長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『幸福なラザロ』

2019-05-23 | 映画レビュー(こ)

イタリアの俊英アリーチェ・ロルヴァケル監督、『夏をゆく人々』以来4年ぶりの新作は再びカンヌを席巻し、脚本賞を受賞した。

舞台はイタリアの寒村。そこは侯爵夫人が支配し、小作人達が農作業に勤しむ。彼らの生活は厳しく、裸電球を部屋から部屋へと付け替えて使わなくてはならない程だ。これはいったい何時頃の話かと首を傾げると、侯爵夫人の使いは携帯電話を持っている。何時とも何処とも知れない叙述がロルヴァケル特有のマジックリアリズムだ。

村のあちこちから”ラザロ”という声が聞こえる。それは聖なる祈りではなく、青年ラザロを呼びつける声だ。彼は村一番の働き者で、何を言われても嫌な顔ひとつせずに引き受ける。人間という生き物は怖ろしいことに相手が反抗しないとわかると何をしても平気だと思い込む。そしてこれは社会の搾取構造と同じだ。権力者は奴隷の下にさらに身分の低い、差別される存在を作る事でコミュニティのガス抜きを行う。移民という仮想敵を作る手口が世界中に蔓延しているのは周知の通りだ。

ロルヴァケルはこの物語を”26人の富豪が全人類の半分38億人と同額の資産を持っている”という、NGOオックスファムの報告から着想を得たという。映画は中盤、まるで白昼夢のようにふわりと時間も場所も飛び越え、予想外の展開に突入する。侯爵夫人から解放されてもなお村人達は社会の底辺から這い上がる事はできない。社会の不寛容さが人々を断絶し、格差の溝を埋める事を妨げるからだ。2018年のカンヌはこの”断絶”というテーマで一致した。グランプリ受賞作『ブラック・クランズマン』が人種の断絶を映し、パルムドール受賞作『万引き家族』は本作と同じメッセージである。作家性の違いによって全く異なる映画に仕上がるのが面白い。

聖なるラザロの末路に深い息が漏れる。僕らはいったい何を失くし、どこに来てしまったのだろうか。

 

『幸福なラザロ』18・伊

監督 アリーチェ・ロルヴァケル

出演 アドリアーノ・タルディオーロ、アニェーゼ・グラツィアーニ、アルバ・ロルヴァケル


 

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