だーばぁの流儀

児童文学作家・岡田なおこブログです。
全身マヒ+オストメイト・作家・アラ還ならではの日々を気ままにつづっています。

どんな命も尊いってことよ ♥

2018年07月27日 | 日記
マジで“忙しい”んです、ワタクシメ。

スマホの「蟻地獄」に陥りながらも、ハードなスケジュールで暮らしております、ワタクシメ。

「お遊び話」は日を改めて書くとして・・・
昨日「衆議院」に行きまして=正確には衆議院第一議員会館 大会議室・・・「通行証」なんぞを渡されたので、ちょっと自慢😊
猛暑の間をくぐり抜け、「福祉タクシー」のない不便さに立ち向かい、生きているアリバイ写真 📷 カシャッ。






【JDサマーセミナー2018】  障害のある人のいのちと尊厳を学ぶ~あなたの中にある優生思想~ に参加してきたんですよ❣

「主なプログラム」は下記のとおりです。

◆趣旨説明  藤井克徳 JD代表
◆強制不妊手術の実態調査について 厚生労働省子ども家庭局母子保健課担当
◆旧優生保護法下における強制不妊手術について考える議員連盟「経過と今後」 福島 みずほ(同議連事務局長)
◆≪基調講演≫ 「優生思想の歴史と今日的課題」 市野川 容孝(東京大学大学院総合文化研究科教授)
◆≪特別報告≫ 「ろうあ者が受けた強制不妊手術の実態」 大竹 浩司(全日本ろうあ連盟福祉・労働委員会委員長)
◆≪特別インタビュー≫
 尾野 剛志(前津久井やまゆり園家族会会長)
 野口 宣之(津久井やまゆり園入所者家族)
 聞き手 藤井JD代表
◆当事者・家族のおもい
 平沢 保治(多磨全生園入所者自治会 会長)*ビデオメッセージ
 永田 直子(東京都手をつなぐ育成会 副理事長)
 和田 公一・千珠子 夫妻(横浜市在住)



「基調講演」の後は障がい当事者や家族のお話しで、心打たれることばかりでした。


「相模原障害者施設殺傷事件@津久井やまゆり事件」から2年目となるので、すごく真面目な話題から書くことにします。

この事件のことは皆さんご承知と思いますが、2016年7月26日未明、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元施設職員の男が侵入、
所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件です。

ワタクシメはベッドの中でうつらうつらしながら、ニュースを聞いていました。
その時は、何が起きたのかハッキリわかりませんでしたが、殺害人数19人は、第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては最も多い・・・というか、
強い「優生思想」のもと起きてしまった「大量殺人・虐殺事件」でした。
誰の心にも少なからず「優生思想」はあるとワタクシメは感じていますが、
犯人が言った「障害者は不幸を作ることしかできない。意思疎通もできない重度障害者には生きる価値がない」という内容の言葉は日本社会を震撼させました。

家族会の会長でよくメディアに登場する尾野さんですが、直接お話を聞くと現場の血生臭さが手に取るように伝わってきました。
この日、いままで公の場に出なかった家族の方もお話しして下さいました。
尾野さんの場合、意識が戻った息子さんが「お父さん、お父さん、お父さん」と数十分間呼び続けてくれて、
「父親として今まで十分やってきたのか? 息子のために(やまゆり園の入所者のために)何かやらなければ」と思うようになり、
最初にNHKの取材を受けられたそうです。

「皆さんそれぞれ事情があると思うけれど、障がいのある子の方が可愛いんですよ。
それを、あんな苦しい目に遭わされ、殺された人もいて、気がおかしくなっている最中マイクやカメラを向けられたら、拒否しちゃいますよ。
でも、時間が経てば、公の場で詳しく話せるようになるかも知れません。
私は普段の『やまゆり園』の様子を報道してほしい。子どもたちのことをしってほしい。
そうすれば『障がい者は生きる価値がない』なんて思わなくなります云々」
少々言葉は違いますが、そのように話されていました。


旧優生保護下で強制的に不妊手術を受けさせられた被害者@障がい者


この問題は今年になって被害者が名乗りを上げ国家賠償訴訟を提訴し、政府、国会内でも被害者「救済」に向けての動きがようやく出てきました。
マスコミ報道も活発に行われていますが、実態の解明と被害者への謝罪と公的補償を求める運動は、ずいぶん昔から始まっています。

優生保護法は、「不良な子孫の出生の防止」、表向きは「母体の生命健康の保護を目的」とし、刑法堕胎罪の例外規定として条件付きで中絶を合法化しました。
遺伝性疾患やハンセン病を理由とした人工妊娠中絶や不妊手術を許可、強制的に不妊手術をおこないました。

優生保護法の前身はナチスドイツの「遺伝病子孫予防法(断種法)」にならってつくられた「国民優生法」と言われます。

「優生保護法」はハンセン病者など遺伝性疾患以外に対象を拡大し、また「本人の意思に反しても」強制的に行えるとして、「身体の拘束」「麻酔薬施用」、
今回お聞きした内容では、満足に読み書きができず、相談相手のいない障がい者を「だます」ような手段も使ってようです。
学校の先生に「手術をしなければいけない!」と追い詰められ、訳も分からぬうちに「された」とか。

「産めよ増やせよ」の時代が終わってからの方が対象者は拡大、本人同意を必要としない強制手術を受けさせられた人だけで1万6475人。
この数字は調査の中間報告なので、今後もっと増えるでしょう。

ワタクシメは20数年前にハンセン病の平沢さんとお仕事をさせていただいたことがあります。
シンポジウムのパネラーです。
シンポジウム全体で3時間弱なのに、平沢さんが「私は最低2時間しゃべる。しゃべりたい」と言い出して焦ったことがありました(笑)
確かにハンセン病患者として生き抜いた平沢さんのお話しは一晩でも終わらないし、お聞きしたいのは山々でしたが、
「ここは30分以内でまとめて下さい」と、スタッフ一同お願いしたのを思い出します。
そのシンポジウムでも「断種が一番つらかった」と語られましたが、昨日のセミナーではかなり具体的に話されて、ワタクシメは胸が張り裂けそうでした。

当時「結婚したいのなら不妊手術をしろ」と交換条件を出され、
同園の患者同士、好きになり一緒に暮らしたい一心で承諾したら、医者でもないスタッフに犬猫同然のあつかいで手術された。
そして結婚してみたら、10畳一間に何組もの夫婦が雑魚寝するような住居に入れられ、「結婚生活」は名ばかりだった。
「子どもがいれば幸せ」とは限らないが、家族を作らせてもらえなかったのは、本当に悔しい。
インドのハンセン病患者に会いに行ったら、お孫さんが出迎えてくれた。
その時、日本に生まれたことを恨んだ・・・

平沢さんはお若い時は世界中を飛び回っていましたが、さすがに91才となり車いすを使われているので、ビデオメッセージでの発言でした。
でも今でもハンセン病の資料館で見学者、特に子どもたちに「差別の歴史、そして平和」を語られています。



今どきの“障がい者”


最後にお話しされた和田 公一・千珠子 夫妻は精神疾患がありますが「できちゃった婚」で、数々のハードルを乗り越えいる真っただ中。
「夫婦漫才風にやります😊」と登場され、ご夫妻で語る体験記に場内は笑いの渦となりました。
実生活は「笑えないこと」がたくさんありそうですが、たった一度の人生ですから悔いのないように生きているお二人に「ブラボー👍」と大拍手が贈られました。

「障がい者は生きる価値はなくは、ないです!」
「不良な子孫が、いてもいいです!」と、強くは言えませんよ、ワタクシメ (o|o)
「障がい者である自分の価値」なんて、わかんねぇーし、自分の中の「不良な遺伝子」を感じることもありますからね(笑)

ただ、「健常者」と呼ばれる人の中にもワケワカメな人は多いし、人口の比率からいうと「健常者」の方が多いから、
「価値のない健常者」や「不良な子孫を残す健常者」も大勢いると思いますけど (*'ω'*)


~障害のある人のいのちと尊厳を学ぶ~というセミナーに参加したワタクシメの感想は、「どんな命も尊い」ということ。
どんな命でも「○○法」によってコントロールしたり・されたりするのではない。
もし命に関与する法があるのなら、「いのち」をいかに輝かせるか・活かせるか、それを実現せるための「法」であるべきだし、
「いのち」を守ることも活かすこともできない法ならば、スルーして個々に活きられる場所を探していけばいいと思いました。


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ついに・・・スマホに変えました 📲

2018年07月23日 | 日記
だーばぁ宅は災難続き 😿

久しぶりの更新です。
「災難」というか「苦難」が続いているし、猛暑だし💦💦💦 力尽きております、ワタクシメ。

最初の災難はココにも書きました「パソコンお陀仏事件」です。
その後、テレビが見られなくなりました 📺
これは「リモコンの故障」で、それ自体はたいしたことはありませんでしたが、ちょうどサッカーW杯の真っ最中、
日本戦の頃でしてぇ、猫も杓子も「テレビ漬け」というタイミングに、何の罰ゲーム?(汗)
仕方ないから、ワタクシメ、ラジオでサッカー中継を聞きました⚽

  ああー、楽しかった ⤵⤵⤵

その次は「冷蔵庫」
こちらは前兆はあったのですが、ある朝ドアを開けたら、洪水 バシャバシャ ⛆☔⛆
その“冷蔵庫ちゃん”は16年位働いてくれたので、「ごくろうさん」と引退していただきましたが、
新しい物を使いこなすのは、なかなか大変なのです。
ワタクシメの手の届く範囲は限らているので、ヘルパーさんたちと日々試行錯誤。中の物の配置を工夫しております。
半月以上経って、だいぶ使い勝手がよくなりましたが、最初はドアポケットから牛乳などが出せなくて、無理して手を延ばしたり背伸びしたりしていたら、
筋肉痛になったり筋がつれたり・・・満身創痍でしたぁ~。

そして、
目下ぶち当たった災難は、「スマホ」であります。
「スマホ」に関しては自ら選んだ「イバラの道」です  (;´д`)トホホ


「らくらくスマホ」は楽じゃない (号泣)

ワタクシメ、手先がほとんど利かず足の親指でキーを押すため、「スマホは使えない」とあきらめていました。
2年前の買い替えの際も、ドコモのお姉さんから「ガラケーの方が安心です」と言われました。
しかし、最近ではスマホのアプリも急増して、「バリアフリーMAP」も登場しましたが、スマホがないと見ることができません。
電車やバスの乗り換え案内や場所や夕食のレシピの検索など、手軽にできて本当に便利そうです。

でも、今回思い切って乗り換えのは「海外旅行」のためです。
10年ぶりくらいに「日本脱出」を計画しているんですよ ✈ 
海外に行くとなったら、スマホは必須アイテム。
旅行の日程が決まってすぐに、ドコモショップに行き、オヤジ様が使いこなしている「らくらくスマホ」を購入しました。

オヤジ様と同じ機種にすれば、いろいろ教えてもらえると思ったのです。
ところが・・・そうは問屋が卸さなかった 😢

電話やメール、SMS程度は順調に習得できましたが、ワタクシメが使いたいアプリはオヤジ様は興味ないようで(笑)
初心にかえってお勉強❣
父子でねじり鉢巻きwwwって風です。

ヘルパーさんの中でスマホを使っている人に頼み「ドコモショップ」に日参してました (* ̄0 ̄)/
ドコモショップでワタクシメに代わりキーを打つこともあるので、ガラケーのヘルパーさんでは対処できないこともあるからです。


「旅行までに最低限『LINE』は完ぺきに使える状態にしよう」と、これが第一目標 👀
ワタクシメだけが使えても「日本」と連絡がつかないので(苦笑)、オヤジ様も「LINEの復習」

そんなこんなしていたら「どこか」に触ってしまい、壊れたようで⚡ ドコモで初期化すること2回 (/ω\)
3回目は「自分で何とかする!」なーんちゃって、せっかく入れたアプリをアンインストールして、ダウンロードからやり直しー。

ここ一週間ほど、アプリのダウンロード&パソコンから「トリセツ」を探し出したりで、寝ようとするとマブタの裏に「GOOGLE」のロゴマークが。

ああー、病んでいるぜよ、ワタクシメ。     合掌 👋


リハビリのクラスの男性陣に相談したところ、「らくらくホン」だと使える機能が限られているようです。
「これもできる。あれもできる」とうたってはいますが、自力で設定しなければならず、便利なアプリは自力で入れるため、
しくじるとワタクシメと同じく、<初期化ーやり直し> 迷路にハマっていく感じ 🌀


使いたいアプリは多々あれど、欲張らず無事にインストールできたモノだけ、大事に大事に使うしかないかなー(o|o)

南の島からココを更新するのは、夢の、夢の、そのまた夢ですわ。
とりあえず今夜は「GOOGLE」にうなされず眠りたいです (-_-)zzz

           

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ルーツを辿る???「出逢いの旅」 👣

2018年07月04日 | 日記
恒例の「墓参りツアー」?

毎年この時期「墓参りツアー」と銘打って、ルーツである信州方面を旅行してます、ワタクシメ。

今回も松本で墓参りをした後、浅間温泉のお馴染みの宿に泊まり、翌日は仲良くなった観光タクシーさんにお願いして「上田方面」を観光してきました。

まずは「ぼんぼん」

「ぼんぼん」は松本の一部の地域に伝わる「提灯行列@おまつり」のこと。
紙で作った花を頭に飾り、浴衣にほうずき提灯をさげ、「ぼんぼんとても今日明日ばかり、あさっては山のしおれ草」と町内をうたい歩く、
8月初めの女の子の行事だそうです。
ワタクシメ、幼少期はよく松本の親せきの家で過ごしまして、このマイナーなお祭りにも参加しました。
そのおぼろげな記憶をハッキリさせたくて、ン10年ぶりに松本の小母に手紙を書いたりメールしたりして、「ぼんぼん」を辿りました。
このことは作品にしたいので・・・お楽しみに ♥

  

メインは「無言館」


長野県上田方面にも、ワタクシメの「ファミリーヒストリー」があるそうなので、ずっといきたいと思っていました。
でも、「ここ」という当てはなく・・・
「どこがいいかなー?」と人に聞いたりネットで調べると「無言館」は必見とのこと!

「無言館」は、画家や彫刻家、あるいはデザイナーや建築家などになるはずの若者が、徴兵によりその夢を断たれ、戦場に散っていきました。
その方たちの遺した作品が展示されている美術館です。

無言館の第二展示館「傷ついた画布のドーム」と「オリーヴの読書館」。
こちらぱスケジュール的に寄れそうもなかったのですが、
「せっかく来たのだし、全館こみこみの入館料(券)なのだから入ろう・・・」と、相変らずみみっちい根性で(笑)がんばりました💦

でも案内の方(学芸員さん? 館長さん?)が、
「敷地内に『俳句弾圧不忘(ふぼう)の碑』と『檻の俳句館』がありますよ。
そこは二月に九十八歳で亡くなった金子兜太さん、『平和の句』の金子先生の“忘れ形見”です。
今日は館長が居るから、解説してくれますから、どうぞ、お寄り下さい」と。
ワタクシメは金子先生の新聞連載の愛読者で、亡くなられて本当に悲しかったので「行く行く、ぜひぜひ!」と寄ることにしました。
そこで出会ったのが館長のマブソン青眼さんです。
マブソンさんはフランス生まれ。パリ大学大学院日本文学を研究し、その後、早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了・・・。
現在は十文字学園女子大学、信州大学非常勤講師されています。
専門は小林一茶研究、俳文学、比較文学。

フランス人に俳句のことや、戦時中の日本人が弾圧されながらも様々な形で「平和」を訴えていたこと等など、たくさんのことを教えていただきました。

偶然立ち寄ったためゆっくり見学できず残念でしたが、
「時間がないのなら、 最後に“イマジン”を歌おう(^^♪」と言って、キーボードに向かうアブソさん。
だーばぁ一行はポカーン(^○^)

「ハミングくらいしてよ。イマジン、歌って―」とアブソンさん苦笑。
「スミマセン 🙇 次回お会いするまでに練習します(冷汗) 素敵な時間をありがとうございました」

「檻の俳句館」では十分お話しできませんでしたが、「Facebook」でつながることができたので、これからもっと勉強して教えを乞いたいです <(_ _)>


上田方面で「ファミリーヒストリー」をみつけるのは無理のようですが、アブソンさんとお近づきになれて新しい世界が拓けたのは、
先祖の導きかも知れません。
松本の「ぼんぼん」同様に、作品に結び付けたいと思っています。

毎度毎度まわりの皆さんにお世話をおかけしますが、身体が不自由なワタクシメでも、様々な縁によって人生を楽しめることに感謝です♥



   ↓ 写真は、無言館の敷地内にあるモニュメントの一つ「「開かないポスト」。
    平和への願いや、夢、想いなど、今の気持ちをこのポストに投函すると、このポストのまま永久に保存されるそうです。





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