(16日に撮った写真。ふくふくとしたスズメ達が可愛い。)
毎年なら、阪神大震災のことは17日に書くだけだけど、今年はもう少し書いておきたい。
昨日、主に阪神大震災の追悼式典の様子や、能登半島地震の被災者の中学生が白山市へ集団避難をすることになったニュースが放送されていた。
集団避難?まさか、集団疎開ではないけど、2か月間ほど白山市の宿泊施設で勉強をしながら暮らすらしい。
強制ではないらしいので、行かない生徒もいるだろうと思うけど。
中学1年生と中学3年生では事情も変わって来るだろうね。
3年生には高校受験が迫っているし、受験勉強が出来ない事を心配してると思う。
29年前、阪神大震災が起きたとき娘は中学3年生、受験生だった。
年明けにインフルエンザに罹り治って、「今日から学校に行く。」という日に大震災が起こった。
今と違って携帯電話もLINEも何もない時代。
電話も繋がらない、電気もガスも水道も止まって、どうして暮らすか・・・。
ねこ吉達家族は震災の翌々日、電気は使えるし、家の被害はほとんどなかったたぬ吉の実家に、着の身着のままで避難することになった。
国道2号線を自転車に若干の荷物を積んで歩いて甲子園に向かった。
2号線は、被災地から脱出する車や、自衛隊の車両で進まない。歩道を歩く方が早いような状態。
途中、倒壊した家屋が道に傾れているのを山ほど見た。ショールームのガラスが割れて、つららのようにぶら下がっていた。
義母と愚弟の家に転がり込んだから、色々な出来事があった。
とりあえず、今回そのことは端折って、子供たちの学校のことを書く。
数日したら、甲子園の近くの中学校、小学校に編入できることになった。
それぞれの学校に連れて行き、事情を話して編入させてもらった。
娘は、公立の志望校はもう決まっていた。
現在は知らないけど、西宮市は「総合選抜」という制度で、自分の住んでいる地域に近い公立校にほぼ決まるので、中学校では受験が迫っているというムードはなかったそうだ。
学校側もくるものは拒まないけど、特に何かを教えてくれる訳でもなく、クラスは騒がしく・・・。
よそ者の娘は居心地が悪く、「体育の授業を見学したい。」と言ったら担任に叱られたそうだ。
担任は体育の教師だったそうだ。
体操服も持っていないのに、随分酷いと思った。
「もう、あんな中学校には行きません。」と怒って帰ってきた。
一方、息子は、案の定いじめに遭った。
子供たちが通っていた中学校も、小学校も被災者で溢れて、授業が始まる目途がたたなかった。
義母との仲もうまく行かず、ねこ吉は昼間、繋がった阪神電車に乗って壊れたマンションの部屋の片づけに通っていた。
電気がないので、暗くなる前には甲子園に帰ってきた。
割れた陶器やガラスで惨憺たる部屋に土足で入るのは辛かった。
娘は、授業は無いが中学校に行けば、クラスメート数人に会えて情報交換していた。
皆、避難先の親戚の家等で苦労したと言っていたそうである。
息子は、誰も友人もいないし、休み時間には学級文庫の漫画、「お~い!竜馬」をひたすら読んでいたそうだ。
その内、マンションに電気だけ開通することになった。
暖房器具は炬燵があるし、「もう、家に帰ろう。」ということになり・・・。
息子は、「明日から来ない。」といったら、担任が、「これ持って帰り。」と「お~い!竜馬」全23巻をくれた。
「もらっていいんですか?」と息子は聞いたらしい。
「誰も読んでない。」とのことで・・・。
息子は、重くて引きずるようにして帰ってきた。
去年寝室のリフォームをするまで、廊下の本棚にずっと置いてあった。28年間?
息子の判断で、ついに処分した。
それぞれの学校に挨拶に行ったけど、娘の中学校の担任には会えず、代わりに教頭先生が出ていた。
お世話になったことを述べると、
「娘が神戸女学院大学に推薦入学が決まりました。」と、自慢され・・・。
今、ここで言うことなの!
ねこ吉は、教頭先生がこんな浅はかでいいのか!と随分腹が立った。
名門 神戸女学院大学に入学が決まって親も子も有頂天だったんだろうけど・・・。
中学校も小学校も、3学期は無かった。授業を再開することは出来なかった。
息子は、被害の少なかった六甲アイランドの小学校にバスで連れていかれたりしていた。
娘は、通っていた塾は閉鎖されていたので、友人が行っていた塾に無料で行けることになり、公文も無料で行けることになった。
無事、志望校に合格した時は本当に嬉しかった。
しかし、合格発表の日は、地下鉄サリン事件の日だった。
前日まで、ずっと阪神大震災の事ばかり報道していたのに、あの日から地下鉄サリン事件の報道ばかり。
マスコミとは、世の中とは、こういうものなんだとつくづく思った。
今思えば、ねこ吉は娘の受験勉強が出来ない事を随分心配した。
きっと、能登半島の人たちも、集団避難に行くか、残るか、悩まれた事だろうと思う。
1日も早い復興を祈っています。
「頑張って!」なんて言いません。
ねこ吉は、「命が助かったんだから、頑張って!」と何度も言われてウンザリしたから。
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