「新版「あの世」からの帰還 臨死体験の医学的研究」(1982)マイクル・B・セイボム[著] 笠原敏雄[訳] 2005(1986)日本教文社
IANDS
別華薫(カール・ベッカー)氏の序文(1986年)にエクルス教授(オーストラリア、ノーベル医学生理学賞)の言葉として「心の働きは脳では説明できないと言う証拠を実験的に発見した」なんて紹介されていますが、本当でしょうか。なんかいきなり胡散臭くなってしまいましたよ。
著者は何とか理性的に科学的な立場を保とうと努力しているらしいので、途中で揚げ足を取りたいようなところがあっても我慢して読みます。
116例と言うのが多いのか少ないのか・・・断然少ないでしょう。また、「アメリカ文化の中では」と著者も断っている通り、大きく偏ったデータによっています。
臨死体験が臨死生還者の40%程度だと言うのは、普通に起こりえることだとも言えますが、逆に、体験をしていない人の方が多いともいえるわけで、臨死体験をしない原因・要因も調べるべきではないのだろうか。そうすれば、臨死体験をする条件がまた一つ見えてくるかもしれないのに。
また、臨死体験による全知感がありながら、そこでのこと(全知)を何も覚えていないように、臨死体験自体を覚えていないかもしれない(「それでも町は廻っている」第12話のように)とすれば、臨死生還者の臨死体験率は実は100%なのかもしれない。退行催眠などで調べてみたら、それもわかるのではないか。
医者としての知識がこじつけに使われて、判断を誤らせているようにも感じられる。著者の願望がそれをさせているのは明らかだ。
また、観察をすることが観察対象に影響を与えてしまうわけで、その点も割り引く必要があるだろう。
多くの希望的な解釈はデータや事例の精度の悪さによるものではないか。
「非科学的かどうかは別にして、死の教育を推進する」という利用法は納得だ。
呪い(言葉)で殺す「心霊死」
思い込みで死んでしまう。または自分の意思だけで死ぬこともできる。
その逆に生かすこともできる。
聴覚は視覚よりも原始的な感覚で、直接的に感情にも作用する優先的感覚であるらしいので、聴覚が視覚に変換されることもありえることも考慮すれば、かなりのものが脳内処理であると思われてもしかないだろう。そして、実際そうだと思いたい。
また、それでは説明できないような体外離脱による自己視も、心とか魂とか言わずに別のルートでの脳への入力方法を想定してもらいたい。なんかできないか。