ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
猛烈な日射しです
諏訪神社を廻って帰りましょう
アタチも賛成です。
足はもうだいたいいいですけど、暑過ぎです
『上州坪弓老談記(じょうしゅうつぼゆみろうだんき)』という、江戸時代の初期に書かれた老談記があります。
その中で、桐生氏が敗れ去り、新たに桐生領主としてやって来たのは、由良成繁(ゆらなりしげ)でした。
由良氏の宗教政策で、成繁が直接対面したのは、桐生氏累代の墓のある西方寺でした。
そして、桐生氏の祈祷担当だったという大蔵院には使者を送りました
寺院として名が上がっているのは、この二寺のみです。
西方寺は柄杓山城のふもと・梅田町にあります。
大蔵院って、どこだ?
地図を見ると、桐生川の西、本町通りの一本東の大通り・中通り沿いです。
よく通ってる道です。
「ちょっと行ってみよう」ということで、5月29日参拝しました
本日、大蔵院の隣のベーカリー・レンガに所用があります。
確か月替わりの御朱印があったはずです。
でも、御朱印の出る日は、毎日ではありませんでした。
大丈夫かな?
とにかく行ってみよう
今回はレンガの駐車場に駐車です。
建物の西を初めて廻って、南側に出ます。
ああ、こんな形の建物だったんだ
帰りに寄ることにして、ひとまず通り過ぎます。
まもなく左手に、桐生北保育園(桐生こども園)も経営する大蔵院(だいぞういん)です。
御朱印帳を手にした御朱印ウオーカーらしき人影です
本日は御朱印の出る日です
お地蔵様たち、お久しぶりです。
合掌
山門で、窓口業務の日を確認です。
郵送以外に、すぐいただける御朱印もあります
本堂脇の窓口で、御朱印をお願いします
さて、その間、境内散策です。
相変わらず、青紅葉がいい雰囲気です
本堂前でお賽銭を入れて、合掌
山門を裏から望みみます。
あれ、梅の紋だ
鐘楼堂の脇の覆い屋にも、梅の紋の鬼瓦だ
『ぐんまのお寺・天台宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成11)によれば
「桐生地方史」には「慶長十一年、天満宮神官前原大蔵、久方なる今の地に移し大蔵院と号す。後正保四年亥仲秋常祇薬師堂をも大蔵院に移せり」という記述もある。清蔵院が天満宮と縁を結び大蔵院と名を改め、天満宮の別当寺となったことを述べている。大蔵院が別当寺として幕府から資格を承認されて五石の寺領を給せられたのは慶長十一年(1606)より三十二年後である。
天満宮の別当寺だったんですね
天満宮と言ったら菅原道真。
菅原道真といったら、
東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
(こちふかばにおいこおせようめのはなあるじなしとてはるなわすれそ)
梅の紋の鬼瓦、瓦に納得です
ふたたび、青紅葉の境内の散策を続けます。
鉢植えの蓮も花はなけれど、元気です
白いサルスベリの花も、いい感じです
そろそろ、御朱印出来たかな?
いただいた、御朱印です。
本来は2面のデザインを、御朱印帳の使い始めなので3面で描いて頂きました
ありがとうございます
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