最近、読むようになった方のブログで、「アンカレッジ経由」という記事があった。
最近聞かなくなった「アンカレッジ経由」が復活する可能性があると書いておられました。
ねこ吉も早速検索すると、こんな記事を見つけました。
こちら→「懐かしのアンカレッジ経由、まさかの復活」
そして、また昔はパリへの直行便はなく、往きはアラスカのアンカレッジを経由して、帰りはモスクワ経由だったこと。
モスクワでは一旦飛行機から降ろされ、銃を持った軍服を着た兵士を見たと書いておられます。
「あれ?ねこ吉も似たような経験をしているよ。」
ねこ吉は懐かしくなって、封印?している赤い箱(ねこ吉の若かりし頃のアルバムが入っている。)からアルバムを引きずり出してきました。
ねこ吉は、1977年の2月、高校時代の友人とフランス6日間の旅に出かけました。
往きは、東京→アンカレッジ→スキポール(オランダ)→パリへJALで行ったようです。
アンカレッジへは給油のために寄ったのでしょう。
飛行場のなかの土産物屋さんで、イヌイットの女の子の人形を買ったことを覚えているけど長い年月のうちに行方不明になってしまいました。
フードコートに「アラスカうどん」と貼り紙がしてありました。食べればよかったな。
団体旅行ではあったけど、基本はフリーだったので友人と2人でパリをあちこち歩きまわり、ソルドといわれるバーゲンの時期で、言葉も出来ないのに買い物を山ほどして思い切り楽しみました。
嗚呼、二人とも若かった・・・。
そして、帰りの飛行機はイギリス航空でモスクワ経由でした。

「一面の雪景色。ここはモスクワの近く?飛行機内から写真を撮るのを禁じられました。
秘密の好きなお国柄ソビエト、私たちが写したこの程度の写真で、どうにかなるような国じゃないのに肝っ玉の小さなケチな国・・・。
こんな寒いところに住んでいると頭まで凍てついてしまうのかしら?」とねこ吉が書いたメモがアルバムに入っていた。
つくづく、ねこ吉は昔も今も思考回路が変わっていません。

「広大な平原に建ったひと固まりのアパート。コルホーズ、ソホーズの人たちが住んでいるのでしょうか?」とメモが入っていました。
ねこ吉は、ソビエトと言えば、コルホーズ、ソホーズという言葉しか知りませんでした。

このヘリコプター?の写真を写した新婚御夫婦の人は、ツアーの添乗員からきつく叱られました。
フイルム没収、取り調べを受けることもあると・・・。
帰国してから、お家に遊びに行って写真をもらったんです。
そして、モスクワ空港で降ろされました。
タラップで降ろされ、カチカチの地面(ツンドラ?かと思った。)を少し歩いて、ボロボロのバスに乗せられ空港内の建物に連れていかれました。
バスの運転手は大きな女性でした。
「ねこ吉達は、収容所送りか!」と友人と言いました。
何回もチェックをされてなかなか建物の中に入れてくれませんでした。
銃を持った軍人が要所、要所に立っていて厳しい目をしていました。
毛皮の帽子やマトリョーシカを売っている土産物店に誘導されました。(ドルで支払いをしたと思います。)
ねこ吉は、毛皮の帽子が欲しかった。
クレジットカードもない時代、ねこ吉は両替をしたお金をすっかりパリで使い果たし、帰りの伊丹空港から家までのタクシー代しかもっていなかったんです。
何も買えず指をくわえて?人の買い物を見てました。
以上、引きずり出したアルバムを見て、色々思い出しました。
カラー写真が色褪せて、セピア色?
45年前のねこ吉の写真を見て、「こんな服を着て旅行に行ったんだぁ~」としみじみし・・・。
そして、アルバムは再び赤い箱に戻って行きました。

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ねこ吉も早速検索すると、こんな記事を見つけました。
こちら→「懐かしのアンカレッジ経由、まさかの復活」
そして、また昔はパリへの直行便はなく、往きはアラスカのアンカレッジを経由して、帰りはモスクワ経由だったこと。
モスクワでは一旦飛行機から降ろされ、銃を持った軍服を着た兵士を見たと書いておられます。
「あれ?ねこ吉も似たような経験をしているよ。」
ねこ吉は懐かしくなって、封印?している赤い箱(ねこ吉の若かりし頃のアルバムが入っている。)からアルバムを引きずり出してきました。
ねこ吉は、1977年の2月、高校時代の友人とフランス6日間の旅に出かけました。
往きは、東京→アンカレッジ→スキポール(オランダ)→パリへJALで行ったようです。
アンカレッジへは給油のために寄ったのでしょう。
飛行場のなかの土産物屋さんで、イヌイットの女の子の人形を買ったことを覚えているけど長い年月のうちに行方不明になってしまいました。
フードコートに「アラスカうどん」と貼り紙がしてありました。食べればよかったな。
団体旅行ではあったけど、基本はフリーだったので友人と2人でパリをあちこち歩きまわり、ソルドといわれるバーゲンの時期で、言葉も出来ないのに買い物を山ほどして思い切り楽しみました。
嗚呼、二人とも若かった・・・。
そして、帰りの飛行機はイギリス航空でモスクワ経由でした。

「一面の雪景色。ここはモスクワの近く?飛行機内から写真を撮るのを禁じられました。
秘密の好きなお国柄ソビエト、私たちが写したこの程度の写真で、どうにかなるような国じゃないのに肝っ玉の小さなケチな国・・・。
こんな寒いところに住んでいると頭まで凍てついてしまうのかしら?」とねこ吉が書いたメモがアルバムに入っていた。
つくづく、ねこ吉は昔も今も思考回路が変わっていません。

「広大な平原に建ったひと固まりのアパート。コルホーズ、ソホーズの人たちが住んでいるのでしょうか?」とメモが入っていました。
ねこ吉は、ソビエトと言えば、コルホーズ、ソホーズという言葉しか知りませんでした。

このヘリコプター?の写真を写した新婚御夫婦の人は、ツアーの添乗員からきつく叱られました。
フイルム没収、取り調べを受けることもあると・・・。
帰国してから、お家に遊びに行って写真をもらったんです。
そして、モスクワ空港で降ろされました。
タラップで降ろされ、カチカチの地面(ツンドラ?かと思った。)を少し歩いて、ボロボロのバスに乗せられ空港内の建物に連れていかれました。
バスの運転手は大きな女性でした。
「ねこ吉達は、収容所送りか!」と友人と言いました。
何回もチェックをされてなかなか建物の中に入れてくれませんでした。
銃を持った軍人が要所、要所に立っていて厳しい目をしていました。
毛皮の帽子やマトリョーシカを売っている土産物店に誘導されました。(ドルで支払いをしたと思います。)
ねこ吉は、毛皮の帽子が欲しかった。
クレジットカードもない時代、ねこ吉は両替をしたお金をすっかりパリで使い果たし、帰りの伊丹空港から家までのタクシー代しかもっていなかったんです。
何も買えず指をくわえて?人の買い物を見てました。
以上、引きずり出したアルバムを見て、色々思い出しました。
カラー写真が色褪せて、セピア色?
45年前のねこ吉の写真を見て、「こんな服を着て旅行に行ったんだぁ~」としみじみし・・・。
そして、アルバムは再び赤い箱に戻って行きました。
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猫吉さんはソ連に行かれたのですね いい思い出ですね
コロナ禍でもう、何年後に行けるように成っても年を取りすぎてシニアは海外に行けなくなりましたね
唯一、行っておけば良かったの国がソ連です、
今回のの狂気のウクライナ爆撃で行きたい国のリストから落ちました。
コメント有難うございます。
ねこ吉の場合、ソ連に行ったというより、飛行場に2時間ぐらい滞在しただけですが。
でも、今思えば貴重な体験でした。
本当にコロナのせいで、いつ海外旅行ができるようになるか判りませんね。
気力、体力は日々無くしているし、やっぱり無理かな?
寂しく悲しいです。
アンカレッジ 懐かしい言葉です。
私はロシアには一度も行ったことないですが 兄が駐在していたことありました。
空港での話も 西側諸国と違って、、いろいろあったこと聞きました。
ソホーズ コルホーズ この言葉も久しぶりです。
そうですか、お兄様がロシアに駐在なさってたのですね。大変だったでしょうね。
ソビエトがロシアになって久しいのに、ねこ吉は未だに慌てると「ソ連」と言ってしまうんですよ。