増補新版「胎児は見ている」(1981)T・バーニー 小林昇:訳 1987祥伝社
胎児だって感じているんだよ。
本筋の主張は受け入れます。
が、
願望と事実を摩り替えています。
主張を正当化するために、原因と結果の因果関係をこじつけている。
原因と結果が逆であったり、他の要素が原因でありそうであったり。
他の人の研究を持ち出すときも、根拠にならない論法で関係付けていないか。
そのために非常に嫌な気分で読むことになった。
読み方を間違えると、子供の異常を母親の責任にしてしまいかねない。
主張のために母親を脅しているとも取れる。
犯罪傾向や性格、IQまでこじつけるのは非常に危険できちんとした研究を望む。
また、価値観の偏りも気になるところだ。
著者が”傷”と見るものも人類進化に必要なものかもしれないじゃないか。なんてね。
胎児がね、自分でね、ホルモン分泌への協力をやめてしまうというところでは、芥川龍之介の「河童」を連想しましたぞ。自分は生まれるべきではないから殺してくれと。
アルコールはだめ~タバコはだめ~コーヒーもやめたほうがいい~
ああ、妊婦さんはそうなってくるんだよね。
それにしても、アルコールってそんなに危険なのか!奇形児なんて脅されると怖いよね。出産障害もですか!
えっとね・・・
胎児が腹を蹴るのは嫌がっているのだと・・・
(必ずしもそうでないというようなことも書いてはあるが)
妊婦の腹をさわると胎児が嫌がると。
それじゃ、
父親が愛を込めて妻の腹をなぜているときに、胎児が蹴ったら「元気に喜んでいる」というシーンは勘違いギャグになってしまうよね。
第7章に『完璧な子供に育て上げようとしてはならない』『他人の意見に盲従する必要はない』とあるけど・・・この本の書き方からすると、自虐的発言ですか(笑)訳し方がおかしいのかな。
『子どものために自己を犠牲にしてみても、よい親になれるというものではない』
『本書で述べた研究は、ようやくその端緒を開いたばかりで、胎児や出産をめぐる誤解や、誤った常識が横行しているのが現実である』
いやいや、気のせいだろう。笑って読むところじゃないよね。