夏、と言う事で色鮮やかな絵葉書テンプレートにして見ました。
もう何の関係もありませんが、子供たちは夏休み真っ只中ですね。
自分が子供の頃は、夏休みの思い出と言えばおばあちゃんの家、でした。
父方の祖父母は、尾道に住んでいて尾道は坂が多いことで有名ですが、祖父母の家もまた変わったところに建っていて、車が走る道路沿いが高い壁?、崖?になっていて階段があって、そこを上がると線路、線路には普通に電車が走っていたのですが踏切があるわけでもなく電車が走っていないのを見計らって急いで線路を渡ると、また階段があってそれを上がったところに家が建っていました。
母親にとっては舅、姑、母親が緊張するので私も少し緊張する相手ではありましたが、「N子は、おかきが好きじゃからのう。」と行けばいつも缶からおかきを出して食べさせてくれたのを思い出します。
母方の実家は、やっぱり広島県の神村と言う田舎にあって、祖父母は、物心ついたころには亡くなっていて、ひいおばあちゃんがいつもにこにこと迎えてくれました。
ここにはいつも長期滞在、2週間から3週間はいたでしょうか。
母親の兄の子供である従兄弟たちと、宿題をしたり遊んだりとそれは楽しい毎日でした。
田舎なので、セミやカブトムシは捕り放題だし、ひいおばあちゃんに本を読んでもらったり絶対私が勝つ将棋の駒を使ったゲームで遊んでもらったりしたことを思い出します。
クーラーなんかなくて窓を開け放って寝るので、虫よけには蚊帳ですよ蚊帳、夜寝るとき毎夜蚊帳を吊る、母親から叱られながら蚊帳で遊ぶ楽しさ、格別でした。
そして、暑い昼の3時には、ミルクセーキと呼んでいた飲み物をひいおばあちゃんが作ってくれてそれが美味しくて美味しくて。
でも、どうやって作るのかと言えば、氷のかち割りにラムネと卵を入れて泡だて器でかき混ぜる、と言った具合で、あれが何故ミルクセーキと呼ばれていたのかは謎です。
帰阪するときは、ひいおばあちゃんが決まって「もう会えないかもしれないから元気で。」と泣くので私たちもつられて泣いてしまう、を繰り返していました。
と言う事で、やっぱり私もコウ君に思い出を作って上げたいのと働く娘のお手伝いをするために東京に行ってきました。
1歳8ヶ月のコウ君は「おばあちゃん。」と言えるようになって何度も呼んでくれて可愛さもひとしおでした。
もちろん、おばあちゃんと言えても私が誰なのかは分かっていない、「おばあちゃん。」と呼んだら「はい!」と答えてくれる人くらいな感じですがそこがまた可愛いです。
絵本を読んだり粘土で遊んだり振り回したりいないいないばぁしたり、おばあちゃんはフルに頑張りました!
しかし、私のテンションにコウ君も疲れたのか、最後の日には熱を出し、子供も子供で気を使っているのかもなぁと思ったのでありました。
いつかいい思い出になるように、当分おばあちゃんとして頑張りたいと思います。
もう何の関係もありませんが、子供たちは夏休み真っ只中ですね。
自分が子供の頃は、夏休みの思い出と言えばおばあちゃんの家、でした。
父方の祖父母は、尾道に住んでいて尾道は坂が多いことで有名ですが、祖父母の家もまた変わったところに建っていて、車が走る道路沿いが高い壁?、崖?になっていて階段があって、そこを上がると線路、線路には普通に電車が走っていたのですが踏切があるわけでもなく電車が走っていないのを見計らって急いで線路を渡ると、また階段があってそれを上がったところに家が建っていました。
母親にとっては舅、姑、母親が緊張するので私も少し緊張する相手ではありましたが、「N子は、おかきが好きじゃからのう。」と行けばいつも缶からおかきを出して食べさせてくれたのを思い出します。
母方の実家は、やっぱり広島県の神村と言う田舎にあって、祖父母は、物心ついたころには亡くなっていて、ひいおばあちゃんがいつもにこにこと迎えてくれました。
ここにはいつも長期滞在、2週間から3週間はいたでしょうか。
母親の兄の子供である従兄弟たちと、宿題をしたり遊んだりとそれは楽しい毎日でした。
田舎なので、セミやカブトムシは捕り放題だし、ひいおばあちゃんに本を読んでもらったり絶対私が勝つ将棋の駒を使ったゲームで遊んでもらったりしたことを思い出します。
クーラーなんかなくて窓を開け放って寝るので、虫よけには蚊帳ですよ蚊帳、夜寝るとき毎夜蚊帳を吊る、母親から叱られながら蚊帳で遊ぶ楽しさ、格別でした。
そして、暑い昼の3時には、ミルクセーキと呼んでいた飲み物をひいおばあちゃんが作ってくれてそれが美味しくて美味しくて。
でも、どうやって作るのかと言えば、氷のかち割りにラムネと卵を入れて泡だて器でかき混ぜる、と言った具合で、あれが何故ミルクセーキと呼ばれていたのかは謎です。
帰阪するときは、ひいおばあちゃんが決まって「もう会えないかもしれないから元気で。」と泣くので私たちもつられて泣いてしまう、を繰り返していました。
と言う事で、やっぱり私もコウ君に思い出を作って上げたいのと働く娘のお手伝いをするために東京に行ってきました。
1歳8ヶ月のコウ君は「おばあちゃん。」と言えるようになって何度も呼んでくれて可愛さもひとしおでした。
もちろん、おばあちゃんと言えても私が誰なのかは分かっていない、「おばあちゃん。」と呼んだら「はい!」と答えてくれる人くらいな感じですがそこがまた可愛いです。
絵本を読んだり粘土で遊んだり振り回したりいないいないばぁしたり、おばあちゃんはフルに頑張りました!
しかし、私のテンションにコウ君も疲れたのか、最後の日には熱を出し、子供も子供で気を使っているのかもなぁと思ったのでありました。
いつかいい思い出になるように、当分おばあちゃんとして頑張りたいと思います。