長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

Tutti,dormono! (「誰も寝てはならぬ」の、ハンタイ)

2015年07月18日 11時55分55秒 | マイノリティーな、レポート
 “Nessuno dorma”という名曲が一時流行りました。(いえ、スタンダードな名曲ですからこういう言い方はいけないかもしれません)
 それはいつだったかの亥年の前年でのこと、その流行りものから年賀状の絵柄を考えに考え抜いて…ぃぇ、ほんの想いつきだったりもしますが…“山崎街道でイナバウアー”というタイトルの下、新干支のイノシシが山崎街道で仰け反って花道を踊り去る…という御摂つきの安宅勧進帳をも狙った意匠が私の頭に降りてきました。
 しかし、よくあることですが、それは年越しの諸事に紛れ、偉大なる構想のみが生まれるにとどまったのです。

 …そんな話をするつもりじゃなかったのですけれども。
 歌舞伎や文楽、能…伝統芸能の舞台をせっかく観に行ったのに、寝てしまったんです…なんたること…と、悲しそうに告白して下さる方がいらっしゃいます。
 トム・ジョーンズになって「よくあることさ」と慰めるというよりも、私はむしろ、
 「それはよかった、もっとよく寝てください、そしてリフレッシュしてくださいな、それが日本の伝統音楽の本来なのですから…」
 という前向きなスタンスでの観劇をおすすめしたいのです。
 
 いえ別に自棄になってるわけじゃありませんょ。
 世界各国の楽器や声楽の音の成分を比較研究し、チャートに表した研究家の先生の講義を先般、放送大学で拝見しました。
 純粋な音のみを追求して行った欧米の楽器とは違い、日本の音楽には雑多な混ざりものを有する特性があります。そして、それであるからこそ、その音色には、揺らぎ成分がまことに多く、精神の癒しになるそうなのです。
 心地よく癒される。それが日本音楽の特質なのです。
 だから、睡眠時間の多寡にかかわらず、観客の皆さまを眠りへ誘う…そういう側面を持っているのが、日本の伝統芸能なのです。

 勉強するのではなく、ひとときの癒しを求めて、伝統芸能に触れてください。
 そして、寝てしまったら、再チャレンジして、また寝るもよし、寝てしまって分からなかったところをもいっぺん聞いてみよう、でもいいのです。
 そうして伝統芸能に触れることが日常茶飯事となって、あなたの血肉に潜んでいた日本人のDNAが活性化し、あまりにもかまびすしく推移する時代の奔流に覆われていく日常に、心安らぐひとときが訪れますことを、願ってやみません。

 「欧米の音感で演奏する邦楽が、なぜ情感を生まないのか?」は、次回『しみじみの研究(仮)』でお話ししたいと思います。
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