「新・死ぬ瞬間」(1983)E・キューブラー=ロス 秋山剛・早川東作訳 1985読売新聞社
あああ、アメリカだからね。
宗教~スピリチュアル、オカルト~
いや、しょうがないよね。こういう立場の人からすれば。
(本人もその批判を受けていることを認めている(第十三章))
自分のやっていることが欺瞞であることを本人もわかってやっているはず。
だって、曲解すれば「人殺しも罪じゃない」ってことになりかねないよ。
人の世と死後生の解説は「あらゆる犯罪を許す」とすべきになり、なくしたいはずの強姦や虐待を認めていることになるんじゃない?
また、その述べる理想世界は画一的な価値観であり、それは人類という種とその社会の死を求めているようなものだ。患者の反応を受け入れろと言うのと同じく、多様なあり方や行動を受け入れる態度を取るべきではないのか。
『自然な感情』と『歪んだ不自然な感情』などということを言い出すが、それは現在の社会の中で必要とされて生まれてきたものだとは思わないか。
だから、宗教的な誘導の部分は排除して読むべきだな。特に日本人は。
「死ぬ瞬間」はそれなりに読めたが、「新・死ぬ瞬間」は読むのが辛かった。
要らない情報、偏った認識と誘導が多すぎる。
もっと科学的分析に力を入れて欲しかったけど、家族的立場からのコメンテーターになってしまっているわけだな。
取り上げられている家族と患者の手紙やエピソード、それは主張であって事実ではない。
また、ロスさんのそれまでの著作に擦り寄る人たちのものであることも忘れてはいけない。
臨死体験について宗教や環境に関係なく万人が同じ共通の体験をしているらしいとあるが、本当は共通ではないとわかっているはずなのだ。このことから著者の思い込みと希望から書かれている部分が多いのだろうということが伺われる。
で、その結果、患者や家族である子供に対して罪深いことをしているのではないか。
そういう目で見るとどんどんロスさんの主張が気持ち悪くなってくる。
それでも、
「死ぬ瞬間」は重篤患者と医療現場、「新・死ぬ瞬間」は残される患者の家族
そのあり方やり方は納得である。
読みながらね、子供の頃のことを思い出した。
母親のね、「親と一緒にいられる時間が短いんだから」と言って弟を贔屓する態度に「それじゃ、ぼくの方が短くしてやる」と自殺を何度も考えたよね。母親への殺意も長くずっと抱いていたしね。
父親のあり方もね、ロスさんに言わせたら最悪の存在だったかもしれない。
う~ん、私の家庭を否定してくれてありがとう。