朝から強烈な日の光です
ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
強すぎる朝日だね
白柴のアタチにも強すぎる日射しです
久しぶりに浅間山の姿が見えます。
遠出はしないで、神社向こうの沼に誰も居ないことを確認して、Uターンです。
何気なく新田の地図を見ていたら、小角田(こずみだ)の一角に、新田義貞首塚があります
これは確認に行かなければなりません
6月8日、国道17号線(上武道路)を境三ツ木付近で降り、国道353号線に出てすぐに右折、小角田の信号で県道312号線に入ります。
付近を見当を付けて探します。
なかなか見つかりません
ぐるぐる回って、脇道に入り、畑中にやっと発見です
奥に見えるのは、国道17号線です。
かろうじて通路はありますけど、狭い
大きな説明板もありますけど、写真には撮りにくい
新田義貞公墳復元中の手作り看板です
何処からも、史跡の指定はないようです。
桐生市新里町の史跡は桐生市の史跡に指定をしてもらっても、ビタ一文の補助金も出ないのですから、指定されるだけがいいのではありませんけど。
とりあえず、墳丘をながめます
ここは『世良田村旧蹟案内』(昭和11年世良田村誌編纂会)には、義貞公と刻んだ骨壺の破片や人骨が出て、盛大な義貞公弔霊祭を行ったとあります。
この付近は、古墳がいっぱいあったともあります。
とりあえず合掌
少し離れた道に戻り、説明板を撮ってみます。
なんとか撮れました
拡大してみます。
貴重な武人埴輪も出たのですね。
相川考古館(伊勢崎市)の相川さんの名前もあります。
またそのうちに行ってみましょう
すぐそばの細い県道312号線に戻ります。
西の方に行って、国道に乗りましょう。
大河が流れます。
早川です
あの霞んで見えない赤城山の麓・奥沢の山奥から流れ出して、長い旅を続けてここまで来たのです。
下流の流れです。
早川は、まだまだ旅を続けます。
この橋は三ツ木橋です。
三ツ木は現在は境三ツ木、旧境町です。
でも、その前は新田郡の世良田村だったのです。
昭和30年の町村合併の際に、西部には尾島町に合併せずに、境町に入った所があるのです。
早川の西にも世良田村があったのです