「スプートニクの恋人」村上春樹 1999講談社
小学校の先生だから平仮名の”ぼく”なのでしょうか。
で、先生という嫌いな職業の主人公だから、読者から嫌がられるような感じで描かれるんですね。こいつ、気持ち悪いです。最後はちょっとかっこ良かったりしますが、でも、やっぱり認めたくない腹が立つ奴です。
で、そんなかっこいい事をさせるなら、元警察官のデパート警備員にいやみをたっぷり言わせて嫌がらせしてバランスをとらなければなりませんね。納得です。また、(元)警察官も嫌いな職業ですから、鍵を盗まれて困らせないといけません。しかも、その鍵は川に捨てられちゃうんだから、スッキリですね。
「スプートニク」は「旅の連れ」であって、そのまんまの展開~
「あちら」と「こちら」
ふふふ・・・実は「ミュウが犯人だ!」って言う解釈はどうでしょう。
まずね、
ミュウはフェルナンドに不信感を抱きつつ、観覧車に閉じ込められて「あちら」の自分を「こちら」から見ていたことになっていますけど、これを改ざんされた記憶とするわけです。実は、ミュウはフェルナンドに非常に強い恋心(性欲)を感じていたのだけれど、相手にされなかったので殺してしまった。そのショックから自分を守るために記憶を改ざんする必要があった。だから、観覧車に閉じ込められたと言う事故も無かったかもしれない。そこから見た自分とフェルナンドの行為は、自らの中で「あちら」と「こちら」を分離して性欲を押さえ込むための光景。そして、それによって気に入っていた街への印象も記憶の中で良くないものに替えられていく。
ミュウはすみれによってその「あちら」に閉じ込めたはずの性欲を呼び覚まされそうになって、すみれにも手をかける。そんな事件が起こるとは思ってもいないのんきなリゾート地だから、いくらでも好きに処理出来る。そしてミュウは再び自らの記憶を改ざんする。(”ぼく”に電話をしてきた男は”事実”を知っているかもしれない。彼が始末をしたのかもしれないのだから)
ミュウはぼくを始末するために呼んだのかもしれない。けれど、その必要がない事を感じる。彼はすみれがいなければ生きていけない。やがてその通りとなる。”ぼく”はすみれからの電話を受けたと思い込み、「あちら」へすみれを迎えに行くために自らの血を使うんだね。たぶん。
本当に「あちら」の世界があるというのでも面白いですけどね。
「串刺しの英雄」の英雄を”ひでお”と読んでしまって、一瞬「誰?」と思ったのは内緒です。
ミュウですが、本当はスプーという名前にしたかったんじゃないでしょうか。
そうなると「スプーと肉の恋人」ってことで、スプーと肉欲との関係という駄洒落的構成がタイトルの中に成立するのでした。
でも、その後にあの忌まわしいスプーが誕生するとは・・・春樹さんはそれを予見してスプーという名前を避けたのだろうか。