長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

お膝送り願います。

2010年06月28日 21時30分05秒 | 落語だった
 かつて、景気のよかった時分の、就業人口が極度に高かった朝夕の電車のラッシュは、こんなものじゃなかった。
 でも、今、電車に乗ると、そんなに乗客が多いわけでもないのに、やたらと乗りづらいのだ。
 そんなとき思う。「つめなきゃ」。もうちょっと詰めてもらえませんかねぇ…。

 公共の場所で、自分の家のリビングにいるように、気ままにふるまわれても困る。まあ、そう思っても、自分自身、憎まれっ子になる腹も据わってないから、いじわるばあさんのように叱りつけることができるわけぢゃなし、あぁ、この人は自分の家に居場所がないから、こんな電車の中なんかで存在感をことさら示しているわけね…と憐れんでみる。
 そう思って溜飲を下げようとしている自分も忌々しい。

 昭和の50年代後半のこと。まだまだ沿線に田園が多く、田舎の電車といった風情があった井の頭線に、平日の昼下がりに乗った。ガラガラの車両の中に入ったら、ドア付近のイスに、若者が長い脚を組んで投げ出して座っていた。
 しばらくして、その若者の座るすぐわきのドアから老紳士が入ってきた。退役軍人のように背筋のピィンとした、鷲鼻のキリッとした、矍鑠としたその紳士は、無言で、持っていたステッキで、ポーンと、その若者の脚を叩いた。
 若者は自分の所業に恥じたように、ササッと居住まいを正して、椅子に座り直した。

 ひゃあぁぁ~~その鮮やかな老紳士の動作に、私は惚れ惚れした。今なら、なんだその暴力行為は!と問題になるかもしれないが、チョーかっこよかったのだ。
 威厳があるとはこういうことなのね。刑事コロンボに出てくる超タカ派のUS海軍のキャプテンみたいだった。あきらかに、戦争を知っている、いや、戦ってきた年代だったんだろう。

 あれから三十年近くが過ぎて、そういう大久保彦左衛門のような、いかにもうるさ型のご老体というキャラクターは、めっきり見かけなくなった。虚構世界のドラマの中でさえも、みんなやたらと物分かりがいい。
 …それにつけても、街なかに多少の規律があってもいいんじゃないかと思う。のんべんだらりとペタペタ天下の大道を歩いてて、なんだか腑抜けたことはなはだしい。もうちょっとしゃっきりしたほうがいいンじゃなかろか。

 平和なのはもちろんいいことだけれど、警戒心がなさすぎる。危険なことが起きると何でも他人のせいにして、少しは自分の不注意さ加減に恥じ入ったほうがよいのじゃあ…ござんせんか。
 平和ボケしている世の中を揶揄して、天敵がやってきて、毎日何人かずつ人が食べられちゃう話って、1970年代に星新一だったか、筒井康隆が新聞のコラムに書いていたけれど。
 こりゃー、韓国の兵役みたいに、軍隊でみっちり仕込んだほうがいいよ…とまでは言わないけれど、この野放図な、限りなく、ぐにゃぐにゃした背骨と気骨、どうにかならないのか。
 まったく、人間って、振り子みたいに、極端から極端に走っちゃうものらしい。
 中庸を実践することの、いかに難しいことだろう…。

 ところで、昔の劇場や寄席は椅子席ではなく桟敷だったので、込み合ってくると観客にそう言って、詰めてもらったそうである。
 昭和の終わり頃、私がよく通っていた桟敷席の寄席は、建て替える前の池袋演芸場と、上野広小路の本牧亭だった。
 しかし、あいにくとその頃の寄席は、バブル前夜に突入していく世間に忘れ去られた、アンダーグラウンドな空間だったので、えらく空いており、そう言われたことは一度もなかった。
コメント (4)
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