最近、ムービースターが余生を暮らす牧場の近所に住む、
かけこさんとまっき―さんと言う方から、
このブログを見つけていただきました。
そして、ムービースターの近況を教えてくださいましたm(__)m
本当にありがたい事です。
で、思い出しました。
なりとろ応援馬エッセイ(?)3部作の2番目。
『名血への祈り ムービースター』
つたない文章ですが、ネットに晒す事にします(^_^;)
間違った情報があるかもしれませんが、
なりとろの主観と想像で描いています。
ご了承くださいませ。。。
書いたのは2003年ごろです。
☆
なりとろにはサッカーボーイよりも愛したお馬がいます。
その名はムービースター。
サッカーボーイは華やかな競馬の世界を私に教えてくれたお馬でしたが、
きっとそれだけでは競馬の全てを愛することは出来なかったでしょうね。
私が競馬を愛したもうひとつの理由。
それはムービースターの存在を抜いては語れないのです。
ムービースター・・・。
私が競馬を始めてから今まで、一番愛して、愛して、愛し抜いたお馬です。
彼は、信じて応援することの大事さと、素晴らしさを教えてくれました。
彼がデビューした時は、サッカーボーイが華やかに活躍している88年秋の事。
その当時、父が同じなら全部『兄弟』だと思っていた私・・・。
ムービースターは、サッカーボーイと同じ『ディクタス』を父に持つ異母兄弟でした。
勿論、父親が同じだといっても、普通は兄弟とは呼びませんよね。
母親が一緒の時に初めて『全弟』『半弟』などと呼ばれるのですから・・・。
そんな勘違い?をした私は、競馬ブックの「新馬紹介欄」に載っていたお馬を目にするのです。
それがムービースターでした。
父がサッカーボーイと同じディクタスで、母父も同じノーザンテーストであったため、
何の疑問も持たずに注目したのです。
そしてTVで見た新馬戦・・・。
ムービースターは、サッカーボーイと同じ強烈な末脚で勝ち上がりました。
私はその差し切ったムービーの姿にもう虜。
必ずサッカーボーイと同じ活躍をしてくれるものだと期待したのです。
サッカーボーイが進めなかったクラッシックロード。
『弟』ムービースターにその雪辱を求めたのですが、彼には弱点がありました。
それは『道悪』です。
ムービースターは小さい身体を一杯に伸ばして走る、とてもトビのきれいなお馬でしたから、
道悪は極端に苦手だったのです。
暮れに2勝目をあげたムービーは、G1へと駒を進めるために重賞競走に出走しますが、
ほとんどのレースで雨が降り、道悪競馬を余儀なくされました。
その結果、春のクラッシックには全く縁がなく終わってしまったのです。
しかし夏の小倉で古馬を相手に900万クラスを圧勝。
秋以降に期待を持たせました。
3歳(当時は4歳)時はそんなこんなで勝ち切るところまでは行きませんでしたが、
古馬混合重賞でも、そこそこの成績を収めました。
ところが3歳時の無理がたたったのか、4歳になってからは惨敗の連続・・・。
休養を挟んで大敗・・・と言う状況が続きました。
誰もがもうダメだと思った中、ムービースターを障害レースに・・・と言う話が出たそうです。
420キロの身体で障害レース・・・。ちょっと厳しいし、やっぱり(落馬→故障が)怖い・・・。
そんな時にある騎手が『この馬はまだまだやれますよ』と助言してくれたそうです。
そんな騎手の言葉を、そして恩を知ってか知らずか、ムービースターは走り始めたのです、その騎手を背に・・・。
雨は苦手のムービーでしたが、パンパンの良馬場なら話は別。
中京、小倉で圧勝劇を見せ、5歳(当時6歳)の夏、中京の金鯱賞で初めて重賞を勝つのです。
余談ですが、このレースの直前に私は車の事故を起こしまして、えらく凹んでいたのです。
そんな時、ムービースターが勝ってくれた・・・!
これは何にも勝る励ましでした!
そんな事もあって、私のムービースターへの想いはレースごとに大きくなっていきました。
それが頂点に達したのが、ムービースターが6歳時の秋の天皇賞。
春の安田記念に3着していたと言うこともあって、5番人気に支持されていました。
直線の長い府中は、ムービースターの為にある・・・といっても過言ではなかったのです。
1番人気はトウカイテーオー。
言わずと知れた2冠馬ですね。
またまた話は逸れますが、ムービースターはトウカイテイオーには負けたことがないんですよ。
確か2戦2勝。間違えてたらスイマセン。。。
さて、秋の天皇賞。
良馬場で行われ、しかも望んでいた超ハイペースになり、あとは差すだけ!!
4コーナーを回ったときは『よっしゃ!』と叫んだのですが・・・。
何とレッツゴーターキンに出し抜かれてしまったのです。
あの時のショックの大きさは、なりとろ競馬史上5本の指に入りますね。
あれからしばらくの間、橋口厩舎のお馬は嫌いでしたから(苦笑)
そんなムービースターが見せたベストパフォーマンス。
それは誰が何と言おうと7歳時の中山記念です。
4コーナー、一番外を豪快にまくってきたムービー。
我を忘れた私は、最後の直線は言葉にならない声を発していました(笑)
『絶対に勝つ、負けるわけがない』と周りの人たちに公言してたので、
それはもう最高に嬉しかったですね。
安田記念で足元をすくわれたヤマニンゼファーを差し切り、借りを返せたのにもすごく興奮しました。
いろんな意味で思い出に残るレースでした(勿論馬券的にも♪)。
7歳まで頑張って走ってきたムービースターにも、いよいよ引退と言う文字がちらついてきます。
その舞台に調教師が選んだのは有馬記念。
その年を締めくくるJRA最大のレース。引退レースにはふさわしいと誰もが思ったはずです。
前年に秋の天皇賞2着、安田記念3着。
その年もG2の中山記念を勝っているのですから、当然出走資格はあるはずです。
しかし・・・。ムービースターは選ばれませんでした。
正確に言うとファン投票では選出されなかったので、推薦での出走を期待していたのです。
ムービースターと席を争ったのはハンデG2を一勝しかしていないお馬。
落選理由は『ムービースターよりその馬のほうが距離的に合うから』だったそうです。
それを新聞で知った時、私は仕事場で号泣してしまいました。
お馬のために、私が初めて流した涙です。
悔しくて、悲しくて、かわいそうで・・・・。
ムービースターは仕方なく、阪神の六甲Sに出走を決めました。
しかし、ムービースターを待っていたのは酷量でした。
430キロそこそこのお馬に61キロ!!!!!
引退レースに61キロで出走させたJRAを、このときばかりは恨みました。
引退レースと公言してるお馬への配慮はなぜなかったんでしょう?
いまでもJRAを好きになれない理由はそれが原因なのです。
しかしムービースターは私の中に大きな感情を残してくれました。
いくら成績が落ち込んでも、いくら負けが続こうとも信じていればきっと報われる。
彼がいなければ、G1で派手に活躍するお馬にしか目が行かなかったかもしれません。
『気に入ったお馬は負けても負けても応援し続ける』というなりとろのポリシーも、もしかしたら生まれなかったかも解りません。
ムービースターは、私に競馬の「奥深さ」と「難しさ」、そして本当の面白さを教えてくれた、大事な大事な存在なのです。
そう今も、あの頃と同じように・・・。