ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出て、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。
明るい日射しで、タバサねーちゃんは元気に歩きました
ひめちゃんは機嫌が悪く、今朝は中々映ってくれません
実は、昨夜は2人とも、お外犬をしてもらいました。
タバサねーちゃんは、早々と寝入りましたけど、ひめちゃんは遅くまで「お家に入れて」と泣いてました。
朝散歩から帰って、玄関から入れてもらいます
少し遊んで、朝ご飯とともにお外のお部屋(サークル)に帰ります。
少し機嫌直ったようです
6月8日、小角田の新田義貞の首塚を確認して早川を渡って帰ります。
橋の名は三ツ木橋、三ツ木は旧境町です。
でも、昭和30年の合併前は、新田郡世良田村大字三ツ木でした。
橋を渡ると、右側に目立つお地蔵様です。
ちょっと路上駐車で合掌
お地蔵様にかかった真っ赤なタスキには、子供の名前があるみたいです
突き当たりの三ツ木橋西の信号を右折、国道目指します。
あれ、右手に寄ったことあるお寺です
真福寺です。
寄道しまーす
こんにちは
お久しぶりです。
真っ赤な鳥居に惹かれて、神社の方に行ってみます。
三ツ木神社とあります。
稲荷大明神幟が旗めいてるので、祀られているのはお稲荷様ですね。
なんとなく、古墳上に祀られている感じです
2礼2拍1礼です
見下ろした風景です。
地区の屋台庫もあります。
地域の役に立つ場でもあるのです。
さて、本堂にお参りです。
合掌
観音霊場巡りの霊場になっているのです
何処に行ったら御朱印いただけるのかな?
御詠歌「 ひとつふたつ みつぎの里に 来てみれば 花のうてなに 紫の雲 」、いいですね
『世良田村旧蹟案内』(昭和11年世良田村誌編纂会)に、
真福寺
大字三ツ木の西方にあり。天正年中、三ツ木城主根岸肥後守繁道、其姉永寿尼の冥福を祈る為建立する所なり。永寿尼は生涯寡婦にして、能く家政を治む。老年に及び三ツ木城の側に庵室を設け専ら念仏三昧に其日を送りしが、終に此処に終る。繁道因て一寺となし、永寿山真福寺と称す。天正十八年金山開城の後、繁道又去て領地岩鼻に退き、次で同地で没す。遺骸は当寺亡姉の墓側に葬り、法名を真福院殿繁誉善榮居士という。~後略~
とあります。
また、同書には
三ツ木城趾
大字三ツ木の西方真福寺の地域即ち是なり。
とも、あります。
金山城主由良方の三ツ木城で、城主は根岸肥後守繁道だったのです。
新田だったんですねえ
御朱印が欲しいな