「原子力に未来はなかった」槌田敦 2011亜紀書房
原発は安くないし解決できない問題を含んだ最悪の存在、最悪の選択だと70年代から訴えてきているというわけだ。
その確認だけすればいいのではないか。
槌田先生、この本を出すのが一ヶ月早すぎた。「炉心溶融なんてしているはずないじゃないか。燃料の大規模崩落だよ」みたいなことを書いちゃって。まあ、まだ確認は取れてないんだろうけど、東電が発表するくらいだから炉心溶融(メルトダウン)はしているよね。
水をかけちゃいけない!プールには鉛を入れるんだ!(3月19日)
原子力安全委員会と言うのは、規制をするための組織ではなく「原子力は安全だ」と宣伝する存在。
「私たちは日本が汚染国家になったということを認めるしかない」
蒸留するとセシウムはでないので焼酎をつくろう。
・・・蒸留すればいいのですか!じゃ、バイオエタノールをつくればいいんじゃね?
「大型原子炉の事故の理論的可能性および公衆損害額に関する試算」(1960)
不安と差別(と補償)
被爆者をかためておくことは健康管理と統計を取るのに便利。チェルノブイリのときに作られた村はそういった意味もあったのだろうという。ならば、今回のフクシマでも避難させられるはずの子供たちを囲い込んだのは、モルモットとしてデータを集めるためだったと疑われても仕方ないだろう。政治家と官僚は財政のためにそれを行い、専門家と呼ばれる学者たちはデータ集めのためにそうなるように進言したのだろう。
フクシマは福島だけの問題ではない。他の原発でも同じようなことが起こる可能性を残したままなのだ。
第二章はそういった意味で原発の近くに住む人が知っておくべきこと、準備するべきことが書かれている。その中でも特に『当局に足止めされないために』は肝に銘じておく必要がある。「自治体は住民の被曝よりも、住民のパニックを怖れている」からだ。
「原子力の恐ろしさと事故の可能性を知っていながらそれを推進しようとするのは、すでに『馬鹿』を超えて正邪の判断が出来なくなっている」
原子力基本法 第二条「自主」「民主」「成果の公開」
放射性物質は廃棄してはいけない物であるから、放射性廃棄物などは存在しない、放射性毒物、放射性廃物だ。
公害基本法の八条を削除しろ。と、いうわけですが、現在は公害対策基本法そのものが廃止されておりますので、環境基本法の十三条を削除しろと読み替えるわけですね。
そして公害犯罪処罰法(人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律)の第二条で罰しろと。・・・ちょっとこれじゃ緩過ぎですよ。
エントロピーの説明は面倒だ。
幸福とか社会のあるべき姿の話しになると、そこは重要なだけに話が横へそれていくよね。重要なんだけど。