長内那由多のMovie Note

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『別れる決心』

2023-04-11 | 映画レビュー(わ)

 男は刑事で、女は容疑者。女の夫が岩山から滑落死する。取調室に呼び出された女ソレはふとした拍子にふっと吹き出す。彼女は中国からの移民で、なんだか言い回しが面白かっただけと言う。刑事ヘギュンは物憂げで美しい未亡人ソレに恋をする。夫に所持品と同様イニシャルを彫られた彼女には殺す動機があったようにも見えるが、アリバイは完璧だ。ヘギュンはそれでも尾行を続ける。窓越しに彼女の唇を読む。アイスを食べて、寝落ちする様を見つめる。ソレはそんなヘギュンの視線に気付いている。彼女は願をかけた「あの刑事さんの心が欲しいの」。

 強烈なバイオレンスとセックス、幻惑的な美術、オペラ的とも言える過剰な演出で数々の傑作を放ってきた鬼才パク・チャヌク監督も59歳。新作『別れる決心』はこれらトレードマークを封印し、男女の謎めいたロマンスを豊富なニュアンスで描いてまさに巨匠と呼ぶに相応しい流麗な筆致だ。視線、吐息、指先…あらゆる仕草に愛の気配が宿り、それでいて人を喰ったユーモアも健在。取調室で恋におちた2人はなんと特上の出前寿司を注文し、食べ終えると甲斐甲斐しくも食卓となった取調机を共に片付けるのだ。この一連のシークエンスだけで2人が互いを意識し、息を合わせ始めている事がわかる。

 流れるようなカメラワークと、脚本チョン・ソギョンによる文学的なダイアログに目が眩むと、果たして眼前の光景が恋の妄想か現実かも観客には判断できなくなるが、往々にして恋の駆け引きとは当人同士にしか意味を持たない行為であり、プロットで映画を見る観客は一度、頭を切り換えた方が良いだろう。『別れる決心』は所謂ファムファタールものの変形で、ソレを演じるタン・ウェイはデビュー作『ラスト、コーション』でトニー・レオンを籠絡してから15年、本作で再び伝説を残した。ヘギュン役のパク・ヘイルはなんと『殺人の追憶』で容疑者を演じ、『グエムル』ではソン・ガンホにドロップキックをかましていた初期ポン・ジュノ映画の顔。こんな不惑の色気を湛えていようとは。

 『別れる決心』はロマンス映画である。事件と謎は相手への尽きせぬ想いであり、ソレにとって未解決事件であり続けることが誇り高い名刑事ヘギュンの心をいつまでも捉え続ける術だ。心に晴らせぬ“未解決事件”を抱いた経験のある中年観客なら、茫漠たる浜辺に置き去りにされるヘギュン同様、映画館から帰ってこれなくなるだろう。本作の主題歌とも言うべきチョン・フンヒによる歌謡曲『霧』がエンドロールではデュエット版で流れる。これは、あなたとわたしの映画だ。


『別れる決心』22・韓国
監督 パク・チャヌク
出演 パク・ヘイル、タン・ウェイ、イ・ジョンヒョン、コ・ギョンビョ

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