野党がごちょごちょと文句を言っているが納得させる意見はなく、みずほちゃんの「総理のPTA(保護者)をそろえただけ」というのが面白いくらいだった。上手い事言うなぁ。
舛添さんの厚生大臣というのはどきどきするよね。何かやってくれそうで期待しちゃうよね。そうすると、他の大臣がおかしな事をしない限り、内閣の支持率は回復するんじゃないかな。
野党がごちょごちょと文句を言っているが納得させる意見はなく、みずほちゃんの「総理のPTA(保護者)をそろえただけ」というのが面白いくらいだった。上手い事言うなぁ。
舛添さんの厚生大臣というのはどきどきするよね。何かやってくれそうで期待しちゃうよね。そうすると、他の大臣がおかしな事をしない限り、内閣の支持率は回復するんじゃないかな。
「ぼくらの」は不条理な設定の中で少年たちの行動と心理にどきどきする作品だった。
原作者の鬼頭莫宏氏も少年たちをどうやって虐めるか楽しんでいるらしい。
森田監督が原作を嫌いと言い放ったのは、そういった部分だったのかもしれない。
前半はほぼ原作どおりに作られていく。石川智晶さんの歌に合わせた神オープニングはその評価も高いようだ。
いきなり主人公タイプの少年が死ぬ。次の少年の死により、その死の原因が巨大ロボットを操った事だとわかる。負ければ地球の崩壊。自らの死を告げられた状態で戦う少年たち。死を前に少年たちが思ったこと。そしてやったこと。無力な大人たち。その大人たちに頼らなければならない少年たち。裏切り。大人たちの思惑。
やくざの登場。ほとんど主人公扱いで登場した、くだらない大人たちよりもさらに価値を見出せない存在のたもつ。
ストーリーも中盤を迎え起伏のない平坦な展開となる。見所はギャグかと思われる羊羹や板かまぼこのシーン。
『それはない』と突っ込みたくなる細部の演出。
絵や動きも明らかに品質が劣ってきている。
森田監督が作品に込めようとしているのが、「ちっぽけな存在の死」に価値がないことだとすれば、くだらなさを強調したやくざを前面に持ってきて、他の登場人物を薄っぺらくする演出も理解できそうな気がしてくる。
オープニングテーマの「僕らの存在はこんなにも単純だと笑いに来たんだ」を、監督自らが「最高のリアル」になって表現するつもりになったのかもしれない。つまり、「あの時」とはアニメ化を指し、監督が「ぼくらの」の存在を笑うのだと。それが森田監督が原作を嫌いと言ったことが本音である証ともなり、残り5話でどれほど酷い(面白くない)終わり方をするかによってその完成を見ることになるだろう。
この予想が外れ、何かしらの大きな裏切りか、又は感動を与えてくれる事を祈るしかない。
「今の僕には理解できない」作品に仕上げてくれればうれしいが、「悪いとは思わない」とどこかの首相のように独善的な自画自賛だけはしないでほしい。
原作付きのアニメ作品監督は、作品のマニアであったほうがファンにはうれしい作品になると思い知る作品ということになりそうだ。最初の期待が大きかっただけに、非常に残念なことになりそうだ。
アニメにはもうほとんど期待してない。
今にして思えば、「猫のおんがえし」もジブリだからそれなりであるが、作品的な評価はほとんどないに等しいのではないか。「ぼくらの」により森田監督の「猫のおんがえし」は更に評価を落とし、「耳を澄ませば」の近藤監督の死を惜しむ声が更に大きくなるかもしれない。ジブリの中で森田監督には能力はなかったと評価され、その為に「ぼくらの」の監督を引き受けたのだろうか。
どうであれ、その結果はあと1月くらいで出る。
でも、監督ブログや2チャンネルで叩かれているほどは酷くないと思うよ。ものすごく期待はずれだったから、ものすごくつまらないだけだよ。
今年3月に放送された宮崎駿密着100日とかいうもの。
宮崎駿に森田という存在を覚えているか聞いて見たくなった。
また、森田監督には作品作りに悩む時間も充分になかっただろうと思い、テレビアニメを手がけることになった不幸を気の毒にも思った。
終わってからのインタビュー(写真入)
素直に読めなかったし、作り方として感情的なものよりも形(理屈)を重視していたのではないかと疑う。
批判的な目で見てしまうせいだろうか。
つくづく、この人に監督をやらせたことは関係者全員(監督本人も含む)にとって不幸だったと思えた。