甥っ子@芋助は「じーちゃん子」でした
アメリカで生まれ育った芋助が、日本で暮らすようになり、そろそろ5ヶ月が経とうとしています。
当初の予定では中高一貫のインターナショナルスクールに入れるつもりで、編入試験に合わせて、来日しました。
でも「家」のこと・・・売却もろもろ・・・手続きが完了してなくて、
ママ(ワタクシメの妹@メーコ)がとんぼ返りで一週間ほどアメリカに戻りました。
毎年、夏冬の休暇は日本に居て、芋助はじーちゃん子なので、メーコは気軽に、
「じーちゃんとだーばぁと留守番しててね」と芋助をおいていったんですが、
芋助にとって、その一週間はものすごーく心細く、苦痛だったようです。
その間のことは、「聞くも涙、語るも涙」
うーん、笑えるかな(-"-)
落ちついたらBLOGネタにしようと思っていましたが、約一週間のお留守番が芋助の心の傷になってしまった感じです。
わざわざ来日予定を早めて挑んだのに、インターナショナルスクールの編入試験は惨敗でした。
(本命に落ちた後、帰国子女受け入れの私立校にチャレンジしましたが、うまくいかなかったのです)
さて、話を戻しましてぇ~、
ママがほんの一時アメリカに戻った間、芋助を預かったじーちゃんの方は神経過敏になって、「あれもダメ、これもダメ」。
これにはワタクシメも参りました。
伯母のワタクシメは適当に楽しく過ごしていましたが、じーちゃんが責任感じて「ダメダメ爺さん」になった気持ちもわかります。
わかるけど・・・やりすぎましたぁ(涙)
その頃はまだ、芋助としては「日本で生活していく」という自覚は薄かったと思うし、
ママが「日本に帰る」と決めたプロセスや、「大人の事情」で心を痛めていただろうから、多少甘やかしていいとワタクシメは思ったんですよ。
「冬休み」の延長で、毎晩パーティーしててもいいんじゃねぇって。
じーちゃんは芋助の健康面を心配して「シャワー禁止」「外出は範囲限定」にしました。
ちょうど寒い時期だったから、じーちゃんが言うことはゴモットモだれど、ワタクシメが一番気になったのは「英語禁断症状」です。
身近に英語を話せる人がいないので、芋助はスマホで動画(英語版)を見て、一日中ゴロゴロしてました。
それは、あまりにも不健康だから「DVDを借りに行こうか」と誘えば、
芋助は「外に出る前にはシャワーを浴びる」と言うし、
じーちゃんは「真冬にシャワー浴びて、外に出るなんて、とんでもない」と怒るし●~*
近所のレンタルショップに行くのに、偽装工作したりして・・・ワタクシメも疲れましたよ。
「自宅学習」に関しても似たようなことがありました。
日本に来たばかりの芋助は「児童館」に行くにも、しゃれっ気出してて、顔を洗う感覚でシャワー浴びてましたからね(笑)
ハッキリ言って、だーばぁも、プッチン、することありましたw
じーちゃんは、頭から火ふいてました^m^
それでもママの留守中は我慢していた芋助でしたが、ママが日本に戻ってきた途端「じーちゃん拒否症」になってしまったのですぅ。
日本に来てしばらくして、思うように受験ができず、進路を考えている最中に、ワタクシメが「スケボー」をプレゼントしたんです。
男子中坊でプータローでは、体力を持て余していますから、何かで発散させなきゃ「ワルイ方」に行っちゃいますよねー。
「スケボーの一件」で、ワタクシメはじーちゃんから、
「お前は自分がしたことがわかっているのか!」
「なんてことを・・・してくれたぁぁぁ」と、なじられましたよ(叱る・怒るのレベルじゃなかったです)
じーちゃん、昔の人だから、「バイク・ギターetc」は不良の代名詞みたいで、「スケボー」もその類なんですよー。
芋助は児童館も大好きなんですが、アウトドアスポーツもしないとねーと、だーばぁは単純に思いついちゃったんですわwww
いわば「出来心」でプレゼントしたスケボーに、芋助は予想以上にハマり、毎日毎日、弁当持ってスケートパークに通う始末。
ジェネレーションギャップや価値観の相違から、芋助とじーちゃんの溝は深くなったのでありまする。
そのまま「反抗期」へとなだれ込みました~゜・_・゜~
じーちゃんとの仲は冷えついていましたが(泣)、2月頃までは「小遣いほしさ・笑」もあり、だーばぁとは辛うじて友好的でした。
ところが、新学期からメデタク公立中学に編入でき、芋助も本格的な「ティーンさま」へと変貌し、
だーばぁとも、あまりしゃべってくれなくなりました。
スケボーのパーク仲間は年上で可愛がってもらっていたし、児童館ではどちらかというと「お兄さん役」みたいですが、
学校では対等な関係の中で、「帰国子女」として友達からサポートされているようです。
同年の仲間ができたことで芋助は強気になった気がします(笑)
芋助は日本語の読み書きが苦手なのでペーパーテストが難関ですが、「学校は楽しい」そうです(*^^)v
芋助が受験に失敗し、プータロー生活が長引いた時に、児童館の友達が自分たちが通う公立中「〇〇中に来いよ」と言ってくれたと話していました。
スケボー三昧でお気楽に見えましたが、さすがに3月になり不安になったらしく、自分からママに、
「みんなが手伝ってくれると言うから、〇〇中に行くよ」と。
芋助の仲間だから何を手伝ってくれるのか、チョットわからない面もありますが(笑)、そういう友達がいてくれてほっとしています。
たった4ヶ月間で芋助はかなり成長しました。
まだ体はチビですが、すぐに大きくなって乱暴なことをするかも知れません。
5か月目に入り、この間を振り返ると目まぐるしかったぁ(@_@)
今後の芋助はどっちに進むのか皆目わかりませんが、日本での生活が人生の肥やしになってほしいです。
↓ 写真は2年前のモノですが、去年の夏もこんなふうにじーちゃんの横で寝ていたと思います。
もう芋助がじーちゃんに添い寝することはないのかしら?
反抗期がないのも心配ですが、突然やってきた“反抗期”に、戸惑っているだーばぁであります(?_?)
アメリカで生まれ育った芋助が、日本で暮らすようになり、そろそろ5ヶ月が経とうとしています。
当初の予定では中高一貫のインターナショナルスクールに入れるつもりで、編入試験に合わせて、来日しました。
でも「家」のこと・・・売却もろもろ・・・手続きが完了してなくて、
ママ(ワタクシメの妹@メーコ)がとんぼ返りで一週間ほどアメリカに戻りました。
毎年、夏冬の休暇は日本に居て、芋助はじーちゃん子なので、メーコは気軽に、
「じーちゃんとだーばぁと留守番しててね」と芋助をおいていったんですが、
芋助にとって、その一週間はものすごーく心細く、苦痛だったようです。
その間のことは、「聞くも涙、語るも涙」
うーん、笑えるかな(-"-)
落ちついたらBLOGネタにしようと思っていましたが、約一週間のお留守番が芋助の心の傷になってしまった感じです。
わざわざ来日予定を早めて挑んだのに、インターナショナルスクールの編入試験は惨敗でした。
(本命に落ちた後、帰国子女受け入れの私立校にチャレンジしましたが、うまくいかなかったのです)
さて、話を戻しましてぇ~、
ママがほんの一時アメリカに戻った間、芋助を預かったじーちゃんの方は神経過敏になって、「あれもダメ、これもダメ」。
これにはワタクシメも参りました。
伯母のワタクシメは適当に楽しく過ごしていましたが、じーちゃんが責任感じて「ダメダメ爺さん」になった気持ちもわかります。
わかるけど・・・やりすぎましたぁ(涙)
その頃はまだ、芋助としては「日本で生活していく」という自覚は薄かったと思うし、
ママが「日本に帰る」と決めたプロセスや、「大人の事情」で心を痛めていただろうから、多少甘やかしていいとワタクシメは思ったんですよ。
「冬休み」の延長で、毎晩パーティーしててもいいんじゃねぇって。
じーちゃんは芋助の健康面を心配して「シャワー禁止」「外出は範囲限定」にしました。
ちょうど寒い時期だったから、じーちゃんが言うことはゴモットモだれど、ワタクシメが一番気になったのは「英語禁断症状」です。
身近に英語を話せる人がいないので、芋助はスマホで動画(英語版)を見て、一日中ゴロゴロしてました。
それは、あまりにも不健康だから「DVDを借りに行こうか」と誘えば、
芋助は「外に出る前にはシャワーを浴びる」と言うし、
じーちゃんは「真冬にシャワー浴びて、外に出るなんて、とんでもない」と怒るし●~*
近所のレンタルショップに行くのに、偽装工作したりして・・・ワタクシメも疲れましたよ。
「自宅学習」に関しても似たようなことがありました。
日本に来たばかりの芋助は「児童館」に行くにも、しゃれっ気出してて、顔を洗う感覚でシャワー浴びてましたからね(笑)
ハッキリ言って、だーばぁも、プッチン、することありましたw
じーちゃんは、頭から火ふいてました^m^
それでもママの留守中は我慢していた芋助でしたが、ママが日本に戻ってきた途端「じーちゃん拒否症」になってしまったのですぅ。
日本に来てしばらくして、思うように受験ができず、進路を考えている最中に、ワタクシメが「スケボー」をプレゼントしたんです。
男子中坊でプータローでは、体力を持て余していますから、何かで発散させなきゃ「ワルイ方」に行っちゃいますよねー。
「スケボーの一件」で、ワタクシメはじーちゃんから、
「お前は自分がしたことがわかっているのか!」
「なんてことを・・・してくれたぁぁぁ」と、なじられましたよ(叱る・怒るのレベルじゃなかったです)
じーちゃん、昔の人だから、「バイク・ギターetc」は不良の代名詞みたいで、「スケボー」もその類なんですよー。
芋助は児童館も大好きなんですが、アウトドアスポーツもしないとねーと、だーばぁは単純に思いついちゃったんですわwww
いわば「出来心」でプレゼントしたスケボーに、芋助は予想以上にハマり、毎日毎日、弁当持ってスケートパークに通う始末。
ジェネレーションギャップや価値観の相違から、芋助とじーちゃんの溝は深くなったのでありまする。
そのまま「反抗期」へとなだれ込みました~゜・_・゜~
じーちゃんとの仲は冷えついていましたが(泣)、2月頃までは「小遣いほしさ・笑」もあり、だーばぁとは辛うじて友好的でした。
ところが、新学期からメデタク公立中学に編入でき、芋助も本格的な「ティーンさま」へと変貌し、
だーばぁとも、あまりしゃべってくれなくなりました。
スケボーのパーク仲間は年上で可愛がってもらっていたし、児童館ではどちらかというと「お兄さん役」みたいですが、
学校では対等な関係の中で、「帰国子女」として友達からサポートされているようです。
同年の仲間ができたことで芋助は強気になった気がします(笑)
芋助は日本語の読み書きが苦手なのでペーパーテストが難関ですが、「学校は楽しい」そうです(*^^)v
芋助が受験に失敗し、プータロー生活が長引いた時に、児童館の友達が自分たちが通う公立中「〇〇中に来いよ」と言ってくれたと話していました。
スケボー三昧でお気楽に見えましたが、さすがに3月になり不安になったらしく、自分からママに、
「みんなが手伝ってくれると言うから、〇〇中に行くよ」と。
芋助の仲間だから何を手伝ってくれるのか、チョットわからない面もありますが(笑)、そういう友達がいてくれてほっとしています。
たった4ヶ月間で芋助はかなり成長しました。
まだ体はチビですが、すぐに大きくなって乱暴なことをするかも知れません。
5か月目に入り、この間を振り返ると目まぐるしかったぁ(@_@)
今後の芋助はどっちに進むのか皆目わかりませんが、日本での生活が人生の肥やしになってほしいです。
↓ 写真は2年前のモノですが、去年の夏もこんなふうにじーちゃんの横で寝ていたと思います。
もう芋助がじーちゃんに添い寝することはないのかしら?
反抗期がないのも心配ですが、突然やってきた“反抗期”に、戸惑っているだーばぁであります(?_?)