続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

巨大地震の爪あと(発掘情報館)

2022-08-05 15:34:26 | 群馬県・旧勢多郡

こぬか雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、諏訪神社まで行ってきます。

ひめ、早く行こうよ

ひめちゃんは、庭の隅の笹の葉に食いつきます。

しばらくムシャムシャして、やっと出発です

 

諏訪神社前のコスモス、いい雰囲気です

用を済ませたし、本降りにならないうちに帰りましょう。

 

ひめちゃんちの鉢植えの蓮、3本目の花芽が大きくなってきました。

最初の花は種が成長していそうです。

 

 

 

 

7月28日、渋川市北橘町(旧勢多郡北橘村)の発掘情報館に出かけました。

あるスタンプラリーのスタンプをゲットするためです。

受付でスタンプをゲット、もう一件別のスタンプラリーの用紙ももらいました。

忙しくなりそう

 

 

館内を見学です。

貴重なお宝がいっぱいです。

さらにうれしいことに、カメラOKです

 

 

ハート型土偶です。

こんにちは

出土地の郷原駅を訪ねたこともありました。

 

 

遮光器土偶、いわゆるサングラス土偶です。

本場の東北地方から、はるばる唐堀遺跡まで運ばれてきた搬入品と考えられます。

 

東北地方が本場なのですね。

多賀城の博物館でお目にかかったことがあります

 

 

「甲(よろい)を着た古墳人」です。

6世紀初頭に発生した榛名山大噴火の際、甲を着たまま火砕流に巻き込まれた成人男性です。

 

 

赤城山南麓に残る弘仁九年の地震地形と被災遺跡です。

3:新里村板橋・山街道

5:新里村高泉・向江

6:新里村大久保・原

7:新里村前田原

8:新里村砂田遺跡

9:新里村蕨沢遺跡

10:新里村板橋・上中堀

 

むむ、新里村が多いぞ

 

『類聚国史』の記述が引用されています。

弘仁九年(818)七月、相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野などの国に地震があった。山が崩れて谷が数理にわたって埋もれてしまい、圧死した百姓は数えることができないほどである。

 

朝廷は、この時租税を免じ、救済措置も執ったといいます。

 

新里村の辺りは、弘仁の大地震で大きな被害を蒙ったのです

そしてその巨大地震の爪痕も残ってるのです

 

 

具体的に何処なのか分かりませんけれど、8:新里村砂田遺跡&9:新里村蕨沢遺跡は近いぞ

 

余計なことかも知れませんけど、蕨沢遺跡の側を流れていたのが、もともとの蕨沢川(わらびさわがわ)でしょう

河川の改修工事等によって、現在は山上芝の童沢貯水池が蕨沢川の始点となってますけど。

 

もう一つ余計なことを言えば、山上の多重塔が建立されたのは、延暦20年(801)です。

無事だったのかな

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真夏の御朱印・天喜山大蔵院 | トップ | 真っ赤な社殿・富士原神社 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬県・旧勢多郡」カテゴリの最新記事