長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ボトムス〜最底で最強?な私たち〜』

2023-12-05 | 映画レビュー(ほ)

 日本では配信スルーとなった本作。Prime Videoのキャプションを読んでのけぞった。“イケてない女子高生2人が、高校最後の1年でチアリーダーたちとヤるためにファイト・クラブを始める。そしてそんな彼女たちの奇想天外な計画は成功する!しかし2人は状況をコントロールできるのか?”

 正気か?だが『ボトムス』はホントにあらすじ通りの映画だった!それも劇中、女子高生たちが「デヴィッド・フィンチャー最高」と叫ぶ、『ファイト・クラブ』へのオマージュ満載の学園コメディになっている。プロデューサーには『ピッチ・パーフェクト』『コカイン・ベア』の監督エリザベス・バンクスも名を連ね、ガールフッドの活気にケシカラン笑いが満載。リアリティラインがよくわからんと言う輩はちゃんとフィンチャーの『ファイト・クラブ』を見てから本作にチューニングするように!

 監督エマ・セリグマンと共同で脚本を務めるのは主演のレイチェル・セノット。彼女は今年上半期、大論争を呼んだHBOのTVシリーズ『ジ・アイドル』でとにかく酷い目に遭うマネージャー役に扮し、ファニーな魅力を発揮した新鋭。セノットと並んで主演を務めるのが同じくTVシリーズ『The Bear』(邦題『一流シェフのファミリーレストラン』)のシドニー役で大ブレイクしたアヨ・エデビリ。セノットは見せ場をエデビリに譲る格好でコメディセンスを引き出しており、エデビリは『シアター・キャンプ』なんかよりずっといい。ようやく映画でも代表作を手に入れたと言っていいだろう。

 思い返せば所謂“童貞コメディ”は男性はもちろん、女性版もいくつか作られてきたが、クィアバージョンは初めてではないだろうか。『ボトムス』は若手ホープ2人によるあけっぴろげで、時にハートに迫る痛快作だ。公開当時、“男性のホモソーシャルなマッチョ幻想”と酷評された『ファイト・クラブ』も20余年を経て古典となり、こうしてクィアコメディに借景されるのは感慨深いものがある。もちろん『ボトムス』も最後に全部吹き飛ばして、これからはずっと良くなると思わせてくれるよ!


『ボトムス〜最底で最強?な私たち』23・米
監督 エマ・セリグマン
出演 レイチェル・セノット、アヨ・エデビリ、ニコラス・ガリツィン
 
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『僕らの世界が交わるまで』

2023-11-27 | 映画レビュー(ほ)

 とどまる所を知らない俳優たちによる監督デビューラッシュ。今度は『ソーシャル・ネットワーク』『バツイチ男の大ピンチ!』などの個性派俳優ジェシー・アイゼンバーグが初監督作を発表だ。アイゼンバーグ自らが手掛けた脚本は当初、オーディオドラマとしての製作が予定されていたそうだが、A24やエマ・ストーンがプロデュースに加わることで長編劇映画として公開されるに至った。作家の個人性から映画を作ることの多いA24だが、今回は俳優アイゼンバーグのフィルモグラフィに連なるシニカルな人生洞察コメディとなっている。

 DV被害から逃れた親子を受け入れるシェルターを運営する母エヴリンと、YouTuberの息子ジギー。社会福祉と公共心を重んじる母、自分とフォロワー数にしか興味のない息子では会話が噛み合うはずもなく、その間にいる父親はまるで空気同然の扱いだ。『ストレンジャー・シングス』のフィン・ウルフハード演じるジギーは、wokeな同級生ライラのことが気になるが、ハッキリ言って地球環境にも人種問題にも経済格差にもサッパリだ。エヴリンは新たに保護した女性の子供がジギーと同じ年頃にもかかわらず、思いやりに満ちた青年であることに心打たれる。まったくウチの子ときたら…。

 他人の芝生は青く見え、人生はないものねだりの連続。そんなジレンマに陥った人間の狼狽を演じるジュリアン・ムーアほど可笑しく、哀しいものはない。アイゼンバーグは大女優相手にもしっかり芝居をつけている。ノア・バームバックの『イカとクジラ』で注目され、『カフェ・ソサエティ』などウディ・アレン映画で老齢のアレンに代わって主演し、近作『バツイチ男の大ピンチ!』では40歳の不惑を演じたアイゼンバーグ。そんなフィルモグラフィの持ち主だけに本作は冷ややかで、しかし人生を噛み締めてきた者ならではの慈しみのがあるのだ。


『僕らの世界が交わるまで』22・米
監督 ジェシー・アイゼンバーグ
出演 ジュリアン・ムーア、フィン・ウルフハード、アリーシャ・ポー
2024年1月19日よりTOHOシネマズ他、全国公開
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『ボイリング・ポイント/沸騰』

2023-08-09 | 映画レビュー(ほ)

 目も眩むような忙しさに飛び交う罵声と怒号。そして垂涎ものの料理の数々…いわゆる“厨房モノ”の定番演出を私たちはまるで戦争映画を見るかのように愛してきたワケだが、躍動するカメラと矢継ぎ早の編集が生み出してきた快楽の裏には想像を絶するパワハラがあり、近年ではTVシリーズ『The Bear』や映画『ザ・メニュー』がその実態を解き明かしてきた。ロンドンの高級料理店のディナータイムを90分間ワンショットで撮った『ボイリング・ポイント』は、先達に劣らず神経衰弱ぎりぎりのストレスフルな職場だ。羊の焼き具合もわからないカスハラな客に、自分勝手でマイペースなホール係、現場をかき乱すだけのオーナーの娘、意思伝達の不行き届き…“沸騰”というタイトルとは対照的に、映画のテンションは暗く冷たく、ロングテイクが必ずしも映画の魅力に寄与しているとは思えない。映画に楽しさを求める観客の口には合わないが、レストラン業界の様相を垣間見ることのできる1本ではある。


『ボイリング・ポイント/沸騰』21・英
監督 フィリップ・バランティーニ
出演 スティーブン・グレアム、ジェイソン・フレミング、レイ・パシサキ、ハンナ・ウォルターズ、マラカイ・カービー、ビネット・ロビンソン、アリス・フィーザム
 
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『ボーンズ アンド オール』

2023-07-09 | 映画レビュー(ほ)

 名匠ルカ・グァダニーノがイタリアの陽光を遠く離れ、80年代のアメリカへとやって来た。『WAVES』で映画を一手に担った若手テイラー・ラッセルが演じる主人公マレンは、クラスメイトからお泊まり会に誘われる。父親は門限に厳しく、下校してからの外出は一切禁止。マレンは夜が更けるとこっそり窓から抜け出し、お泊まり会に滑り込んだ。夜明けまでの気怠い時間、マレンは友達が塗り直したと言うマニキュアと指に見惚れると、おもむろに口にくわえ歯を立てた。骨の髄まで。マレンは人の肉を食べずにはいられないカニバリストだったのだ。

 日本では『ガンニバル』、アメリカでは同じくTVシリーズ『イエロージャケッツ』とカニバリズムをテーマにした作品が同時多発的に登場している。人が人を喰らうという最大の禁忌は、いつの時代も人の耳目を集めるグロテスクなセンセーショナリズムがあるものの、これらの作品が描いているテーマは三者三様に異なる。限界集落に古くから伝わる食人風習の謎に迫る『ガンニバル』が映し出すのは“ムラ社会”日本の閉鎖性であり、『イエロージャケッツ』がシーズン1で匂わせたのは思春期の少女たちが陥った集団ヒステリーと暴力性だ。そして『ボーンズ アンド オール』に託されるのは行き場のない青春の孤独である。マレンが幼少期にベビーシッターを食い殺して以後、父は彼女が欲望に衝き動かされるのを恐れ、逃げるように町から町へと連れ歩いてきた。マレンはついに父からも見放されると、生き別れた母親を求めて旅に出る。その道中で出会うのがティモシー・シャラメ演じる、やはり食人の性を持った青年リーだ。映画が始まって30分を過ぎた頃に登場するシャラメはボロボロのジーンズを履き、アメリカの田舎を時に人を食いながら彷徨う姿には90年代初頭、アメリカンインディーズから台頭したブラッド・ピット、キアヌ・リーブス、ジョニー・デップ、故リヴァー・フェニックスらを彷彿とさせる退廃的でオルタナティブな艶気が漂い、彼が類まれなスターであることを僕たちは再確認するのである。

 カミール・デアンジェリスの原作を得たグァダニーノの筆致には闇を生きる者達へのロマンがあり、トーマス・アルフレッドソン監督の傑作『ぼくのエリ 200歳の少女』のフィーリングが最も近いかもしれない。そして前作『WE ARE WHO WE ARE』同様、若者たちへ向けられた“僕らのまま”であることを謳う映画である。若いうちに食べちゃいたいくらい好きな人と出会って、できることなら付き合って、一緒に生活をしてみる。そんな経験や想いを抱かなければ人はいつしか快楽を貪るだけの孤独な人食いサリー(マーク・ライランス怪演)のような老人になってしまうかもしれない。リーはサリーと表裏一体の存在でもあり、清廉なマレンによって骨と全てを愛される。快楽的な夏の日差しからも、また『サスペリア』で降りしきった死を呼ぶ雨からも離れながら、血と肉にエロスを湛えたグァダニーノの新境地とも言うべき作品である。


『ボーンズ アンド オール』23・米、伊
監督 ルカ・グァダニーノ
出演 テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ、マーク・ライランス、アンドレ・ホランド、クロエ・セヴィニー、ジェシカ・ハーパー、デヴィッド・ゴードン・グリーン、マイケル・スタールバーグ
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『ザ・ホエール』

2023-06-08 | 映画レビュー(ほ)

 そう広くはないリビングの中央、巨体の男がソファに鎮座している。優に200キロは超えているであろうその男はもはや自力でほとんど動くことができない。まるで潮の流れを見失い、浜辺に打ち上げられ死を待つ巨鯨である。事実、死は近い。血圧は異常な数値を指している。長年の友人である看護師は今すぐ病院へ行くように説得するが、男は頑として受け入れない。巨鯨はこのまま浜辺で息絶えることを望んでいるのだ。

 自傷とも言える肉体への苦痛から内なる魂を剥き出しにする…『ザ・ホエール』は同じ主題を何度も反復する監督ダーレン・アロノフスキーによる真の“作家映画”である。『レクイエム・フォー・ドリーム』ではドラッグ依存が老いた母親の孤独を浮き彫りにし、『ブラック・スワン』はレッスンによる肉体の酷使がヒロインを芸術の高みへと到達させた。中でも『ザ・ホエール』はアロノフスキーの2008年作『レスラー』の相似形と言える。ミッキー・ローク演じる熟練レスラーは長年の興行から心臓に負荷を抱え、リングを降りる決断を迫られる。このまま闘い続ければ命が危うい。ちらつく死の影を前に、レスラーは人生の贖罪を果たそうとする。

 鯨・チャーリーも死を前にして娘への贖罪を果たそうとする。レスラーが男の意地に酔っていたように、チャーリーもまた同性の恋人に走り、妻子を捨てた過去がある。しかし社会的、宗教的抑圧がチャーリーの恋人を追い詰めたのだろう。サミュエル・D・ハンターの戯曲を原作とする本作は、言葉の断片からディテールを浮かび上がらせていく。恋人は自ら命を絶ち、それをきっかけにチャーリーは自傷とも言える過食を始めたのだ。社会、宗教、欲望から逃げ切れなくなった男の切迫をワンマンショーで演じるブレンダン・フレイザーは、長年セクハラ被害の苦しみからハリウッドを遠ざかっていた事を思えば、決して容易い演技ではなかったはずだ。俳優自身のキャリアと役柄をかけ合わせ、魂の修練へと導くアロノフスキーはこれまでエレン・バースティン、ミッキー・ロークをオスカー候補に、ナタリー・ポートマン、フレイザーを受賞へ導いた俳優演出の名匠である。今年のオスカー主演賞レースは『イニシェリン島の精霊』のコリン・ファレル、『エルヴィス』のオースティン・バトラーらと最後まで三つ巴で争われたが、フレイザーの受賞は納得だ。近年、彼はDCのTVシリーズ『ドゥーム・パトロール』でも肉体を失った人造人間の悲哀を演じていた。かつて輝かんばかりの肉体美を持ち、『ゴッド・アンド・モンスター』でイアン・マッケランをも惑わせた彼は、肉体の実存に悩み続けていたのだろうか。

 『レスラー』との大きな違いは娘の存在だ。かつてエヴァン・レイチェル・ウッドが演じた乙女はミッキー・ロークを見限ったが、『ストレンジャー・シングス』のマックス役でおなじみセイディー・シンクが演じる娘エリーは、父の奥底にある言葉への希求に共鳴し、救済をもたらしていく。看護師役の巧者ホン・チャウ、『SHE SAID』に引き続き爪痕を残すサマンサ・モートンといい、フレイザーの周りを飛ぶ女優陣のアンサンブルが素晴らしい。等身大の美しさと反抗を刻んだシンクは、ひょっとすると『ストレンジャー・シングス』組で一番の出世頭になるかもしれない。

 レスラーが心臓の危険を省みずに必殺“ラム・ジャム”をかまえたように、チャーリーも己の肉体の限界を超え、言葉によって昇華されていく。しかし、ここにはあらゆる者から見捨てられ、寄る辺を失くした『レスラー』の悲哀はない。アロノフスキーが同じ主題を何度も反復することで到達できた“優しさ”が、『ザ・ホエール』にはあるのだ。


『ザ・ホエール』22・米
監督 ダーレン・アロノフスキー
出演 ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン、タイ・シンプキンス
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