ここ四年ほど、海に近い町に住んでいたが、このたび再び、長らく住みなれた都下西域に戻ることになった。
家の鍵を渡し、煩雑な手続きから解放されると、熱をはらんだ陽はまだ高い。またいつ来るか知れぬ、小さな入り江の様子を見に出かけた。
三浦半島には数多くの漁港やマリーナが散在する。そのなかで最も気に入っていたのが、西海岸の中ほどにある、この入り江だ。人にあまり知られていない、小態な居心地の良さが好きだった。
ランチが一艇、帰帆する。鈍色の空は照り返しが強く、波が高い。ドッグに揚げられたヨットの白い帆柱が行儀よく並び、桟橋の突堤にはよく育ったフナムシがぞろぞろと日向ぼっこしている。
ひき潮なのか、ひと叢の海藻が波にたゆたい、沖のほうへ流されていく。
こうしてロープを結んでいる人々の間を縫ってマリーナを歩いていると、どうしても私には「刑事コロンボ」が思い浮かんでしまう。小学校高学年から中学生にかけて、毎週欠かさず見ていた。ノベライズ『構想の死角』を買ってはみたが、小学生には難しかった。ピーター・フォーク扮する彼は「太陽にほえろ!」の、露口茂演じる山さんと並んで、小学生の私の、二大トレンチコート刑事キャラだった。
そんなことをぼんやりと想い出しながら、急に降りだした雨に急かされて、海岸線を北上する。
夕日に赤い帆、いそしぎ、ダイヤモンド・ヘッド…。私が生まれ育ったのも北関東の海にほど近い田舎町だったので、週末になると、父が海岸へドライブに連れて行ってくれた。そのときラジオから流れてきた、1970年代に流行った映画音楽や楽団の、イージー・リスニングなメロディ。
日曜日の黄昏時の憂鬱。私は仕残した宿題のことを考えて、小さな胸をどきどきさせていたが、どんな天候の時でも、海は大きく、また小さく、うねりながらそこにあった。
たいがい、私たちが夏訪れる浜辺は、母の実家近くの海水浴場だった。商家だったのでトラックがあって、水着に着替えて麦わら帽子を被った私たちは、荷台に積まれてビーチへ運ばれていく。50年代のイタリア映画みたいな情景だけれど、昭和の日本もそんな感じだった。
そうそう、小学生の時、土曜日は必ずご町内のお習字の先生のところに通っていて、ただ、子供の私には、貴重な土曜日の午後の仕事はそれだけだったので、ちんたらしながら民放テレビの洋画番組を観て、制限時間いっぱいになるまでだらだらしてから、書道の稽古に出かけるのを常としていた。
ビットリオ・デ・シーカ監督の『昨日・今日・明日』、メリナ・メルクーリの底抜けの明るさにシビレた『日曜はダメよ』、ジャンヌ・モローが怖すぎる『黒衣の花嫁』とか、けっこう子供には刺激の強い洋画を、自分でも退廃志向なんじゃないかと、若干の罪悪感におののきながら、土曜日の午後の密かな愉しみに浸っていたのだ。
海水浴に行くと必ず夕立に遭って…ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』を、私は20世紀と21世紀の狭間の年に、市ヶ谷の日仏会館で観た。避暑地の海岸の風景がとても懐かしかったものだ。偶然、同時期にレコード店で見つけたサントラ盤まで購入して、何度も聴いた。昔、いつかどこかで、耳にした旋律。
『ぼくの伯父さん』は小学生のとき映画館で観た。私の父方の一番下の叔父は私が小学生のとき大学生で、よく映画に連れて行ってくれた。彼はかなりお茶目な人で、食べ終わったバナナの皮を映画館の通路に置いて、本当に人が滑るものか実験をしていた。子供心に、叔父さん、やばいよ…と思っていたが、あれはひょっとすると大学生だった叔父さんの、小学生の姪に対するサービス心の表れだったのかもしれない。
海に降る雨は、人にいろいろなことを想い出させる。
T字路の交差点に差しかかる。正面はレンガ造りの交番だ。
交番の看板をなぜ、いつから「KОBAN」なんてローマ字表記するようになったのだ。
これじゃどうしたって、ジェームズ・コバーンを想い出さずにはいられない。『電撃フリント作戦』シリーズ、カッコよかったなあ。20世紀の俳優は、どんな美形の二枚目にも渋さがあった。近年の男前は甘いばかりで…だから時代劇も面白くない。
そういえば、同様にスリの主人公が圧倒的な存在感を放つ邦画に、市川崑監督『足にさわった女』というのがあった。越路吹雪、コーちゃんが、素晴らしくカッコよかった。人を小馬鹿にしたような横顔の、キリリとした眼と鼻すじ。脇役陣も秀逸で、伊藤雄之助の弱々しい弟分が傑作だった。
脱線するが、やはり市川崑監督の『結婚行進曲』で、伊藤雄之助の踊りの師匠がこれまた絶妙だった。愛する夫・上原謙に当てつけがましいことをしてみたくて、新妻・山根寿子が、わざと上原が嫌がる踊りの稽古を再開する。山根・雄之助がシンクロして踊る稽古中の長唄「浦島」の、抱腹絶倒さ加減ときたら…あぁ、また観たい。
そうこうしているうちに彼方の山に日も落ちて、高速の入り口が近づいてきた。
逆の道順ではその枝道を見つけるのが難しい。「パピヨン」という電飾のあるバーが、夜更けて家路をたどる私の目印になっていた。久しぶりに通ったら、もうなくなっていて、新しいビルが建設中だった。
一度も入らず仕舞いだったパピヨンの、店内に想いを馳せる。うつけバーNOBUのおかまの信ママ?? いえいえ若き日の藤間紫が、しっかり仕切ってそうな感じもする。
ここを通るたび洋画『パピヨン』の、胸に蝶の刺青がある主人公の、不屈の精神力を思い浮かべていたのだ。
20世紀は、映画がたいそう面白い時代だった。ストーリーが血肉で出来ていた。そして汗と。
太陽がまぶしすぎる午後、海に挨拶したら、私の頭の中で、70年代の記憶が弾けて跳んでいった。
家の鍵を渡し、煩雑な手続きから解放されると、熱をはらんだ陽はまだ高い。またいつ来るか知れぬ、小さな入り江の様子を見に出かけた。
三浦半島には数多くの漁港やマリーナが散在する。そのなかで最も気に入っていたのが、西海岸の中ほどにある、この入り江だ。人にあまり知られていない、小態な居心地の良さが好きだった。
ランチが一艇、帰帆する。鈍色の空は照り返しが強く、波が高い。ドッグに揚げられたヨットの白い帆柱が行儀よく並び、桟橋の突堤にはよく育ったフナムシがぞろぞろと日向ぼっこしている。
ひき潮なのか、ひと叢の海藻が波にたゆたい、沖のほうへ流されていく。
こうしてロープを結んでいる人々の間を縫ってマリーナを歩いていると、どうしても私には「刑事コロンボ」が思い浮かんでしまう。小学校高学年から中学生にかけて、毎週欠かさず見ていた。ノベライズ『構想の死角』を買ってはみたが、小学生には難しかった。ピーター・フォーク扮する彼は「太陽にほえろ!」の、露口茂演じる山さんと並んで、小学生の私の、二大トレンチコート刑事キャラだった。
そんなことをぼんやりと想い出しながら、急に降りだした雨に急かされて、海岸線を北上する。
夕日に赤い帆、いそしぎ、ダイヤモンド・ヘッド…。私が生まれ育ったのも北関東の海にほど近い田舎町だったので、週末になると、父が海岸へドライブに連れて行ってくれた。そのときラジオから流れてきた、1970年代に流行った映画音楽や楽団の、イージー・リスニングなメロディ。
日曜日の黄昏時の憂鬱。私は仕残した宿題のことを考えて、小さな胸をどきどきさせていたが、どんな天候の時でも、海は大きく、また小さく、うねりながらそこにあった。
たいがい、私たちが夏訪れる浜辺は、母の実家近くの海水浴場だった。商家だったのでトラックがあって、水着に着替えて麦わら帽子を被った私たちは、荷台に積まれてビーチへ運ばれていく。50年代のイタリア映画みたいな情景だけれど、昭和の日本もそんな感じだった。
そうそう、小学生の時、土曜日は必ずご町内のお習字の先生のところに通っていて、ただ、子供の私には、貴重な土曜日の午後の仕事はそれだけだったので、ちんたらしながら民放テレビの洋画番組を観て、制限時間いっぱいになるまでだらだらしてから、書道の稽古に出かけるのを常としていた。
ビットリオ・デ・シーカ監督の『昨日・今日・明日』、メリナ・メルクーリの底抜けの明るさにシビレた『日曜はダメよ』、ジャンヌ・モローが怖すぎる『黒衣の花嫁』とか、けっこう子供には刺激の強い洋画を、自分でも退廃志向なんじゃないかと、若干の罪悪感におののきながら、土曜日の午後の密かな愉しみに浸っていたのだ。
海水浴に行くと必ず夕立に遭って…ジャック・タチの『ぼくの伯父さんの休暇』を、私は20世紀と21世紀の狭間の年に、市ヶ谷の日仏会館で観た。避暑地の海岸の風景がとても懐かしかったものだ。偶然、同時期にレコード店で見つけたサントラ盤まで購入して、何度も聴いた。昔、いつかどこかで、耳にした旋律。
『ぼくの伯父さん』は小学生のとき映画館で観た。私の父方の一番下の叔父は私が小学生のとき大学生で、よく映画に連れて行ってくれた。彼はかなりお茶目な人で、食べ終わったバナナの皮を映画館の通路に置いて、本当に人が滑るものか実験をしていた。子供心に、叔父さん、やばいよ…と思っていたが、あれはひょっとすると大学生だった叔父さんの、小学生の姪に対するサービス心の表れだったのかもしれない。
海に降る雨は、人にいろいろなことを想い出させる。
T字路の交差点に差しかかる。正面はレンガ造りの交番だ。
交番の看板をなぜ、いつから「KОBAN」なんてローマ字表記するようになったのだ。
これじゃどうしたって、ジェームズ・コバーンを想い出さずにはいられない。『電撃フリント作戦』シリーズ、カッコよかったなあ。20世紀の俳優は、どんな美形の二枚目にも渋さがあった。近年の男前は甘いばかりで…だから時代劇も面白くない。
そういえば、同様にスリの主人公が圧倒的な存在感を放つ邦画に、市川崑監督『足にさわった女』というのがあった。越路吹雪、コーちゃんが、素晴らしくカッコよかった。人を小馬鹿にしたような横顔の、キリリとした眼と鼻すじ。脇役陣も秀逸で、伊藤雄之助の弱々しい弟分が傑作だった。
脱線するが、やはり市川崑監督の『結婚行進曲』で、伊藤雄之助の踊りの師匠がこれまた絶妙だった。愛する夫・上原謙に当てつけがましいことをしてみたくて、新妻・山根寿子が、わざと上原が嫌がる踊りの稽古を再開する。山根・雄之助がシンクロして踊る稽古中の長唄「浦島」の、抱腹絶倒さ加減ときたら…あぁ、また観たい。
そうこうしているうちに彼方の山に日も落ちて、高速の入り口が近づいてきた。
逆の道順ではその枝道を見つけるのが難しい。「パピヨン」という電飾のあるバーが、夜更けて家路をたどる私の目印になっていた。久しぶりに通ったら、もうなくなっていて、新しいビルが建設中だった。
一度も入らず仕舞いだったパピヨンの、店内に想いを馳せる。うつけバーNOBUのおかまの信ママ?? いえいえ若き日の藤間紫が、しっかり仕切ってそうな感じもする。
ここを通るたび洋画『パピヨン』の、胸に蝶の刺青がある主人公の、不屈の精神力を思い浮かべていたのだ。
20世紀は、映画がたいそう面白い時代だった。ストーリーが血肉で出来ていた。そして汗と。
太陽がまぶしすぎる午後、海に挨拶したら、私の頭の中で、70年代の記憶が弾けて跳んでいった。