続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

不思議なご縁の観昌寺

2023-03-05 14:45:39 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を北に出ます。

岩神沼に到着です

大きなアオサギが、飛び去っていきます

カメラが間に合いません

でも、サギさんがいて良かったね

 

ご褒美下さいな

アタチにも、お忘れなく

 

プーちゃんの前を通って帰ります。

プーちゃん、おはよう

 

 

 

地団栗橋(じだぐりばし)から、観昌寺(かんしょうじ)に回り込みます。

久しぶりに、寄って行きます

 

前回の訪問は、2017年12月です。

 

実は、ここの先代和尚さんは、獅子丸が養子に行っていた家(元獅子丸家)が、常広寺の開基である事を知っていました。

その頃、常広寺の開基・本橋院殿は、九回裏2アウトランナーなしの状態で、消え去る直前でした

ところが、常広寺の互助会長さん(檀家総代のようなもの)が、突然、元獅子丸家に「常広寺開基・本橋院殿の位牌を見せてほしい」と、やってきました
産泰さまの近くの真言宗のお寺・観昌寺で、獅子丸家が常広寺の開基だと聞いたというのです
宗派も違うし、近所ではないし、どうして知っているのか不思議です

獅子丸家と真言宗の接点は、幕末か明治初年に、長安寺の最後の住職だったという元獅子丸家出身の「富蔵」さんが、京都の智積院(ちしゃくいん)に修業にいったことです。
長安寺は天台宗だし、本寺の善昌寺ももちろん天台宗です。


もしかしたら観昌寺と獅子丸家はなんらかの知り合いで、その紹介で智積院に行った可能性もあります。
和尚さんの話を聞きたいと思いました

残念ながら、先代和尚さんは、亡くなっていました

 

 

山門脇には駐車場です。

六地蔵さん、この前からおいでですか?

ごめんなさい、記憶にありません。

合掌

 

本堂前で合掌

 

赤城塔(宝塔)が目立ちます

造立時期は、塔身の上下が少しすぼまっている形態から、南北朝期の14世紀中頃と思われる。

 

前回は、文字がかすれて読めませんでした

 

古い石造物がいっぱいあります

前回は、こちらはあまり見ていないみたいです。

奥に、大きな石殿があります。

失礼して、中を覗かせていただきます。

何だろう?

 

石殿も五輪塔もたくさんあります。

赤い屋根は、先代の庫裏のようです。

今日は声を掛けずに、退散します。

 

山門近くの梅の木から、もう一度合掌

おかげさまで、本橋院殿復活できました。

ありがとうございます

 

太鼓橋を渡って、俗界に戻ります。

 

駐車場には、バス停があります

桐生市以外の自治体は、合併した地区にも優しいようです。

 

さて、ひめちゃんたちのお散歩があるから、帰りましょう。

東に出ると、大きな石造物です

『群馬のお寺 真言宗1』(上毛新聞社)によれば、


「道の北は大室神社である。大室神社は、中世の大室城跡の一部で、観昌寺もその一角にに位置する。」とあります。

大室神社の森が見えます。

また、そのうちに伺います

 

観昌寺の和尚さん、どうして獅子丸の元養家が、常広寺開基である事を知っていたのかな?

でも、ありがとうございました。

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小字・地田栗の記憶 | トップ | ひめちゃんとタバサちゃんの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

群馬県・旧勢多郡」カテゴリの最新記事