昨日の続きです。「兵どもが夢の後」というには規模が大き過ぎる気もしますが、廃墟となった高層鉄筋コンクリートが重なり合った建物群は、いやでも日本の来し越し方を考えさせてくれました。長崎港から船で往復1時間、上陸して50分、その間トイレがありませんと(船内にはトイレあり)何度も脅かされて、昼食時なるだけ水分を取らないよう気を付けたりと、思わぬこともありましたが、2009年に世界遺産暫定リストに掲載された場所に立つことが出来ました。
総合事務所 鉱山の中枢レンガ造りの総合事務所。この中には炭鉱マンのための大きな共同浴場があったそうですが、炭塵を洗い流すのでいつもお湯は真っ黒だったそうです。
天川(あまかわ)護岸 明治期の石灰と赤土を混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石積み工法で造られた護岸。
貯炭ベルトコンベアーの支柱 精選された石炭がこの支柱の上に取り付けられたベルトコンベアーに乗って、貯炭場に蓄えられ、石炭運搬船に積み込まれました。向こう正面には端島小中学校、左側には昭和45年建設の体育館が見えています。
端島神社の祠 島のほぼ中央に見えていました。常に危険と隣り合わせの炭鉱マンたちにとっ神社は心の拠り所だったのでしょうね。毎年4月3日の山神祭は全島挙げての盛大な祭りだったそうです。
イカ 帰りの船に乗り込むときに桟橋の下で泳いでいました。