令和年間最初の4月27日、アスパラガスが緑色のロウソクになって…
三日後、果敢にも家族会議に参加。
かたや、松王丸から新たな芽が伸び、小太郎かと。
アニバーサリーを覚えるのが苦手で、祖母の命日さえ忘却してしまう不心得者であるのだが、22歳の憲法記念日に、深夜放送で市川雷蔵主演、市川崑監督の映画『破戒』を見たことは忘れられない。
昭和時代も終盤に近付き、世はバブル期を迎えつつあったが、テレビ局の番組編成担当者にも、憲法記念日に見るべき映画を忘れずに用意する気概というものがあった。
その時の私は、市川雷蔵のことをよく知らなくて、その半年ほど前だったろうか、やはりテレビの午後のロードショーというような東京12チャンネルの番組で小国英雄脚本の『影を斬る』でそのキュートさ、チャーミングさに打たれ、母に、市川雷蔵ってどうしたんだっけ?と訊いたりして、改めて知りたい気になっていたのだった。
思えば大友柳太朗が亡くなる前年であったから、かつての時代劇に代表される価値観を破却して、日本という国が、それまでの日本という国の形骸を脱ぎ捨てて自分自身に訣別して、まったく新しいものに生まれ変わったように錯覚していた頃であった。
であるから、島崎藤村の夜明け前の日本の暗い時代を殊更知りたいつもりはなく、市川雷蔵が主演であるというその一点だけで、もし詰まらなかったら寝よう…ぐらいに思って見始めたのだったが…
初夏のしんと更けた夜の空気の匂いと、胸の痛みをいまでも覚えている。
泣いて頭がぼうっする一方で、冷たく醒めてもいた。
ラストシーン、誰にも見送られることなく雷蔵as丑松が旅立つ。一人だけこっそりと、教え子の女の子がホームにやって来て、食べてください、と餞別に紙袋を手渡す。
動き出す汽車…丑松への心尽しは、ゆで卵だった。
彼の口の中で、ゆで卵はどんな味がしたのだろうか。
憲法記念日が制定されたのは1948年、前年の昭和22年5月3日に日本国憲法が施行されたことによる。
享受することが当たり前のように思っている権利と自由は、容易く手に出来たものではなかったことを、忘れずにいたいと思う。
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