長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『コーダ あいのうた』

2022-03-05 | 映画レビュー(こ)

 サンダンス映画祭4冠を皮切りに、Appleによる26億円での配給権買付を経て、いよいよアカデミー作品賞にノミネートされた『コーダ』は見れば見るほど多面的な表情を見せる愛おしい作品だ。

 舞台はアメリカ地方部の田舎町。主人公ルビーは漁業を営む家族で唯一人の健聴者だ。両親、兄は聴覚にハンデを抱えており、まだ高校生の彼女がまるで保護者のように一家と社会の接点を担っている。毎朝まだ暗い時間から海に繰り出し、魚を揚げてから登校するのが彼女の日課だ。そんなある日、ちょっと気になっていた男の子を追いかけて合唱クラスに入ってみれば、レッスン次第で音大も狙えると才能を見出されて…。

 ルビーの置かれた境遇は複雑だ。健聴者である彼女は家族の直面する問題を実感することができず、一方で学校に行けばCODA(=Children of Deaf Adults)としてイジメの標的となる。どちらの側に立っても彼女は“マイノリティ”なのだ。家業と学業の両立は難しく、家計の苦しさも相まって進学は諦めざるを得ない。何よりルビーがいなければ家族は漁船操業はおろか、社会で生きていくこともままならない。
 そんな状況がルビーを自閉させる。音楽教師Mr.Vの指導はバラバラになってしまった心と身体を一致させ、声を解き放つプロセスだ。身体を動かすことで身体に言い聞かせ、なだれ込むように歌唱に転じるレッスンシーンのグルーヴはとてもリアルで、エネルギッシュなMr.V役エウヘニオ・デルベスが素晴らしい。

 昨今、ハリウッドでは『サウンド・オブ・メタル』『エターナルズ』『ホークアイ』、そしてアカデミー作品賞にノミネートされた『ドライブ・マイ・カー』と手話を用いた作品が相次いでおり、『コーダ』を見るとそれは手段ではなく肉体言語である事がよくわかる。話者それぞれによって表現に差異があり、個性を表せるものなのだ。本作で聾唖男優として初のオスカー候補になった父親役トロイ・コッツァーには唸らされた。荒っぽい海の男でありながら障害者ゆえの生きづらさを抱えており、愛妻家でユーモア抜群。その妻役は86年に『愛は静けさの中に』でアカデミー主演女優賞を受賞した聾唖の女優マーリー・マトリンで、コッツァーは彼女に憧れて演技の道を志したという。2人は本作の宝であり、よくぞここまで役者を続けてくれた。

 本作は彼ら聾唖俳優のキャスティングによっていくつもの真に迫った瞬間を獲得することに成功している。ルビーの兄がバーでナンパを始めると、いつしか映画から字幕がなくなり、しかし男女が明らかに“デキて”いくのを僕達は目の当たりにする事となる。ルビーの合唱コンサートでは不意に無音となり、周囲の感動もわからず取り残される両親の姿が胸を突く。『コーダ』は字幕やセリフ、環境音といった普段、僕らが何気なく接するモノを取り払った瞬間に最も輝きを放つのだ。ルビーの歌声を聞こうと父が彼女の喉元に手を添える場面は本作の最も感動的な場面である。
 ルビーはそんな2つの世界(Both Side)を横断できる存在なのだ。終幕、手話という身体性を用いることで彼女の心と身体は一致し、歌声が開放されていく。彼女のアイデンティティは2つの世界をまたぐ事でこそ生まれ得たのである


『コーダ あいのうた』21・米、仏、加
監督 シアン・ヘダー
出演 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ・ビーロ、エウヘニオ・デルベス

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