せかせかと忙しなく過ごしてしまう時間帯、夕暮れ時にさっぱりとした心持ちで東の空を眺めるひと時の、なんと少ないことか。日出る国の民としては、どうしたって沈みゆく夕陽を眺めてしまいがちですから、雲と見分けがつかぬほどの、光を放つ前の白っぽい半透明な月影が、何の気なしに投げた視界に入ってくると、無防備な心がドキン…!!としてしまいます。
ふと見上げたビルの谷間の先に、ぽっかり浮かんだ月を見つけた時の、何とも言えぬ胸のさやけさ。アンデルセンの「絵のない絵本」を…私の年代ですと、いわさきちひろの絵で…ほのぼのと想い起こします。
そしてまた小学6年生頃でしたか、谷川俊太郎訳、堀内誠一絵「マザーグースのうた」という絵本を、本棚の特に大事な本のスペースに置いていた私は「…僕が月を見ると、月も僕を見る。神さま、月をお守りください。神さま、僕をお守りください…」とかいうような詩編を想い出すのでした。
田中絹代が監督した「月は上りぬ」という映画を、今は亡き築地の華僑ビルで見せていただいたことがありましたっけ。バンツマの「月の出の決闘」なんてのもありましたね。ほかにも何だかいろいろと…生まれたての月を東の空に見つけたとき、人はどうしてこうもロマンチックな心持ちになってしまうのか。…危険ですね。
日本人が無条件でぐっと来てしまうキーワード、私は常々“しみじみ”と“ほのぼの”が双璧ではないかと思っております。(ほのぼのの研究に関しては、乞う、次稿をお持ち下され度)
そんなわけで、ほんものはもっとグッときちゃう素敵な色合いだったのだけれど、2018年1月1日の夕間暮れに浮かんだ月をご覧くださいませ。満月かと思ったのですが、旧暦霜月、十一月十五日の月で翌2日がフルムーンでした。
盆と正月が一緒に来た、と俗に言いますが、正月と七五三が一緒に来たのが平成30年の元日だったのです。祝祭日を固定された日にちでなく、連休になっていいじゃないかねぇ…という方向性で月曜日にしたのは日本民族にとっては悲劇でした。自分の都合によって横紙を破る…筋の通らぬことを潔しとしない国民性が希薄になったのです。ほんでもって、ああた、下手にスカイツリー、上手に東京タワーも写っとるでよぉ。
…そいえば、一昨年の秋のこと、東京駅の乗り降りのゴタゴタから東海道線に乗り込んだ私は、席から立ち上がり網棚に載っている荷物を触っていたご婦人がいらしたので、「降りますか?」と訊ねた。きっぱり「降ります」とおっしゃったので、おお、座ろう、座らせていただこう、と傍らに立って待っていたところ、ご婦人は降りずに座っている、あれれ???と思って「降りないんですか?」とふたたび訊ねたところが、「おります」と、再度おっしゃった。
??? 狐につままれたていでしばし呆然としていた私…「居ります」という意味だったのね。…失礼いたしました。ぁぁ、もう、ややこしい………
正月一日に十五夜の月が浮かんじゃうなんて信じらんねぃ、インクレディブル…!!と、明治6年以前の方々はお思いになったことと思います。晦日に月の出る廓(さと)、吉原の夜間照明が明かる過ぎて…という意味だけじゃありません、そんな常識じゃ信じられない、考えられないようなことが起きる街…まぁるい卵が四角だったりするような、とんでもない場所のことでありますね。
歴史がはぐくんできた価値観や定見が吹っ飛んだ、トンデモナイところになったような気がするのが、このところの日本なのでした。
平成卅年ともなりますと、そういう一般社会とは区切られた特殊な地域の出来事が、当たり前にいろいろ起こります。
劇的なお話は本物のニュースに譲るとして(しかしなんだってまぁ、昔は「ペンは剣よりも強し」という格言があったほど、報道に携わる方々には矜持があったものでございますょ…)まぁ、些細なお話を一つ。
この松の内に、最寄り駅前からバスに乗り込んだと思いねぇ。出発までまだ間がある停車中の、空いたバスの最後部座席に進んだ私の耳に入ってきた小学生のお言葉「お金があればなんだってできるんだょ」。吃驚してその言葉の飛んできた方向を見てみましたところ、塾帰りとおぼしき女の子二人、男の子三人の子どもばかりの高学年の五人グループ。声の主の男の子はボリボリムシャムシャと、バスの二人掛けのシートに座り、五百円玉と同じくらいの小さいお煎餅をこれまた細長い袋から取り出して食べながら、口からお煎餅の欠片が零れ落ちるのも厭わず、しゃべっておりました。口を動かす場合は、しゃべるか食べるかどちらかにしなさいと言われたことはないのか、口も経済活動重視で合理性を目指しているのでしょうか…ぁぁ無残。
いくら頭がよくて将来の日本をしょって立とうという人材でも、いかんせんお行儀が悪すぎます。お家では最低限のきちんとした人間のあるべき人となりを、何も教えてもらえないんでしょうか…
公共機関だからもっと静かにしゃべりなよ、お前は地声が大きいんだよ、通学バスは公共機関なのかなぁ…と、聞くでもなくいろいろな話し声が聞こえます。たぶん皆さん成績はよく、頭の良い小学校4、5年の一団なのでしょう。
しばらく黙って通路を隔てた斜め後ろの席に座っていたのですが、彼らのけたたましさにたまりかねて私「あのね、もうちょっと静かになさい、公共機関なのだから」と(彼らの会話を逆手に取っってしまったのは些か子供じみていたかもしれないと反省しつつ)大人としてたまりかねて、静かに丁寧に(彼らのトラウマにならないように…)たしなめました。
彼らはぴたりと(注意を受けたことに吃驚してか)静まりましたが、バスが出発して幾停留所も過ぎぬうち、ひそひそと、生活指導のBBAみたいないけ好かない…と聞こえよがしに話し始めました。…仕方ないなぁもう。
女子二人は静かに座っていましたが、男子三人はバーリバリのボォリボリと食べることに重点を置いたようでした。
しばらくして、街道途中の停留所から農家のおじいちゃんとおぼしき旦那さんが乗って来て、彼らの隣に座りました。
そして、傍若無人な彼らの散らかしっぷりに思うところがあったのでしょうか、一人ずつ別々の停留所で降り始めた彼らに「ほら、忘れ物だよ、ほら!」と、座席に放置されたお煎餅の大きい食べくずのかけらを渡したのです。…やるじゃん、おじいちゃん!
降車ドアへ逃げるように進んだ男の子の一人は、でも険しい眼つきでおじいちゃんを睨んでいました。
いつ頃からそうなったのでしょう、この子どもたちだけではなく、人の注意を素直に聞けず、自分の至らぬことを顧みず、みっともないよと、教えてくれた相手を逆恨みするようになったのは。客観的な意見を反芻し、受け止めて反省しなきゃ、現状からの成長は望めませんで。生まれた時から出来上がってる人間なんて、お釈迦さま以外そうそういませんょね。
そいえば昭和の終わりごろの新聞の投書欄、あのころすでに、他人の子どもに注意すべきか否か、という論争が起きたことがありました。何を言うのだ、社会が子供を育てるのだから、悪いこと、いけないことをしているのを見かけたら、他人の子どもでも叱ったり注意するのは当たり前だのクラッカー…というのが、私が育った昭和のころの通念でした。
しかし昨今、電車の中での傍若無人な有様を注意したところ、その女の子にホームから突き落とされた、という出来事を耳にしたりして、この21世紀の平成の世の中は、もう怖くて他人に注意することなんてできません。
だいたい暴力は絶対いけない、根絶すべきである…と言いながら、渇かぬ舌で、素手で殴りあう戦闘ゲームの宣伝をしているではありませんか、マスコミ様は。
多様性とは異なる間違った思い込みの人間がたくさん育って、勘違いを通り越し、野放図な理不尽がまかり通る、恐るべき時代に突入しております。子どものころから刷り込まれた無道を、大人になってから直すのは無理じゃないでしょうかねぇ…。
こわやこわや…
ふと見上げたビルの谷間の先に、ぽっかり浮かんだ月を見つけた時の、何とも言えぬ胸のさやけさ。アンデルセンの「絵のない絵本」を…私の年代ですと、いわさきちひろの絵で…ほのぼのと想い起こします。
そしてまた小学6年生頃でしたか、谷川俊太郎訳、堀内誠一絵「マザーグースのうた」という絵本を、本棚の特に大事な本のスペースに置いていた私は「…僕が月を見ると、月も僕を見る。神さま、月をお守りください。神さま、僕をお守りください…」とかいうような詩編を想い出すのでした。
田中絹代が監督した「月は上りぬ」という映画を、今は亡き築地の華僑ビルで見せていただいたことがありましたっけ。バンツマの「月の出の決闘」なんてのもありましたね。ほかにも何だかいろいろと…生まれたての月を東の空に見つけたとき、人はどうしてこうもロマンチックな心持ちになってしまうのか。…危険ですね。
日本人が無条件でぐっと来てしまうキーワード、私は常々“しみじみ”と“ほのぼの”が双璧ではないかと思っております。(ほのぼのの研究に関しては、乞う、次稿をお持ち下され度)
そんなわけで、ほんものはもっとグッときちゃう素敵な色合いだったのだけれど、2018年1月1日の夕間暮れに浮かんだ月をご覧くださいませ。満月かと思ったのですが、旧暦霜月、十一月十五日の月で翌2日がフルムーンでした。
盆と正月が一緒に来た、と俗に言いますが、正月と七五三が一緒に来たのが平成30年の元日だったのです。祝祭日を固定された日にちでなく、連休になっていいじゃないかねぇ…という方向性で月曜日にしたのは日本民族にとっては悲劇でした。自分の都合によって横紙を破る…筋の通らぬことを潔しとしない国民性が希薄になったのです。ほんでもって、ああた、下手にスカイツリー、上手に東京タワーも写っとるでよぉ。
…そいえば、一昨年の秋のこと、東京駅の乗り降りのゴタゴタから東海道線に乗り込んだ私は、席から立ち上がり網棚に載っている荷物を触っていたご婦人がいらしたので、「降りますか?」と訊ねた。きっぱり「降ります」とおっしゃったので、おお、座ろう、座らせていただこう、と傍らに立って待っていたところ、ご婦人は降りずに座っている、あれれ???と思って「降りないんですか?」とふたたび訊ねたところが、「おります」と、再度おっしゃった。
??? 狐につままれたていでしばし呆然としていた私…「居ります」という意味だったのね。…失礼いたしました。ぁぁ、もう、ややこしい………
正月一日に十五夜の月が浮かんじゃうなんて信じらんねぃ、インクレディブル…!!と、明治6年以前の方々はお思いになったことと思います。晦日に月の出る廓(さと)、吉原の夜間照明が明かる過ぎて…という意味だけじゃありません、そんな常識じゃ信じられない、考えられないようなことが起きる街…まぁるい卵が四角だったりするような、とんでもない場所のことでありますね。
歴史がはぐくんできた価値観や定見が吹っ飛んだ、トンデモナイところになったような気がするのが、このところの日本なのでした。
平成卅年ともなりますと、そういう一般社会とは区切られた特殊な地域の出来事が、当たり前にいろいろ起こります。
劇的なお話は本物のニュースに譲るとして(しかしなんだってまぁ、昔は「ペンは剣よりも強し」という格言があったほど、報道に携わる方々には矜持があったものでございますょ…)まぁ、些細なお話を一つ。
この松の内に、最寄り駅前からバスに乗り込んだと思いねぇ。出発までまだ間がある停車中の、空いたバスの最後部座席に進んだ私の耳に入ってきた小学生のお言葉「お金があればなんだってできるんだょ」。吃驚してその言葉の飛んできた方向を見てみましたところ、塾帰りとおぼしき女の子二人、男の子三人の子どもばかりの高学年の五人グループ。声の主の男の子はボリボリムシャムシャと、バスの二人掛けのシートに座り、五百円玉と同じくらいの小さいお煎餅をこれまた細長い袋から取り出して食べながら、口からお煎餅の欠片が零れ落ちるのも厭わず、しゃべっておりました。口を動かす場合は、しゃべるか食べるかどちらかにしなさいと言われたことはないのか、口も経済活動重視で合理性を目指しているのでしょうか…ぁぁ無残。
いくら頭がよくて将来の日本をしょって立とうという人材でも、いかんせんお行儀が悪すぎます。お家では最低限のきちんとした人間のあるべき人となりを、何も教えてもらえないんでしょうか…
公共機関だからもっと静かにしゃべりなよ、お前は地声が大きいんだよ、通学バスは公共機関なのかなぁ…と、聞くでもなくいろいろな話し声が聞こえます。たぶん皆さん成績はよく、頭の良い小学校4、5年の一団なのでしょう。
しばらく黙って通路を隔てた斜め後ろの席に座っていたのですが、彼らのけたたましさにたまりかねて私「あのね、もうちょっと静かになさい、公共機関なのだから」と(彼らの会話を逆手に取っってしまったのは些か子供じみていたかもしれないと反省しつつ)大人としてたまりかねて、静かに丁寧に(彼らのトラウマにならないように…)たしなめました。
彼らはぴたりと(注意を受けたことに吃驚してか)静まりましたが、バスが出発して幾停留所も過ぎぬうち、ひそひそと、生活指導のBBAみたいないけ好かない…と聞こえよがしに話し始めました。…仕方ないなぁもう。
女子二人は静かに座っていましたが、男子三人はバーリバリのボォリボリと食べることに重点を置いたようでした。
しばらくして、街道途中の停留所から農家のおじいちゃんとおぼしき旦那さんが乗って来て、彼らの隣に座りました。
そして、傍若無人な彼らの散らかしっぷりに思うところがあったのでしょうか、一人ずつ別々の停留所で降り始めた彼らに「ほら、忘れ物だよ、ほら!」と、座席に放置されたお煎餅の大きい食べくずのかけらを渡したのです。…やるじゃん、おじいちゃん!
降車ドアへ逃げるように進んだ男の子の一人は、でも険しい眼つきでおじいちゃんを睨んでいました。
いつ頃からそうなったのでしょう、この子どもたちだけではなく、人の注意を素直に聞けず、自分の至らぬことを顧みず、みっともないよと、教えてくれた相手を逆恨みするようになったのは。客観的な意見を反芻し、受け止めて反省しなきゃ、現状からの成長は望めませんで。生まれた時から出来上がってる人間なんて、お釈迦さま以外そうそういませんょね。
そいえば昭和の終わりごろの新聞の投書欄、あのころすでに、他人の子どもに注意すべきか否か、という論争が起きたことがありました。何を言うのだ、社会が子供を育てるのだから、悪いこと、いけないことをしているのを見かけたら、他人の子どもでも叱ったり注意するのは当たり前だのクラッカー…というのが、私が育った昭和のころの通念でした。
しかし昨今、電車の中での傍若無人な有様を注意したところ、その女の子にホームから突き落とされた、という出来事を耳にしたりして、この21世紀の平成の世の中は、もう怖くて他人に注意することなんてできません。
だいたい暴力は絶対いけない、根絶すべきである…と言いながら、渇かぬ舌で、素手で殴りあう戦闘ゲームの宣伝をしているではありませんか、マスコミ様は。
多様性とは異なる間違った思い込みの人間がたくさん育って、勘違いを通り越し、野放図な理不尽がまかり通る、恐るべき時代に突入しております。子どものころから刷り込まれた無道を、大人になってから直すのは無理じゃないでしょうかねぇ…。
こわやこわや…
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