濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

龍三親分、中華飯店に現る!

2015年05月08日 | ひとりごと・・

これまで数多くのテレビドラマや映画に出演してきた藤竜也さん
その演技は年を重ねるごとに重厚さを増している
横浜を舞台にした作品も数多くあり、オイラも大好きな俳優さんだ

横浜在住の藤さんは、ご近所さんたちと「横浜中華街探検隊」を結成、
中華街のほぼすべての店を踏破したという

昔、このブログでも書いた記憶があるが、
オイラが藤さんと出会ったのが「中華飯店」だった

生意気にもオイラは「裏メニュー」を紹介、
すると藤さんは「美味い!」と絶賛!以降、「中華飯店」の虜になった

さて、中華飯店が市場通りに移転、新装オープンしたことはご承知の通り
5月4日、ハマスタで野球をみたあと、迷わず、中華飯店へと向かった

すると店内には藤さんのサイン入り写真が飾られている
聞けば、2日前の土曜日、仲間とともに新装なった「中華飯店」へ駆けつけたとか
映画と同じで「義理・人情」に厚いひとだ



今年もNHK時代劇「かぶき者 慶次」や、北野監督の映画「龍三と七人の子分たち」に
出演し、主演を務めるなど相も変わらない存在感を見せ、老いてなお盛ん!!
そんな藤竜也さんの今後益々のご活躍を祈念申し上げます!

祟り(たたり)

2015年05月08日 | ひとりごと・・

神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけない!というタブーがある
知らない人も多いと思うが、神田明神とは、平将門を祀った神社である
これは平将門の威徳を称える意味も少しはあるというが、本来は祟り鎮めが目的だ



参考までに、「明神」とつく神社は、なんらかの祟り鎮めの神社である
しかし、「大明神」というのは特別偉大な神の威徳をあがめていう言葉であり、
「明神」とは全然違うのでお間違えのないように・・・

さて、ときは平安中期、平将門が関八州を制圧して「親皇」を名乗った
京都政府はこれを、朝廷に叛旗を翻した逆賊とみなす

これを征伐しよう試みるが、平将門は東国では相当の威勢を振るい、なかなか屈服しない
すると、京政府は人間だけでは足りぬと判断し、神霊的な手段に訴えた

その役目を京の僧「寛明」に命じた
寛明は真言密教の僧だが、朝敵降伏のためと、京都高尾山の不動明王像と宝剣を捧持して
成田へと向かう。そして公津ヶ原に像を安置して護摩を焚き、21日間の修法に入った

それは、祈祷修法のちょうど満願の日、天慶三年(940年)2月14日のことだった
将門の片目に、一本の流れ矢が突き刺さり、東国のヒーローの最後となるのである

役目を終えた寛明は、不動像を引き上げようとするのだが、像は磐石の如く動かない
そのため、その地に「成田不動(新勝寺)」が建立された・・・というわけである
即ち、新勝寺参拝は将門を苦しめる事となるというか、将門にとって新勝寺は天敵!



あくまでも迷信ではあるが、新年、成田山でお参り、それから神田明神に初詣・・・
という人も少なくない・・・祟りがなけりゃいいけどね

初夏の風物詩 2015

2015年05月08日 | ひとりごと・・

さて、いよいよ、東京に夏の訪れを告げる祭りのシーズンがやってきた!
先の連休中、新橋「烏森神社」の例大祭が厳かに執り行われた

そして、今週末は・・・
・下谷神社(上野)例大祭・・・10日(日)41年ぶりに千貫神輿渡御が山車で巡行!
・神田祭(天下祭り・遷座400年記念)・10日(日)朝から晩まで神輿2百基が宮入!

そして、15日(金)から3日間、浅草の三社祭!
三社祭の詳しい日程は後日UPするとして、江戸神輿に関する豆知識を書こうと思う
さ~あ!これを読んで祭りに出かけよう!!

下谷神社例大祭
下谷神社は千年の歴史があり、千貫神輿は、氏子だった徳川七代将軍家継の生母月光院が、
病弱な息子の健康を祈願して奉納したものと伝えられている
関東大震災で一度焼失したが、1926年に再興、「千貫神輿」の異名を誇る

本来、神輿は肩に担ぐもの。しかし、一時期、担ぎ手が少なく、仕方なく山車に載せて
町内を巡行した経過がある。1975年、神輿ブームが到来!再び担げるようになったが、

以来年々、千貫神輿目当てに担ぎ手が各地から担ぎ手が殺到!担ぎ手の喧嘩が絶えない!
その荒くれぶりから、子どもや女性、お年寄りは氏子でも近寄りがたくなってしまった



そのため、小さな子どもからお年寄りまで、三世代が一緒に宮神輿渡御に参加できるよう、
41年ぶりに「山車」で巡行することになった

神田祭り
江戸の伝統を受け継ぐ日本三大祭の一つとして名高い神田祭
今年は、2年に1度の大祭の年でもあり、神田明神が現在の地に遷座してちょうど400年!
節目を迎える記念の年にあたる

祭りとのど・・・龍角散のCMでも「神田祭り」がクローズアップされている
木遣を披露しているのは江戸消防記念会4区の頭、赤筋半纏の腰の4本の白抜きが
「第四区(だいしく)」の証だ

さて、今年の神田祭の日程は、9日、氏子の町を守る神々が乗った3基の鳳輦・神輿など、
神田・日本橋・大手・丸の内・秋葉原の約30キロの道のりを巡行する「神幸祭」、

また、10日は「神輿宮入」。神田明神宮入参拝を目指し、大小200基のみこしが各連合・
町会の出発地に集合。式典後に宮入巡行みこし渡御となり、徐々に熱気と興奮が高まる
境内には朝から晩まで氏子自慢のみこしが宮入参拝し、境内が人で埋め尽くされる!



神田祭と言えば、徳川将軍が上覧した“天下祭り”であり、江戸時代より続く全国的に
有名なお祭りだ。神田祭は、「日本三大祭り」「江戸三大祭り」の一つに数えられている

ところで、「日本三大祭り」「江戸三大祭り」・・・とは、
日本三大祭り:祇園祭(京都)、天神祭(大阪)、そして、神田祭
江戸三大祭り:神田祭、山王祭(日枝神社)、深川祭り(富岡八幡宮)

さらに、天下祭り・・・とは、
日枝神社の山王祭、神田神社(神田明神)の神田祭、根津神社の根津祭をいう

なぜ天下祭りかというと、江戸幕府の援助を受け、将軍様上覧のもと、町人が江戸城内に
行列をつくって神輿(山車)を繰り出すことができたからだ



当時、江戸には、赤坂の氷川明神祭、本郷の湯島天満宮祭、下谷の下谷稲荷祭、そして、
浅草の鳥越明神及び三社権現祭、深川の富岡八幡宮祭(深川祭)などがあったわけだが、
将軍様のお墨付きを頂いた3つの「天下祭」は別格なのだ

つまり、全国的に有名な「三社祭」とはいえ、江戸では格下だった・・