だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

古田足日先生を偲んで ②

2014年06月29日 | クリエーター・モード
文体・・・かー)^o^(

古田足日先生と最初にお会いしたのは、ワタクシメの出版記念パーティーでした。

苦節10年(涙)

その間応援してくださった先生や仲間、親類縁者を招いてお礼をしたり、祝っていただくのが「出版記念パーティー」だと思っておりましたら・・・
「岡田なおこ・お披露目の宴」だったみたいでした。(本人はわかっていなかった・苦笑)
 
来賓名簿を見たら、児童文学界のそうそうたるお名前が並んでいて、ドッヒャ~ (^_^;)

その中のお一人が古田先生でした。

他のお客様からもたくさんお祝いの言葉や叱咤激励されたのですが、
古田先生がワタクシメの「文体が素晴らしい」と、べた褒めしてくださったのが強く心に残っています。

デビュー作・薫Ingは、いい作品ですよ(自画自賛・笑)
10年間もんもんとして、やっと世に出た作品ですから「いい作品」に決まってるじゃないですかwww
とはいっても・・・
当時のワタクシメは「文体」について考えたこともありませんでした。

古田先生が亡くなられてから、あの日の古田先生のスピーチが頭の中で聞こえています。
そして、
「古田先生が褒めてくださった文体とは何べそ?」と、自問自答も繰り返しています。

少なくとも、このブログの文体ではありませんわね ( ..)φ


野間児童文芸新人賞

出版記念パーティーに来てくださったオエライさんの話では、
「薫ingは新人賞は総なめ」とのことでした。
選考委員をされている先生方がおっしゃるんだから「やったぁ!」と、ワタクシメは大船に乗っておりました。

じゃが・・・
下馬評だったか(涙・涙・涙)
話が違うじゃーん (・へ・)

「本を出せただけで感謝しよう」と、ワタクシメが「新人賞」のことを忘れた頃に・・・ドッカーン!

一番デカイ・野間児童文芸新人賞を賜りました。

ここいらの記憶はあいまいですが・・・選考委員を代表して「受賞」の第一報をくださったのが、古田先生でした。

電話ではありましたが、ワタクシメは先生に抱き着かんばかりに舞い上がりました。
だって、
副賞が100万円だったのですもの(爆)
野間賞の重さは後からじわじわ認識しましたが、当時のワタクシメに「100万円」は腰が抜けるほどの額でした。
ーー副賞・100万円☆彡

お金のことを言ったらサモシイ気もしますが、
「○○賞は取れる」
「××賞の候補になった」と、ワタクシメを喜ばせてしまい、古田先生は気になさっていたのではないでしょうか?!
または「野間賞」と言っても岡田はピンと来ないだろう・・・とお思いになり、まずは100万円で飛び上がらせてくださったのかも知れません。

あの時の古田先生は饒舌でした。
電話の向こうで選考委員会の様子も事細かに話してくださいました。
冷静になると「聞いてはいけないことを聞いてしまった」かなぁ (^_-)
それもいい想い出です。

選考委員のことは、人間味あふれる“古田足日”ナイショの話としてワタクシメの胸にしまっておきましょう(笑)





薫ing(かおるイング)岡田なおこ 作 桑原 良江 絵

私は,戸田 薫。
体に障害があって不自由だけど,今の自分を精一杯生きて,すてきに青春したい。

★第30回野間児童文芸新人賞
初版年月日  1991/11/20

岩崎書店HPより



食い物の恨みはコワイ(^○^)

「古田足日 ナイショの話」には後日談があります。
野間賞の授与式は帝国ホテルで行われます。
ワタクシメは、
授与式も、
帝国ホテルのパーティーも、
100万円も(笑)、初体験で、
その他もろもろ・・・緊張はMaxでした。

ところが、
大御所の皆々様は違いました。
その年は「ダブル受賞」があり、副賞が2倍掛かったとのこと。
「その分、料理が少ない」と盛んにぼやいているのです。
古田先生も、
「寿司が食べられなかった」とか、
「そばは品切れになってた」と、真面目な顔で悔しがっておられました。

ーー子どもかよ(ワラ)

命をかけて「児童文学」に取り組んだ古田足日先生ですが、子どもっぽい一面もお持ちでした。

ワタクシメは古田先生から「食い物の恨みはコワイ」ということも学びました (^○^)

                                  つづく


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古田足日先生を偲んで ①

2014年06月28日 | クリエーター・モード
まずぱ「夢」の話から・・・

久しぶりにやってきたYちゃん。
我が家に着くなり「おしいれのぼうけん」を読み始めます。
ワタクシメもこの作品は好きですが、
「せっかくの女子会だから違う話をしませんか~」と言おうとした時に、Mちゃん乱入。
Mちゃんは子どもの頃「おしいれのぼうけん」が大好きで、ワタクシメが著者の古田足日先生を存じ上げていると知り、
「ファンレターを書くから先生に送ってください!」と言ったほど。
となれば・・・
夢の中の女子会は「おしいれのぼうけん」で大盛り上がり ヽ(^。^)ノ

ここのところ古田足日先生のことが頭にあるので、こんな夢を見たのでしょう。

「おしいれのぼうけん」をご存じない方のために、ウィキペディアよりコピペ・・・ 
『おしいれのぼうけん』は、ふるたたるひ(古田足日)・たばたせいいち(田畑精一)著による絵本、童話である。
1974年と1980年に童心社より出版され、2012年夏には累計部数が200万部を突破した。

【物語】
「さくら保育園」に通う、あきらとさとし。
二人の男の子は、ある日おもちゃを取り合ってけんかになった事で先生に叱られ反省のため真っ暗な「おしいれ」に入れられてしまう。
「ごめんなさい」と言わないと出してもらえないのだ。
しばらくは口をきかず、謝ることもしなかった二人だが、やがて暗闇の向こうから不気味なねずみばあさんが、無数にうごめくネズミを従えて現れる。
押し入れの空間もいつしか闇の向こうの別の世界に続くトンネルと化していた。
二人はやがて、手をつなぎ「おしいれ」の冒険へと旅立つ


児童文学の大御所に触れ、思うことはいつも同じです。
皆さん「才能」はもちろんお持ちですが、それだけではありません。
「児童文学・文化」にこだわっておられるんです。
子どもの時に出会った絵本(音楽もマンガもテレビも同様)は、生涯を通して心の傍らにいてくれます。
そのことを腹にくくりつけ、創作された方たちなんです!

信念を貫いて創られたモノは時代が変わっても色あせません。

初版から約40年経っても読み続けられている「おしいれのぼうけん」を、
「現代の児童書の基盤」だとワタクシメは思っているし、作者である古田足日先生を心から尊敬しています。


もう一つの「夢」

「おしいれのぼうけん」で盛り上がった女子会の後で、ワタクシメはもう一つ「夢」を見ました。
それは古田先生がシルバーカートを押している姿でした。
古田先生はお若い頃お病気をされたようで、晩年は骨祖損傷でお辛そうでした。
シルバーカートは押していませんが、カバンをたすきがけに掛け、一生懸命歩かれていました。
お会いするたびに体が縮み声もかすれていきました。
「小さなおじいちゃん」という風情で、ロングセラーをいくつも描かれた大作家には見えませんでした。
しかし「小さなおじいちゃん」になれば、なるほど、古田先生の「一生懸命」は強くなる感じでした。

古田先生は何人ものご同輩や後輩を見送られました。
ワタクシメも何人かの方の葬儀に参列しましたが、その都度(ワタクシメからは師)亡くなられた方への想いと、弔辞を読まれる古田先生のご心痛が伝わってきて、ダブルパンチで悲しかったです。

古田先生は、まさに眠るように逝かれたとのことです。
ご葬儀の日は梅雨の晴れ間で、青空が広がっていました。
式に参列できなかったワタクシメは、空を仰いでホッとしていました。
古田先生には苦しまず穏やかに旅立っていかれた・・・本当によかった。

ゆっくりしっかり歩まれる古田先生を偲んでいるから、そんな「夢」を見たのだと思います。


最後の手紙

ここ数年、古田先生にお年賀状を出してもお返事はありませんでした。
お忙しいしお年だから・・・と思っても、ちょっぴりさみしい気持ちでした。
でも、2010年6月、古田先生の新刊が届きました。
これが古田先生からの最後のプレゼント&お手紙となりました。



「星の上のガラスの町」
本に添えられたお手紙によると、1964年~雑誌に連載・・・
1978年に童心社から刊行・・・。
1984年、フォア文庫として、
それに加筆修正した「復刻版」を日本標準から刊行。
同じタイトルの3冊はそれぞれ内容が違うそうです。
「古田足日こだわりの一作!」ですね。

この作品を読み最初は、
ーー古田足日はSFも書くの (?_?)とビックリしました。
しかし「ヒューマニズム」を追い求める古田先生の姿勢は一貫しています。
若き日に書かれたSF「月の上~」は、その後のライフワークとなる「新しい戦争児童文学」につながるものがあります。

【物語】  Amazonより

いまから遠い未来、人類が月にくらすようになった時代、
月の上には、すきとおる巨大なドームにおおわれたガラスの町がありました。
そこには友だちのようなロボットがいたり、工場や農園があったり、背の高い草がはえていたり…
そんなガラスの町で、人びとはどんなできごとにであい、なにを感じ、考えていたのでしょう。
さえざえとさえわたる月光のような、ものがたり6話を収録。


お手紙の最後に、
  八十二歳です。
  体のあちこち、故障しています。
  あせらずいそがずゆっくりした気持ちで、
  もう一、二編、作品を書きたいと思っていますが、どうなりますことやら・・・。


先生はお書きになりたいモノを書ききったのでしょうか?

                           つづく

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パワーポイント・雪辱戦 ●~*

2014年06月25日 | 日記
“パワポ”に泣いたのは一月だったね       

あぁ、6月も末ですわ。
1年の半分が終わろうとしておりやすぅ。
「あっという間」といえば、あっという間でしたが、
“パワポ”に泣いた、あの夜のことは・・・思い出したくもない(-"-)

今年の始め、極寒と風邪っぴきの中、
手探りで、パワーポイント初挑戦!
しかし、会場のプロジェクターとの接続がうまくいかず、
何日もかけて作った資料を発表できなかったんです(泣)

その詳細(どうでもいいことも含めて)はこちら ⇒ 1月はボロボロだった (T_T)/~~~

あの日、
     ン年ぶりに「お話し会」をやりノッテいますので!
     講演依頼受けますよ(V)o¥o(V)


なーんて書いたけど、パワポを使って「お話し会」をすることはありませんでした。
ところが今月に入ってから急にバタバタと・・・近所の小学校からお声が掛かりました。
それも、
甥っ子・芋助が日本に来ている時に編入させていただくクラス(学年)の授業です。
つまり、
顔見知りの子ども相手ということ。
担任先生はお二方とも「はじめまして」なのですが、
子どもたちは一年生の頃から「岡田さん=障がい者」の存在を知っているわけです。
だから、
「彼らの知らない“岡田さん”について語ろう」と思ったりしちゃって(笑)。

頼まれてもいないのにwww
1月に作ったパワポをグレードアップ! (したつもり)
マニュアルなしでパワポを使うの、ワタクシメってすごい、かも(^^ゞ
でも、
「パワポ雪辱戦」ばかりに夢中になって、レジメ(台本)を書くの忘れてました。
こういう状況を「本末転倒」というんだわ、きっと(汗)

      *** パワポのCDを先生に渡した後は「サッカーW杯」の応援で寝不足 ***
          とりあえず授業の前夜は早寝しよう。

「お話し会」がうまくいきますように~        合掌 .。o○


ワタクシメは「物作り」が好き (*^。^*)

パワポと格闘していて思いました。
ワタクシメはつくづく「物作り」が好きなのです! 

「下手の横好き」ですが、
子どもに知らせたい事柄を考え、
わかりやすい言葉や写真を選んでいると、
ワタクシメの方がわくわく楽しくなってきます。

自己流で懲ってものを創っても、それを見た子どもたちが「木を見ず森を見る」になったら意味がありません。
「語る・伝える」ことの原点に戻り、パワポ作成は80%で切り上げました。

実はここのところ何回か続けて「当事者」の体験談を聴く機会がありました。
どんな「当事者」であっても、その人しか体験していない事をうかがえば興味深いしおもしろかったです。
ただ「専門用語≒業界用語」が多いと、聴衆者は置いてきぼりにされた気がするし、
語り手にとっての「負の部分」にも触れてくれないと物足りないと感じました。

ワタクシメの「お話し」を聞く子どもたちは、「言語障がい」にも付き合うのですから尚のこと、
わかりやすい内容を心掛け、
障がい者を取り巻く「正と負」をバランスよく伝えたいと思います。

「創作活動」においても・・・心掛けているんですが、なかなか形になりませ~ん(涙)

それに関連して「古田足日先生の想い出」も書けませーん <(_ _)>

自分自身の宿題は、また次回。

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行きたかった~、行きたかった~、行きたかった~(=^・^=) ニャン

2014年06月20日 | 日記
「予告」どおりにはいきませぬ(涙)

前回「古田足日先生の想い出を書く」と予告してから早10日。
古田先生のご葬儀の頃、ワタクシメは「オイソガシ」でありました。
無理すれば参列できたかも・・・知れませんが、
ワタクシメがへたばったら元も子もないと思い、弔電だけで失礼しました <(_ _)>

古田先生のご本を引っ張り出したり、まとめ買いしたので、読書ができる状況になったら、
ゆっくり想い出に浸り、つづろうと思っています。

2か月に一度、障がい者団体の機関紙の作業と雑誌の締め切りが重なります。
前にも書きましたが、障がい者団体の方は「どいつもこいつも~・怒」なので、さじを投げることにして(苦笑)
雑誌の方は早めにエンジンを掛けて、乗り切ろうかなっと。

落ち目のワタクシメに「雑誌の仕事」が来るなんて~、
有難いことです(涙)
雑誌か発売になったら詳細をお知らせしますが・・・
スランプ中のワタクシメには“罰ゲーム”みたいな、お・し・ご・と(笑)

うーむ。
「必要」とされているから忙しい。
それは「喜ぶ」べきことです。
であるが「疲れる」ね~ (-"-)


やっぱり“雨”がネックです


5月はかなり出歩きましたが、1か所だけ行きそびれた所があります。
それは上野の「国立科学博物館」です。

知人が「グループ展」に写真を出していました。
上野の森って気持ちがいいんですが、車いすで行くには「気合」が必要。
チンタラしてるとカラスに襲われたり、ホームレスさんにぶつかりそうになるんで(汗)
大変なんですぅ ^_^;

後で知ったんですが、同じ会場で「医は仁術=特別展」が開催されていました。
「医は仁術」の方はすでに終わったと思い、チェックしていなかったんです。

「気合」を入れるのが遅かったぁ。
「梅雨」というか「集中豪雨」に立ち向かってまで出掛けるコンジョーはなかったぁぁぁ。
エーン。
エーン。




~ 医は仁術(HPより)みどころ ~

日本の医学・医療は世界の最先端と言われているが、その始まりは江戸時代にあった。
山脇東洋が日本初の人体解剖を行い、その情報により各地で解剖が行われるようになった。
また1774 年、杉田玄白らが翻訳した『解体新書』は、蘭学が急速に日本中に広まるきっかけとなった。
人々を救うために、正しく人体がどのような構造であるかの解明が、漢方医らも含めて始まったのである。

本展では、当時の希少な解剖図などの史料の他、江戸時代の医療道具等も展示し、
中国から来た漢方と西洋から来た蘭方が、「医は仁術」が実践された日本で、
いかに独自に発展して人々を救ってきたかを探っていく。


突然ワタクシメが「医学」に目覚めたか・・・って?
前から「江戸時代」に興味を持ってたか!

そんな高尚なワケないっしょっ (^_-)

「行きたかった理由」はコチラ ↓

  スペシャルナビゲーター・大沢たかお
TBSドラマ「JIN-仁-」で現代から江戸時代にタイムスリップする医師、南方仁(みなかた じん)役を
好演した大沢たかおさんが、本展で皆様を江戸の世界にご案内いたします。
また音声ガイドのナレーションもつとめます。


行った人の話では、
「大沢たかおの声が耳元で・・・(#^.^#)
           すごくよかったわよ」。

くやちぃー(号泣)

ここのところ疲れが抜けないのは「悔し涙」のせいかもねwww

行きたかった~、行きたかった~、行きたかった~(=^・^=) ニャン



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栄養補給しておいてよかった U^ェ^U ワン!

2014年06月09日 | 日記
気候はジェットコースター

♪ 恋はジェットコースタ~~~
         という歌がありましたが、
ここ10日間位は「気候はジェットコースター」です。
真夏日が続いた後、いきなりの梅雨入り。
気温がドーンと下がり、湿度がじっとと。

ーーケンカ売っとんのかー、おんどりゃー(怒)

空に向かって叫ぶ、ワタクシメ。
体調が、
いや、機嫌が、悪いでごじゃる。
5月中に心身ともに栄養補給しておいて、本当に正解でした (^_^)v

幸せだった5月の最後の想い出は「園芸部」の副産物・ハーブ湯。

剪定したバジルとローズマリーをバスタブに入れて、香りを楽しんだ、あの日から何日も経っていないのにぃ~。
ワタクシメは蟻地獄へ落ちていったのでした。   


“魔のシーズン”開幕

毎年6~7月の間に障がい者団体の総会があり、5月からその準備が始まります。

以前にも書いたかも知れませんが、
この時期が、
1年の中で、
1番、お忙しく・・・
緊張し・・・
ストレスがたまるんです、ワタクシメ。
“魔のシーズン”といったところ。

「何が大変か?」って???
一言でいえば「イヤ」なんですよね(笑)

毎月書いている「活動報告」をまとめたり・・・
もっともらしい「方針案」を考えたり・・・イヤだぁぁぁ。

「だーばぁさんは『書く』のが得意」と思われていますが、
「団体としての文書」なので、ワタクシメの意と異なる場合もあります。
何人かが書いたものをくっつけて、体裁を整えるのが、ワタクシメの役目。

ーー「書ける」から書きたくないこともあるのじゃよ。

でも、
外回り(対外的な活動)は極力サボっているので、
パソコンで出来ることは無理して頑張るだけ頑張ろうと・・・頑張っています(ヘンな日本語・笑)

それにしてもさ、
メインの原稿が滑り込みセーフ(ミーティングで使う文書が当日の朝届く)とか、
「ワードがうまく開けないから、プリントアウトして郵送してくれ」とか、
けっこうな枚数の資料を「ファックスしてくれ」とか・・・

ーーもう~、どいつも、こいつもー!

皆さんそれぞれ事情はあるでしょうが・・・カンベンしてよ(泣)

その上、これも何度も書いていますが(-"-)、
パソコンの引っ越しが長期戦となり、
追い打ちをかけるがごとく、ネットがつながらなくなったりして(号泣)
ボロボロで、どろどろの日々でしたぁ。

郵便出したりファックス送ったりはヘルパーさんに手伝ってもらいますが、
データの管理や整理などなどー
 パソコンちゃんたち総動員で、ワタクシメは目の下にくま作って、奮闘しました (・へ・)

その甲斐あって、総会の一ヶ月前に資料が完成!

ーー今日を限りに「総会」の雑務は終わりーと、自分の心に宣言をし、
ーー「日本児童文学」の仕事に掛かるぞ~と、FBを開いて最初に見たのは、古田足日先生の訃報でした。



疲れと悲しみを引きずりながらも、雑誌の締め切りに向かって走らなければ *~*

   楽しかった5月を糧に・・・
   ガンバレ、自分 p(^^)q

古田先生の想い出は、また次回。
人生って、ドラマチック過ぎます。
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