お彼岸ですね
ーー暑さ寒さも、彼岸まで・・・と言われる通り、ここのところ急に涼しくなりました。
日中汗ばむこともありますが、朝は爽やか。
夜はよく眠れます!
「お彼岸」といえば、おはぎorぼたもちが定番ですが、「おはぎ」について、ワタクシメは近年「怒り新党?」でありまする。
以下、書きますことは、ワタクシメでも知っていることなので、どなたでもご承知のことと思いたい・・・
というか、
日本人として、知ってほしい・・・でありまする!
《おはぎ=ぼたもち》です。
「秋の彼岸」に供える(食べる)から、お萩。
「春の彼岸」に供える(食べる)から、牡丹餅。
地方によって、作り方や中身や形が違うかも知れませんが、
基本的に《おはぎ=ぼたもち》。「季節によって名前が変わる」のです!
四季のある日本だからこそ、生まれたネーミングですね。
一見「愛きょうのない菓子」ですが、季節によって呼び方が変わるというのは、おしゅれじゃあーりませんか(*^_^*)
昔は「もち米と小豆」はぜいたく品ですが、今ほど食材は豊富にはありませんから、「おいしかったかな???」と気になりますが、先人たちは「名称」を変えることで暮らしを彩っていたのだと、ワタクシメは思います。
「おはぎ=ぼたもち」について、怒り新党のわけ
お盆の頃にスーパーに行ったら「おはぎ」が積まれていました!!!
ワタクシメ、老眼が進んでいるので(涙)、
「おはぎの形をした水羊羹かしら」と、ガンミしてしまいました。
悲しいことに~それはどう見ても「おはぎ」だったので、同行してくれていたヘルパーさんに、
「ねー、お盆はおはぎじゃないよね。だよね。だよね」と同意を求め、その足でサービスカウンターに行って、
「お盆におはぎを売るな! 『老舗・109』としたことが嘆かわしい・怒」と、クレームを言おうかと思ったほどです。
ただでさえ猛暑なのに、ムダに熱くなるのもナンナンで~、黙って帰ってきましたけど(爆)
日本人はいい加減が「良い加減」とはいいますが、
それにしたって、
ここまで「いい加減」で・・・
どうよ(?_?)
ワタクシメは、悲しいね (T_T)
基礎講座wwwお盆とお彼岸の違い
このことについて、
作家であり僧侶である“玄侑宗久”さんのコラムにとてもわかりやすく書かれていましたが、
切り抜きをなくしてしまったので(ガクッ)、
ワタクシメなりの解釈でご説明します。
今回は・・・よい子は多少は信じくださいね_(_^_)_
まず「彼岸とは」・・・
「岸の向こう」、つまり「あの世」のことです。(=悟りの世界)
様々な煩悩に悩み苦しむ世界(此岸)に相対する言葉。
日本の特に浄土系の信仰では、一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられています。
そのため、すでに「彼岸」の世界へ行った人たちを供養するとともに、
まだ成仏できず迷っている人たちが向こう岸へ行けるように祈る・・・
「彼岸にお墓参りをする」のは、こちらから「岸の向こうに出向いて祈る」ということ。
これが彼岸の仏事の趣旨となります。
いっぽう「お盆」とは・・・
先祖(死者)の精霊を家に迎え供養をする期間のことです。
7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
※ 東京の「お盆」はは7月です。
これはワタクシメが思うに、江戸の時代、お正月とお盆を「藪入り」と称して、
奉公人が唯一休みがもらえ実家に帰れる時期でした。
後で書きますが、「お盆」は霊界との交流の時期なので、
休みが終わっても社会復帰できない人もいました(笑)、
奉公人の自立更生と、都市機能の混乱を防ぐために、
「都」と「里」に一月の差を設けたのではないでしょうか? (こじつけ)
詳しくご存知の方、教えてください。
13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
これは“霊”が迷わず家に帰って来られるための目印です。
キュウリとナスに割り箸を刺し、馬と牛に見立てたものを作ります。
これは、キュウリは馬で、お盆のときに“霊”が馬に乗り、少しでも早くに帰って来てほしいとの願いを表現しています。
ナスは牛を表現しており、キュウリとは逆に、お盆が終わったら“霊”には牛に乗ってのんびりとあの世に帰ってほしいという、願いが込められています。
「お盆」の期間中には僧侶を招き(勝手にやってきて・笑)お経をあげてくれます。
16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。
お盆のときのお供えは「らくがん」が定番。
時期的にらくがんは腐らないからかも知れません。
「お盆」の4日間、地域ごとに様々なイベントがありますが、
これはあの世とこの世が交ざり合う非日常的な空間が「イベント」となるのです。
現在でも多くの日本人は、仏教の信者ではなくても「お盆」に休むことになり、
必然的に「非日常的生活」を余儀なくされます。
それは「信じる・信じない」に関わりなく、「霊界と交流しているんだ」と、感じています。
「彼岸=悲願」の説
非日常的な「お盆」・霊界との交流に対し、「お彼岸」は人間の営みと密接していると、ワタクシメは考えます。
悲願の中日である「春分の日・秋分の日」は、雑節のひとつ。
季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日です。
暑さ寒さも彼岸まで・・・
《おはぎ=ぼたもち》には、
暑かったり寒かったりした辛い季節を乗り越えた感謝や、
これから訪れる苦しい季節を無事に越せますようにとの願い(悲願)が込められていると思うのです。
春と秋でネーミングを変えるほど、先人たちは大切に作り供え食べていた物です。
オリンピックの開催が決まったんだから、自国の文化を正しく伝承できないと恥ずかしいよ(o|o)
ーー暑さ寒さも、彼岸まで・・・と言われる通り、ここのところ急に涼しくなりました。
日中汗ばむこともありますが、朝は爽やか。
夜はよく眠れます!
「お彼岸」といえば、おはぎorぼたもちが定番ですが、「おはぎ」について、ワタクシメは近年「怒り新党?」でありまする。
以下、書きますことは、ワタクシメでも知っていることなので、どなたでもご承知のことと思いたい・・・
というか、
日本人として、知ってほしい・・・でありまする!
《おはぎ=ぼたもち》です。
「秋の彼岸」に供える(食べる)から、お萩。
「春の彼岸」に供える(食べる)から、牡丹餅。
地方によって、作り方や中身や形が違うかも知れませんが、
基本的に《おはぎ=ぼたもち》。「季節によって名前が変わる」のです!
四季のある日本だからこそ、生まれたネーミングですね。
一見「愛きょうのない菓子」ですが、季節によって呼び方が変わるというのは、おしゅれじゃあーりませんか(*^_^*)
昔は「もち米と小豆」はぜいたく品ですが、今ほど食材は豊富にはありませんから、「おいしかったかな???」と気になりますが、先人たちは「名称」を変えることで暮らしを彩っていたのだと、ワタクシメは思います。
「おはぎ=ぼたもち」について、怒り新党のわけ
お盆の頃にスーパーに行ったら「おはぎ」が積まれていました!!!
ワタクシメ、老眼が進んでいるので(涙)、
「おはぎの形をした水羊羹かしら」と、ガンミしてしまいました。
悲しいことに~それはどう見ても「おはぎ」だったので、同行してくれていたヘルパーさんに、
「ねー、お盆はおはぎじゃないよね。だよね。だよね」と同意を求め、その足でサービスカウンターに行って、
「お盆におはぎを売るな! 『老舗・109』としたことが嘆かわしい・怒」と、クレームを言おうかと思ったほどです。
ただでさえ猛暑なのに、ムダに熱くなるのもナンナンで~、黙って帰ってきましたけど(爆)
日本人はいい加減が「良い加減」とはいいますが、
それにしたって、
ここまで「いい加減」で・・・
どうよ(?_?)
ワタクシメは、悲しいね (T_T)
基礎講座wwwお盆とお彼岸の違い
このことについて、
作家であり僧侶である“玄侑宗久”さんのコラムにとてもわかりやすく書かれていましたが、
切り抜きをなくしてしまったので(ガクッ)、
ワタクシメなりの解釈でご説明します。
今回は・・・よい子は多少は信じくださいね_(_^_)_
まず「彼岸とは」・・・
「岸の向こう」、つまり「あの世」のことです。(=悟りの世界)
様々な煩悩に悩み苦しむ世界(此岸)に相対する言葉。
日本の特に浄土系の信仰では、一般に死後は阿弥陀如来の導きにより人は彼岸に渡ることができる、と考えられています。
そのため、すでに「彼岸」の世界へ行った人たちを供養するとともに、
まだ成仏できず迷っている人たちが向こう岸へ行けるように祈る・・・
「彼岸にお墓参りをする」のは、こちらから「岸の向こうに出向いて祈る」ということ。
これが彼岸の仏事の趣旨となります。
いっぽう「お盆」とは・・・
先祖(死者)の精霊を家に迎え供養をする期間のことです。
7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
※ 東京の「お盆」はは7月です。
これはワタクシメが思うに、江戸の時代、お正月とお盆を「藪入り」と称して、
奉公人が唯一休みがもらえ実家に帰れる時期でした。
後で書きますが、「お盆」は霊界との交流の時期なので、
休みが終わっても社会復帰できない人もいました(笑)、
奉公人の自立更生と、都市機能の混乱を防ぐために、
「都」と「里」に一月の差を設けたのではないでしょうか? (こじつけ)
詳しくご存知の方、教えてください。
13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
これは“霊”が迷わず家に帰って来られるための目印です。
キュウリとナスに割り箸を刺し、馬と牛に見立てたものを作ります。
これは、キュウリは馬で、お盆のときに“霊”が馬に乗り、少しでも早くに帰って来てほしいとの願いを表現しています。
ナスは牛を表現しており、キュウリとは逆に、お盆が終わったら“霊”には牛に乗ってのんびりとあの世に帰ってほしいという、願いが込められています。
「お盆」の期間中には僧侶を招き(勝手にやってきて・笑)お経をあげてくれます。
16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。
お盆のときのお供えは「らくがん」が定番。
時期的にらくがんは腐らないからかも知れません。
「お盆」の4日間、地域ごとに様々なイベントがありますが、
これはあの世とこの世が交ざり合う非日常的な空間が「イベント」となるのです。
現在でも多くの日本人は、仏教の信者ではなくても「お盆」に休むことになり、
必然的に「非日常的生活」を余儀なくされます。
それは「信じる・信じない」に関わりなく、「霊界と交流しているんだ」と、感じています。
「彼岸=悲願」の説
非日常的な「お盆」・霊界との交流に対し、「お彼岸」は人間の営みと密接していると、ワタクシメは考えます。
悲願の中日である「春分の日・秋分の日」は、雑節のひとつ。
季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日です。
暑さ寒さも彼岸まで・・・
《おはぎ=ぼたもち》には、
暑かったり寒かったりした辛い季節を乗り越えた感謝や、
これから訪れる苦しい季節を無事に越せますようにとの願い(悲願)が込められていると思うのです。
春と秋でネーミングを変えるほど、先人たちは大切に作り供え食べていた物です。
オリンピックの開催が決まったんだから、自国の文化を正しく伝承できないと恥ずかしいよ(o|o)