八つの画題にしたもの)になぞらえて、かならず、「落雁(水辺に降り立つ雁の群れ)」、「帰帆(帆をたたんで港に帰ってくる舟)」、「晴嵐(晴れた日に吹きわたる強い山おろしの風)」、「暮雪(夕暮れ時に見える山の峰に積もった雪)」、「秋月(澄んだ秋空の名月)」、「夜雨(夜の雨)」、「晩鐘(入合いの鐘の音)」、「夕照(夕焼けが波に照り映えるようす)」の、八つの要件をつけた景色でなくてはならないのだ。

 …そして、この八つの景色のなかには、ひとつだけ仲間はずれ、というか、視点の異なる景色がある。それは何でしょう??
 はい。それは、近江八景でいえば、三井の晩鐘です。
 陽が西に沈んでいき、入合いの暮の鐘がゴーーーンと鳴る。三井寺の鐘の音の景色なのである。ほかの七景はすべてヴィジュアルの風景なのに、聴覚から、鐘の音の響きを景色と同一視して、その音色が景色に融合した、音の風景を味わうのだ。なんてファンタスティック!
 「藤娘」のこの部分は、クドキでもあり(クドキとは、歌詞に登場人物の心情が、連綿と切々と訴えるように詠み込まれている部分。たっぷり!と声がかかる、唄方の聞かせどころ魅せどころ)、その歌詞への、近江八景の詠み込ませ方の巧みさといったら、すごい。

 …♪逢わず(粟津)と三井の予言(かねごと=約束→鐘)も堅い誓いの石山に 身は空蝉のからさき(殻→唐崎)や 待つ夜をよそに比良の雪(行き) 解けて逢瀬のあだ妬ましい ようも乗せた(瀬田)にわしゃ乗せられて 文も堅田の片便り こころ矢橋のかこちごと…

 杵徳風に超訳・口語訳しますと…ほかの女には逢わないと堅く約束したのに、それもセミの抜け殻のように虚ろなことだったのか、恋にとらわれて気もそぞろにぬしの来るのを待っているのに、よそへ行くなんて、雪が解けるようなランデヴーはさぞや楽しかったのでしょうね、ああ、悔しいっ…よくもそのうまい口車に私を乗せましたね。手紙をやれども返事もなく、私の心は急かれるように苦しくて、ただ恨み嘆くばかりです…。

 近江八景にことよせて、つれない男への女ごころの愚痴を綴っている。稽古するたびに、よく出来てるよなぁ、と、ほんとうに感心してしまう。
 長唄には、何度稽古しても稽古するたびに心に響く名詞章がたくさんある。…古典って、そういうものだ。


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巻軸

2010年04月11日 18時00分10秒 | お稽古
 長唄には指揮者がいないのに、なんでぴしっと合って演奏できるんでしょうか?という質問がよくある。
 雛壇の正面、中心を境に上手に三味線、下手に唄。中心の三味線がタテ三味線、お隣がタテ唄。このタテ三味線が、オーケストラでいうところの指揮者とコンサートマスターを足したような役割を担っている。
 タテから数えてワキ、三枚目、四枚目……一番端っこに座る人をトメ、といい、巻軸(かんじく)ともいう。
 ワキはとにかく、司令塔であるタテの意向を、三枚目以降の人に伝えなくてはならない。隣の人の音を聞いてそれに合わせていたんじゃ遅い。どうしたってズレてしまう。
 撥を揃える。これが基本である。どんなに多人数で弾いていても、一人が弾いているように聞こえなくてはならない。
 で、トメの人は一番修業年数が少ない人かというと、さにあらず。
 多人数が撥を揃えて弾いても、みんながみんな同様の腕前というわけにはいかないから、中弛みが出たりする。「あれ?音がずれて聞こえてるよ」と、いっこく堂が言うような場合が生じたりするのだ。
 これを阻止し、タテの意向を気取り、ぴたりとタテの撥に揃えて、端っこで音の暴動を抑える重責を担っているのがトメの役割なのである。だから、演奏効果を高める上調子や替え手などを、手慣れた感じで入れることのできる熟練さが要求される。
 掛け軸を床の間に飾るとき、また、巻くとき、巻物の軸があるからこそ、キチンと下に垂らすことができ、きっちり巻くことができる。
 そんな重要な職責を持っているのが、巻軸である。
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時雨西行

2010年04月01日 01時02分15秒 | お稽古
 山頭火の「うしろ姿の時雨ていくか」は、雲水の峻厳な果てしない旅程を感じさせて、時雨どきの寒々とした季節感がしみじみと偲ばれるけれども、同じ雲水の西行法師をモチーフにした長唄『時雨西行』は、その曲調の優美さもあるのか、なぜだか、花散る宵のイメージがある。
 昔、玉三郎が、歌舞伎座で勤めたときに、桜の花びらが散っていたような記憶もある。夢枕獏が大和屋のために書き下ろした芝居と、記憶が錯綜してしまったかもしれない。
 今日は旧暦だと如月の十六日。
 西行が「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と歌った、そんなころ。
 春爛漫と桜が咲きそろうのと、月が満月になるのと、同時にやってくる年はそうそうないから、今年はとても西行法師を偲ぶのによいめぐり合わせなのだ。
 
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勧進帳

2010年03月25日 01時38分38秒 | お稽古
 太陽暦の暦だと、どうも長唄の歌詞の説明をしづらいので、太陰太陽暦の暦を取り寄せて使っている。
 明治5年に日本の暦は太陽暦に変わってしまったから、どう考えたって、和歌や俳諧、古典文学の季節感がしっくりくる日本人というのは、だいぶ前にいなくなってしまっているわけで、実際に旧暦の暦が手近にあると、想いを致し易くたいへん有難い。
 聞くところによると、農業に携わる方々は、今でも旧暦を基準にして作付けをしているらしい。そのほうが、気候に合って、思いがけない遅霜などの冷害にあわずにすむということだ。さすが、太陰太陽暦は農耕民族の知恵の結集なのだ。太陽暦は、遊牧民族のものだもの。
 旧暦の暦は、閏月があったりして、何かと面白い。
 何年前だったか、慶応4年と同じ4月が閏月だった年があって、これだけ暑くなれば戦のあとの上野山のむくろはさぞや凄惨な状況だったのでしょうね…とか、いにしえの出来事を改めてなぞると、実に真に迫ってしみじみする。梅雨は梅雨でも末期の大雷夜雨だから、この奇襲戦法が功を奏したんだなとか、やっぱり、ここで降り積む雪を踏み分けて、討ち入ったのは当然でしょうとか、実感できて興味深いのだ。
 で、本日、2010年3月25日は、旧暦だと平成廿二年の二月十日。
 如月の十日である。
 この夜、奥州へ落ちる義経主従が都を出立する。勧進帳の幕明きである。

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my楽器

2010年03月21日 00時44分36秒 | お稽古
 何か一つ、自分が奏でることのできる楽器を持ちたい…というのは、万人が抱く夢ではないだろうか。
 思えば、私は音楽がとても好きだったが、学校で習う音楽の授業は得意ではなかった。
 幼稚園の時オルガンを習わされていたが、幼い私にはどうしても、あのフガフガ鳴るアヒルの啼き声のような音が好きになれなくて、泣きながら通っていた。オルガンができそうならピアノに進ませようと思っていた母は、私に音楽系のお稽古をさせることを諦めたらしい。…そんなら最初からピアノにしてくれたらよかったのに。
 高校生になってギターを買ってもらった。エレキじゃなくアコースティック。禁じられた遊びとか、アルハンブラの想い出とか、妙なる調べをカッコよく弾いてみたかったのだが、どういうわけか私にはコードが覚えられなかった。
 それから、私のmy楽器探しの旅は続いた。MGM映画が好きだったので、クラリネットでスウィングジャズを演奏しながらタップを踏む寄席芸人になろう、とか、本気で考えていたこともある。
 そのころすでに二十歳前後になっていたが、そのころ妙に、日本古来のメロディ、音楽に心惹かれるようになっていた。
 そこで、クラリネットのお稽古を1年ほどで断念して、長唄のお稽古に通うようになったのだ。三味線は弾けば弾くほど面白くなる。ギターのコードも覚えられなかった私が、これは奇跡の巡り逢いだった。
 西洋音楽の音楽理論はそれはそれで素晴らしいものだが、音楽はそれだけじゃない。
 邦楽は、ドレミという符号とも、12音階の音楽理論とも、全く別の世界で生まれた日本独自の音楽なのだ。
 馬に乗るとき、西洋と日本とでは逆側から乗るように、鋸で木を切るとき、日本は引いて、西洋では押して切るように、日本の提灯が横に竹ひごが通ってて畳めるけど、中国の提灯は竪に竹が通してあって畳めないように、東洋と西洋とではすべての発想の起点が逆なのだ。
 それはどちらが優れているとかの、優劣をつけるべきものじゃなくて、全く違う発想のもとに立脚しているものだから、相手を己がほうの尺度で測って、どうこういうものでもないのだ。
 中学校で三味線の体験授業を行うたびに、音楽の授業が苦手な生徒さんほど、音楽の別の魅力を発見して、音楽を好きになってほしい、と思う。
 西洋がだめでも東洋があるさ。同じDNAを持つ日本文化から誕生した邦楽をやってみてほしい。
 きっと、諦めていたmy楽器が見つかるかもしれない。
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