ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

阪神大震災から29年

2024-01-17 19:50:47 | 日常のこと


今朝は、5時半に目が覚めた。
ベッドの中で5時46分を待つ。
29年前のあの恐ろしさをもう一度ここに書くのはあまりに辛いけど・・・。

毎年、1月17日には阪神大震災のことを書いているので若干重複している部分もあると思います。

たぬ吉は東京に出張中。
息子と2人、ピラミッド型に倒れたタンスに挟まった。タンスが重くて二人とも出ることが出来なかった。
ねこ吉は、「お母さん、助けてェ!」ととっくに死んでしまった母を呼んで叫んでた。

娘が助けを呼びにいき、来るまでタンスを膝と手で支えていてくれた。

後日、二人で銭湯に行ったら、両膝に黒い線の痣が出来ていた。

あの子に何処にあの行動力と力があったんだろう?

絶対、母が乗り移って助けてくれたのだと思う。

ここまで書いて、もう苦しい。



1月1日の夕方、能登半島地震が起こり現在も大変な状況だ。

被災者の人たちをテレビで見るのが辛い。

雪が降ってる。惨憺たる被災地を雪で隠しているように見える。

神戸より、うんと寒いよね。皆さんお風呂に入りたいでしょうね。

ねこ吉も、震災ご約2週間後、京都の叔父が避難している甲子園の実家にリュックを背負ってやって来て、ねこ吉と子供達を京都の家に連れて帰ってお風呂に入れてくれた。

ねこ吉は、あまりの気持ちよさに1時間ぐらい湯船から出られなかった。

生まれてから山ほど世話になった叔父は、昨年の10月に亡くなった。

昨夜、鎌倉に住む従姉が電話をくれた。京都の叔父の長女である。

ねこ吉は、多分生まれた時から、その従姉にも世話になっている。

震災以来、ずっと毎年電話をくれる。

昨日は思い出話をした。

毎年、震災記念日にねこ吉を気遣って電話をくれて有難うございます。その心遣いが本当に嬉しいです。

ここまでの文章をベットの中で書いた。



そのまま眠れず、ベッドの中に7時過ぎまでいた。
暖かいベッドの中で思い切り足を伸ばし、背伸びをして起き上がった。
能登半島地震で避難所生活をしてらっしゃる方々に申し訳ない気がするんです。

今日は、近くのスーパーに行っただけ。
昨日より暖かく、綺麗な青空だ。
29年前も、助け出されて外に出たら青空だったなぁ。

小さなマシュマロクッキーがなくなりかけたので、オーブントースターの前でボンヤリと番をして焼いていた。

これと言って何もしなかったけど、この「何でもない日」の連続こそ、どんなに有難いかつくづく思い知った。

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