昨日は、大物(だいもつ)にある「残念さん」に行ってきた。
大物は、阪神尼崎から各駅停車で一駅大阪寄り。
9月9日、尼崎史料館に行った日に、調べ物をしていたら残念さんの事が載っていた。
ねこ吉は、高校受験の時母に連れられて願掛けに来たことがある。
どうやって行ったかは全く覚えていないけど、寒い曇った日だったと思う。
懐かしくて、もう一度行ってみようと思った。
「残念さん」とは、幕末の蛤御門の変で敗れた長州兵、山本文之助のことで、捕えられ牢内で、「残念じゃ、残念じゃ。」と言いながら自害したそうだ。
哀れに思った里人が墓を建て、「残念さん」と言われ、お墓にお参りすれば一つだけ願いを叶えてくれると言われている。

大物で電車を降り、プリントしてきた地図を頼りに北上。
大物公園の近くらしい。
ユニチカ記念館に行った時も感じた事だけど、大物は古い町。
道がマス目になってない。
三叉路とか、五叉路まである。ねこ吉泣かせの町である。
見つかった!墓地の入り口に看板。
周りは二階建て住居に囲まれている。奥の方はマンションが建っている。
ひっそり、ひっそりぃ~。
ねこ吉一人。
残念さんに向かって祈る。
願い事、一つなんて!一杯あるんです。
しっかりお願いして、電車で尼崎に戻る。
もう1つの昨日の予定、尼崎史料館で住宅地図をコピーしてもらう事。
先日来た時に、自分の住んでいた地域の住宅地図を閲覧させてくれ、必要ならコピーさせてくれるって聞いた。
昭和32年以降、平成18年迄のものに限るらしいけど・・・。
今も尼崎に行けば、住んでいた家の近くには行くが、知っている人は茶道の先生の家族くらいしかいない。
当然、ねこ吉の住んでいた家もないし、隣も空き地になっている。
住宅地図は、昭和34年からしかなかった。ねこ吉は8歳かぁ・・・。
昭和38年、46年、51年、63年、平成5年、6年、7年のものをコピーさせてもらった。
住宅地図の名前を見れば、近所の人の顔が浮かんでくる。
家の隣に住んでいた西井さんの事を思い出した。母と仲のいい一人暮らしのお婆さんだった。
髪をアップに結い上げて、着物の衿に日本手拭いをかけ、きりっとした綺麗好きの人だった。
父は名古屋に単身赴任、母が夏休み中に手術入院したときは、ねこ吉は小学校2年生。
夏休み中は親戚に預けられてたけど、2学期が始まると家に帰って、西井さんにご飯を作ってもらって学校に通った。
でも、寝るのは家でたった一人。怖かった。
母が亡くなったとき、
「私が死ぬときは、アンタのお母さんにお世話になろうと思ってたのに、私より先に死にはって・・・。」と泣かれた。
本当に西井さんにはお世話になった。
昭和63年の住宅地図には、西井さんの名前は無かった。
ねこ吉が、千葉にいる間に亡くなられたのだろうな・・・。
昔の事をいろいろ思い出してしまって、寝られなくなってしまい時計を見れば4時。
懐かしい思い出は、辛かった思い出も連れてくる。
もう、昔を掘り返すのは止めよう。
コピーした住宅地図は、引き出し深くしまい込んだ。
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大物は、阪神尼崎から各駅停車で一駅大阪寄り。
9月9日、尼崎史料館に行った日に、調べ物をしていたら残念さんの事が載っていた。
ねこ吉は、高校受験の時母に連れられて願掛けに来たことがある。
どうやって行ったかは全く覚えていないけど、寒い曇った日だったと思う。
懐かしくて、もう一度行ってみようと思った。
「残念さん」とは、幕末の蛤御門の変で敗れた長州兵、山本文之助のことで、捕えられ牢内で、「残念じゃ、残念じゃ。」と言いながら自害したそうだ。
哀れに思った里人が墓を建て、「残念さん」と言われ、お墓にお参りすれば一つだけ願いを叶えてくれると言われている。

大物で電車を降り、プリントしてきた地図を頼りに北上。
大物公園の近くらしい。
ユニチカ記念館に行った時も感じた事だけど、大物は古い町。
道がマス目になってない。
三叉路とか、五叉路まである。ねこ吉泣かせの町である。

見つかった!墓地の入り口に看板。
周りは二階建て住居に囲まれている。奥の方はマンションが建っている。
ひっそり、ひっそりぃ~。
ねこ吉一人。

残念さんに向かって祈る。
願い事、一つなんて!一杯あるんです。

しっかりお願いして、電車で尼崎に戻る。
もう1つの昨日の予定、尼崎史料館で住宅地図をコピーしてもらう事。
先日来た時に、自分の住んでいた地域の住宅地図を閲覧させてくれ、必要ならコピーさせてくれるって聞いた。
昭和32年以降、平成18年迄のものに限るらしいけど・・・。
今も尼崎に行けば、住んでいた家の近くには行くが、知っている人は茶道の先生の家族くらいしかいない。
当然、ねこ吉の住んでいた家もないし、隣も空き地になっている。
住宅地図は、昭和34年からしかなかった。ねこ吉は8歳かぁ・・・。
昭和38年、46年、51年、63年、平成5年、6年、7年のものをコピーさせてもらった。
住宅地図の名前を見れば、近所の人の顔が浮かんでくる。
家の隣に住んでいた西井さんの事を思い出した。母と仲のいい一人暮らしのお婆さんだった。
髪をアップに結い上げて、着物の衿に日本手拭いをかけ、きりっとした綺麗好きの人だった。
父は名古屋に単身赴任、母が夏休み中に手術入院したときは、ねこ吉は小学校2年生。
夏休み中は親戚に預けられてたけど、2学期が始まると家に帰って、西井さんにご飯を作ってもらって学校に通った。
でも、寝るのは家でたった一人。怖かった。

母が亡くなったとき、
「私が死ぬときは、アンタのお母さんにお世話になろうと思ってたのに、私より先に死にはって・・・。」と泣かれた。
本当に西井さんにはお世話になった。
昭和63年の住宅地図には、西井さんの名前は無かった。

ねこ吉が、千葉にいる間に亡くなられたのだろうな・・・。
昔の事をいろいろ思い出してしまって、寝られなくなってしまい時計を見れば4時。
懐かしい思い出は、辛かった思い出も連れてくる。
もう、昔を掘り返すのは止めよう。
コピーした住宅地図は、引き出し深くしまい込んだ。
