長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『希望のカタマリ』

2020-09-05 | 映画レビュー(き)

 『最高に素晴らしいこと』に続き、今年2本目となるブレッド・ヘイリー監督作。『ハーツ・ビート・ラウド』のカーシー・クレモンズ、前作のエル・ファニングに続き、今度は『モアナと伝説の海』で主演を務めたアウリー・カルバーリョという全く異なる個性の若手スターを起用し、魅力を引き出す事に成功している。

 カルバーリョ扮する主人公アンバーは朝晩とアルバイトを掛け持ちしながら学校に通い、夜は母親の運転するスクールバスで寝泊まりするホームレスだ。酒と男に溺れた母に生活力はなく、アンバーが新居への引越資金を貯めている。常に笑顔を絶やさず、機敏に日々のタスクをこなす彼女の荷物は小さなカバンと愛犬のみだ。
 後に物語の鍵を握る愛犬はヒロインの象徴であり、ケリー・ライカート(ライヒャルト)監督の『ウェンディ&ルーシー』までよぎる過酷さはアメリカのワーキングプア、格差社会問題を浮かび上がらせる。劇中の台詞やTVに『ブレイキング・バッド』が映る事から彼女らの貧困は病死した父親の医療費に起因しているようだ。ヘイリーはメンタルヘルスを描いた前作同様、社会問題を捉える事で今日性を獲得している。

 そんなアンバーをさらなる悲劇が襲う。しかし貧困によって頑なになった彼女は周囲に救いの手を求めようともしない。ヘイリーの抑制された演出とカルバーリョの繊細な演技は傷ついたアンバーの内面に迫り、とりわけ訃報を受け取った瞬間のリアクションには心揺さぶられる。ミュージカル女優を目指している設定にもかかわらず、カルバーリョの歌唱力をこれ見よがしに使わない節度もいい。

 アンバーのために人々が連帯するクライマックスに対し、生活保護者やコロナ感染者に「自己責任」という言葉をぶつける本邦では案の定「ご都合主義」という感想も見受けられるが、これがアメリカの持つ利他心と公共心であり、原題“All Together Now”というタイトルが心に響く。ブレッド・ヘイリー、次作が楽しみな監督だ。


『希望のカタマリ』20・米
監督 ブレッド・ヘイリー
出演 アウリィ・カルバーリョ、キャロル・バーネット、ジャスティナ・マシャド
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『きっとここが帰る場所』

2020-06-12 | 映画レビュー(き)

 イタリアの監督パオロ・ソレンティーノによる2011年の本作はショーン・ペンを主演に迎え、アメリカ大陸を横断するロードムービーだ。
 かつてはミック・ジャガーとも共演する程の人気を得ていたグランジミュージシャンのシャイアンはその陰鬱な楽曲に影響されたファンの自殺を機に、アイルランドの豪邸に引きこもってしまう。それから30年、当時と何ら変わりないメイクのまま歳を取った彼は株取引で日々をやり過ごし、うつ状態にあった。絶縁状態にあった父の訃報をきっかけにシャイアンはアメリカへ戻るのだが…。

 2度目のオスカーに輝いた『ミルク』以後、優しさも体現するようになったショーン・ペンによる人物造形がいい。シャイアンのあまりにも不似合いで不格好な女装姿は痛々しく、背中を丸めてよちよち歩く姿からは人生に落伍してしまった者の肩身の狭さが伝わってくる。だがペンは悲壮さよりも可笑しみを優先させており、アメリカで直面する様々な出来事にどう反応するのか見守りたくなってしまうユーモアとペーソスがある。

 イタリア人の描くアメリカンロードムービーは従来のアメリカ映画と目線が違うのか、ロケーションに新鮮味があるものの、何かと説明的で説教くさいダイアログ、感じの良いだけの選曲はシャイアンの厚塗り化粧の如く映画を野暮ったくしている。父の遺志に従った終幕も後味が悪く、好きになれない印象が残ってしまったのが惜しい。


『きっとここが帰る場所』11・仏、伊、アイルランド
監督 パオロ・ソレンティーノ
出演 ショーン・ペン、フランシス・マクドーマンド、ハリー・ディーン・スタントン
 
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『キャッツ』

2020-02-08 | 映画レビュー(き)

 そんなに目くじらを立てる事もないだろう。イギリスの詩人T・S・エリオットの『キャッツ~ポッサムおじさんの猫とつき合う法』にアンドリュー・ロイド・ウェバーが曲を付けたミュージカルは、劇団四季によって日本でも人気の演目だ。猫たちが新たな生命への転生を望み、選ばれし一匹になろうとするこの話にストーリーらしいストーリーはない。個性的な猫たちが次々と歌を披露し、我こそはと競う一夜の宴に過ぎないのだ。“話がない”とケチをつけるのは筋違いだろう。

 『キャッツ』は演劇の嘘でこそ成り立つ作品だ。派手に施された猫メイクと、グラムロック風のファーを纏った俳優の扮装は舞台上でこそ映える虚飾であり、『レ・ミゼラブル』で通りにカメラを出し、切々と心情を歌う俳優の顔を映し続けたトム・フーパーのリアリズム演出とはそもそも相性が悪い。フーパーはCGによって俳優の肉体に猫の皮を着せ、まるでデヴィッド・リンチが猿に人間の唇を合成して喋らせた短編『ジャックは一体何をした?』のグロテスクさに近い。その艶めかしいボディラインのエロチックさといい、全く予想外の世界を生み出されている。フーパーがこれを自覚的に行っていることは卒倒モノのゴキブリダンスからも明らかだ。

 もともと映像へ置換しにくかった題材に思いがけぬ倒錯性が加わった本作は、それでも素晴らしい楽曲によって如何ともしがたい110分の時を刻むのである。


『キャッツ』19・米、英
監督 トム・フーパー
出演 フランチェスカ・ヘイワード、ジェームズ・コーデン、ジュディ・デンチ、イドリス・エルバ、ジェニファー・ハドソン、イアン・マッケラン、テイラー・スウィフト、レベル・ウィルソン
 
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『キング』

2019-11-26 | 映画レビュー(き)
 
 オーストラリアに実在した犯罪者一家を描く『アニマル・キングダム』は監督デヴィッド・ミショッドはじめ、ベン・メンデルソーンやジョエル・エドガートンの名を一躍、世界に知らしめた衝撃作だった。その後の彼らの活躍はご存知の通り。ミショッドは今や名プロデューサーであるブラッド・ピットの製作会社プランBに招聘され、メンデルソーンは世界中の名匠から重用される名バイプレーヤーとなり、エドガートンに至っては映画監督としても才能を発揮している。
 そんな彼らが気鋭の若手演技派ティモシー・シャラメを迎えてシェイクスピア劇『ヘンリー五世』を撮る…と聞けば身構えたくもなるが、気にしなくていい。国王メンデルソーンからシマ(イングランド)を継承した心優しき王子ハルが権謀術数をくぐり抜け、フランスとの仁義なき百年戦争に突入する“史劇版『アニマル・キングダム』”となっているのだ。

Netflix配給映画だが、美しいプロダクションデザインや陰影の濃い映像を自宅で楽しむにはそれ相応のスペックを持ったTVが必要なだけに、ぜひ限られた公開規模の劇場を探して欲しい。クライマックスとなるアジャンクールの合戦は『ゲーム・オブ・スローンズ』以後の史劇演出であり、こんな壮絶なバトルシーンをまたしてもTVで見る事になってしまうのかと歯噛みする事だろう。前作『ウォー・マシーン』が不発に終わったミショッドは見事に大作をモノにしている。製作のブラピは今年、やはりインディーズ映画の雄ジェームズ・グレイに大作『アド・アストラ』を撮らせており、長年バックアップしてきた作家主義の監督達をネクストステージへと導くさすがの慧眼ぶりだ。

史劇は演技巧者の芝居合戦が華であり、本作も曲者俳優達のアンサンブルが大きな見所になっている。メンデルソーンはもはや名優枠ともいえる前王役。主人公ハルを支えるフォールスタッフ役でエドガートンが苦み走った声を聞かせれば(時折、格好良かった頃のラッセル・クロウを思わせる)、ショーン・ハリスもいつものしゃがれ声でこれに応える。そして今や怪優ぶりも板についたロバート・パティンソンが衝(笑)撃の怪演だ。今年は『ウィッチ』のロバート・エガース監督作も控えており、充実のキャリアである。

ティモシー・シャラメは座組に臆する事なく、大スターへの階段をまた1つ上がった。その痩身(さらに絞ったように見える)は陰影の濃い映像に良く映え、史劇おなじみの大演説シーンではスケールも感じさせる。何より彼の個性はこれまでのアメリカ俳優にはないデカダントな色気だ。本作や『君の名前で僕を呼んで』といった“ヨーロッパ映画”との親和性が高く、方やグレタ・ガーウィグらアメリカン・インディーズにも出演し、これらを横断する独自のキャリアは類を見ないオルタナティブである(そしてアメリカ映画における“男らしさ”を再更新するかも知れない)。知性と優しさに冷酷さも身に着けていくハルと、名優への道を進むシャラメが重なり、彼を見続ける上で欠かすことのできない1本となった。


『キング』19・米
監督 デヴィッド・ミショッド
出演 ティモシー・シャラメ、ジョエル・エドガートン、ロバート・パティンソン、ベン・メンデルソーン、ショーン・ハリス、リリー・ローズ・デップ、トーマサイン・マッケンジー
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『教授のおかしな妄想殺人』

2019-08-09 | 映画レビュー(き)

Me tooによりミア・ファローの娘に対する性的虐待疑惑が再燃し、事実上アメリカ映画界から追放状態にあるウディ・アレン監督の2015年作。前作『マジック・イン・ムーンライト』に続きヒロインにエマ・ストーンを起用、鼻の下が伸び切ったデレデレ演出で、旬の女優のキュートな魅力を収めている。

大学に新たな哲学教授エイブがやってきた。風変りでどこか影のある彼に女子大生ジルはたちまち恋をするが、厭世観にまみれ、自殺願望すら持っているエイブはセックスもままならない。そんなある日、ひょんな事からエイブは悪評の高い判事の殺害計画を考案。それ以来、体には活力が満ちてきて…。

いつも通りのウディ・アレン的登場人物エイブがエマ・ストーンにモテモテな展開には苦笑いが漏れるが、演じるホアキン・フェニックスのシリアスで鬱々とした個性によって近作にはない独自の仄暗さが生まれている。この時期は『ブルー・ジャスミン』以後、『マジック・イン・ムーンライト』『カフェ・ソサエティ』と凡打続き。この使い古されたウディ脚本を不確定要素が凌駕する傾向は後の『男と女の観覧車』でより顕著になる。

現在、ウディは再びヨーロッパ資本で復活作を練っている様子。いったい何を思っているのか気になるばかりだ。


『教授のおかしな妄想殺人』15・米
監督 ウディ・アレン
出演 ホアキン・フェニックス、エマ・ストーン、パーカー・ポージー
 
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