文体・・・かー)^o^(
古田足日先生と最初にお会いしたのは、ワタクシメの出版記念パーティーでした。
苦節10年(涙)
その間応援してくださった先生や仲間、親類縁者を招いてお礼をしたり、祝っていただくのが「出版記念パーティー」だと思っておりましたら・・・
「岡田なおこ・お披露目の宴」だったみたいでした。(本人はわかっていなかった・苦笑)
来賓名簿を見たら、児童文学界のそうそうたるお名前が並んでいて、ドッヒャ~ (^_^;)
その中のお一人が古田先生でした。
他のお客様からもたくさんお祝いの言葉や叱咤激励されたのですが、
古田先生がワタクシメの「文体が素晴らしい」と、べた褒めしてくださったのが強く心に残っています。
デビュー作・薫Ingは、いい作品ですよ(自画自賛・笑)
10年間もんもんとして、やっと世に出た作品ですから「いい作品」に決まってるじゃないですかwww
とはいっても・・・
当時のワタクシメは「文体」について考えたこともありませんでした。
古田先生が亡くなられてから、あの日の古田先生のスピーチが頭の中で聞こえています。
そして、
「古田先生が褒めてくださった文体とは何べそ?」と、自問自答も繰り返しています。
少なくとも、このブログの文体ではありませんわね ( ..)φ
野間児童文芸新人賞
出版記念パーティーに来てくださったオエライさんの話では、
「薫ingは新人賞は総なめ」とのことでした。
選考委員をされている先生方がおっしゃるんだから「やったぁ!」と、ワタクシメは大船に乗っておりました。
じゃが・・・
下馬評だったか(涙・涙・涙)
話が違うじゃーん (・へ・)
「本を出せただけで感謝しよう」と、ワタクシメが「新人賞」のことを忘れた頃に・・・ドッカーン!
一番デカイ・野間児童文芸新人賞を賜りました。
ここいらの記憶はあいまいですが・・・選考委員を代表して「受賞」の第一報をくださったのが、古田先生でした。
電話ではありましたが、ワタクシメは先生に抱き着かんばかりに舞い上がりました。
だって、
副賞が100万円だったのですもの(爆)
野間賞の重さは後からじわじわ認識しましたが、当時のワタクシメに「100万円」は腰が抜けるほどの額でした。
ーー副賞・100万円☆彡
お金のことを言ったらサモシイ気もしますが、
「○○賞は取れる」
「××賞の候補になった」と、ワタクシメを喜ばせてしまい、古田先生は気になさっていたのではないでしょうか?!
または「野間賞」と言っても岡田はピンと来ないだろう・・・とお思いになり、まずは100万円で飛び上がらせてくださったのかも知れません。
あの時の古田先生は饒舌でした。
電話の向こうで選考委員会の様子も事細かに話してくださいました。
冷静になると「聞いてはいけないことを聞いてしまった」かなぁ (^_-)
それもいい想い出です。
選考委員のことは、人間味あふれる“古田足日”ナイショの話としてワタクシメの胸にしまっておきましょう(笑)
薫ing(かおるイング)岡田なおこ 作 桑原 良江 絵
私は,戸田 薫。
体に障害があって不自由だけど,今の自分を精一杯生きて,すてきに青春したい。
★第30回野間児童文芸新人賞
初版年月日 1991/11/20
岩崎書店HPより
食い物の恨みはコワイ(^○^)
「古田足日 ナイショの話」には後日談があります。
野間賞の授与式は帝国ホテルで行われます。
ワタクシメは、
授与式も、
帝国ホテルのパーティーも、
100万円も(笑)、初体験で、
その他もろもろ・・・緊張はMaxでした。
ところが、
大御所の皆々様は違いました。
その年は「ダブル受賞」があり、副賞が2倍掛かったとのこと。
「その分、料理が少ない」と盛んにぼやいているのです。
古田先生も、
「寿司が食べられなかった」とか、
「そばは品切れになってた」と、真面目な顔で悔しがっておられました。
ーー子どもかよ(ワラ)
命をかけて「児童文学」に取り組んだ古田足日先生ですが、子どもっぽい一面もお持ちでした。
ワタクシメは古田先生から「食い物の恨みはコワイ」ということも学びました (^○^)
つづく
古田足日先生と最初にお会いしたのは、ワタクシメの出版記念パーティーでした。
苦節10年(涙)
その間応援してくださった先生や仲間、親類縁者を招いてお礼をしたり、祝っていただくのが「出版記念パーティー」だと思っておりましたら・・・
「岡田なおこ・お披露目の宴」だったみたいでした。(本人はわかっていなかった・苦笑)
来賓名簿を見たら、児童文学界のそうそうたるお名前が並んでいて、ドッヒャ~ (^_^;)
その中のお一人が古田先生でした。
他のお客様からもたくさんお祝いの言葉や叱咤激励されたのですが、
古田先生がワタクシメの「文体が素晴らしい」と、べた褒めしてくださったのが強く心に残っています。
デビュー作・薫Ingは、いい作品ですよ(自画自賛・笑)
10年間もんもんとして、やっと世に出た作品ですから「いい作品」に決まってるじゃないですかwww
とはいっても・・・
当時のワタクシメは「文体」について考えたこともありませんでした。
古田先生が亡くなられてから、あの日の古田先生のスピーチが頭の中で聞こえています。
そして、
「古田先生が褒めてくださった文体とは何べそ?」と、自問自答も繰り返しています。
少なくとも、このブログの文体ではありませんわね ( ..)φ
野間児童文芸新人賞
出版記念パーティーに来てくださったオエライさんの話では、
「薫ingは新人賞は総なめ」とのことでした。
選考委員をされている先生方がおっしゃるんだから「やったぁ!」と、ワタクシメは大船に乗っておりました。
じゃが・・・
下馬評だったか(涙・涙・涙)
話が違うじゃーん (・へ・)
「本を出せただけで感謝しよう」と、ワタクシメが「新人賞」のことを忘れた頃に・・・ドッカーン!
一番デカイ・野間児童文芸新人賞を賜りました。
ここいらの記憶はあいまいですが・・・選考委員を代表して「受賞」の第一報をくださったのが、古田先生でした。
電話ではありましたが、ワタクシメは先生に抱き着かんばかりに舞い上がりました。
だって、
副賞が100万円だったのですもの(爆)
野間賞の重さは後からじわじわ認識しましたが、当時のワタクシメに「100万円」は腰が抜けるほどの額でした。
ーー副賞・100万円☆彡
お金のことを言ったらサモシイ気もしますが、
「○○賞は取れる」
「××賞の候補になった」と、ワタクシメを喜ばせてしまい、古田先生は気になさっていたのではないでしょうか?!
または「野間賞」と言っても岡田はピンと来ないだろう・・・とお思いになり、まずは100万円で飛び上がらせてくださったのかも知れません。
あの時の古田先生は饒舌でした。
電話の向こうで選考委員会の様子も事細かに話してくださいました。
冷静になると「聞いてはいけないことを聞いてしまった」かなぁ (^_-)
それもいい想い出です。
選考委員のことは、人間味あふれる“古田足日”ナイショの話としてワタクシメの胸にしまっておきましょう(笑)
薫ing(かおるイング)岡田なおこ 作 桑原 良江 絵
私は,戸田 薫。
体に障害があって不自由だけど,今の自分を精一杯生きて,すてきに青春したい。
★第30回野間児童文芸新人賞
初版年月日 1991/11/20
岩崎書店HPより
食い物の恨みはコワイ(^○^)
「古田足日 ナイショの話」には後日談があります。
野間賞の授与式は帝国ホテルで行われます。
ワタクシメは、
授与式も、
帝国ホテルのパーティーも、
100万円も(笑)、初体験で、
その他もろもろ・・・緊張はMaxでした。
ところが、
大御所の皆々様は違いました。
その年は「ダブル受賞」があり、副賞が2倍掛かったとのこと。
「その分、料理が少ない」と盛んにぼやいているのです。
古田先生も、
「寿司が食べられなかった」とか、
「そばは品切れになってた」と、真面目な顔で悔しがっておられました。
ーー子どもかよ(ワラ)
命をかけて「児童文学」に取り組んだ古田足日先生ですが、子どもっぽい一面もお持ちでした。
ワタクシメは古田先生から「食い物の恨みはコワイ」ということも学びました (^○^)
つづく