(JR甲子園口のホームから眺めた三日月)
今日で阪神淡路大震災から26年が経った。
何年経っても、頭の何処かに阪神淡路大震災の記憶がある。
だから、記念日が近づくと普段忘れている記憶が頭をもたげて嫌な夢を見るのかもしれない。
26年前の今日の今頃、ねこ吉は何をしていただろう・・・。
避難したスポーツセンターに、惨憺たる有様の我が家から、毛布を引き摺り出し、食べ物を吐き出して元の位置に戻った冷蔵庫の周りから食べ物を運んで、冷たい食べ物を子供達と食べたなぁ。
毎年、記念日には阪神淡路大震災の何かをブログに書いているので、同じ事を書いているかも知れない。
ブログ内の1月17日のブログを読み直すのも、嫌な思い出を反芻するのでやめた。
今年は、コロナ感染者激増でニュースやワイドショーは、そっちの話題で忙しく、震災関連の扱いは少なめ。
去年の記念日には思っても見なかったコロナウイルス大流行。
地震は天災。
コロナウイルスもある意味天災?
東日本大震災からも10年が経つ。
月日の経つのは早いなぁ。
何をする気も起こらない。
夕飯はビーフシチュー。
早めに準備しないとすね肉が柔らかくならないなぁ。
そう思って、ビーフシチューを煮てガスレンジのスイッチを切ったところに、たぬ吉が慌てふためいて帰ってきた。
ここからが大変だったので、今まで書いた部分を消そうかと思ったんだけど、やっぱりそのままに。
散歩に行っていたたぬ吉の携帯に、義弟が道で転んで怪我をして救急車が来たらしいけど、義弟がガンとして病院に行かないと言い張るので、家まで送ってくれて、たぬ吉に連絡してきたらしい。
たぬ吉には「大丈夫や。」と言ったまま電話も繋がらなくなってしまった。
救急隊員には、
「頭を打ってるかもしれないので、病院に行かないのなら身内の人が一晩側についていてください。」
と言われたらしい。
とりあえず様子を見に行かなければと、2人で実家まで出かけて行った。
実家に着いたら、義弟に顔は腫れあがり、片目は塞がって鼻血も出てる。
思い切り顔から突っ込んだろうなぁ。
大丈夫だと言って大相撲を見て笑ってた。
病院に行こうと言っても言う事を聞かないので、たぬ吉が鏡を見せた。
たぬ吉が救急隊員の電話の着信履歴に電話して、休日診療をしている病院を探してもらった。
流石に我が顔にびっくりしたのか、病院に行くと言うので、気が変わらないうちにタクシーを呼んだ。
やってきたタクシーは、運転席と、客席をビニールで仕切りがしてあった。
当直医の先生が見てくれて、頭のCTも撮って、差し当たって大きな問題はなかった。
しかし、顎を4針縫った。
ねこ吉は先に帰り、シチューを温めて食べていたら、たぬ吉も帰ってきた。
明日、2時に診察に連れていくらしい。
とんだ震災記念日だったわ。
2人ともヘトヘト。
来年、27回目の震災記念日に、「去年は大変だったね。」と言っているだろうか・・・。
それは、それは 大変でしたねー。
おっしゃるように、、去年は大変だった。けれど 今年は収まって良かった。そんな文章書きたいものです。
とにかく、、今は自然災害が起きないことだけのぞみます。
心も体も疲弊してます。どうか穏やかに送れますように。
コメント有難うございます。
昨日は、本当にびっくりして大変な日でした。
救急医療が、スムーズに受けられて助かりました。
コロナのせいで、医療が逼迫していると聞いていたので、診察を受けれるか心配でした。
本当に、中島みゆきの「時代」の心境です。
あんな時代もあったねと笑って話せる日が1日も早く来て欲しいです。