浅草の花やしきの南は、かつて「浅草公園四区」といふ区域であつた。昭和初期の地図を見ると、緑地帯や池があつたりで、いかにも公園といふ区域であつた。
現在、この区域は飲み屋が多く集まつてゐる。場外馬券売場があるので、中央競馬開催の土・日曜日は朝から営業してゐる店が多い。
この界隈を歩くと、猫によく出会ふ。当ブログ「モヒカン猫」(2007.12.23)、「浅草四区またたび酔ひ」(2008.5.20)もこの界隈での撮影である。
写真のキジトラ白は人懐こいわけではないが、撫でることはできた。
(2008年5月、台東区浅草、ニコンD80,タムロンAF28~80㎜F3.5~5.6,ISO400,プログラムオート)
←猫写真ブログ検索およびランキングサイトへの入口です。クリツクするとこのブログのランキングも上昇します。
当ブログ「日本寺」(2008.2.2)の猫である。
竹製のベンチの隙間に、キヤツトフードがある。それを食べやうとしてゐるがなかなか取れない。
(2002年1月、安房郡鋸南町元名、ニコンNewFM2,タムロン28~70㎜F3.5~4.5)
銀座といへば、かつては柳の名所であつた。
昭和初期の流行歌で銀座を歌つたものには、「銀座の柳」(西條八十作詞、中山晋平作曲、四家文子唄:1932年)をはじめ、「柳」といふ言葉が使はれてゐた。「柳」が出てこない歌は「東京ブルース」(西條八十作詞、服部良一作編曲、淡谷のり子唄:1939年)他例は極めて少ない。
昭和43年に銀座の柳はほとんどが伐採され、柳の名所ではなくなつた。
しかし、現在、西銀座のメインストリートである外堀通りの街路樹として柳が復活してゐる。
写真は、当ブログ「真顔で迫る」(2007.11.13)「追ひかけてヨコハマ」(2008.5.8)で掲載したパントマイム芸人・加納真実さん。銀座の柳の下でのパフオーマンス。
(2008年5月、中央区銀座、富士フイルムFinePixA800)
当ブログ「こちらは一匹、あちらは三羽」(2008.1.30)および「上野の人気者」(2008.5.26)で掲載した猫である。
猫の写真を撮つてゐたら、この猫の扱ひに慣れてゐるとみられるオバさんが、この猫を抱き上げ、写真を撮れと言はんばかりに私の前に突き出したところを撮影した。
(2008年4月、台東区上野公園、ニコンD80,タムロンAF28~80㎜F3.5~5.6,ISO800,プログラムオート)
上野不忍池の南東岸に、下町風俗資料館がある。
私またたびはこの資料館内を観覧したことはない。しかしこの附近にはよく足を運ぶ。猫がゐるからである。「段ボール上でごろり」(2008.7.4)の写真もこの附近にて撮影した。
写真の三毛はある程度近づくと逃げてしまふので、撫でたことはない。
またたび粉末を与へて酔つたところを撮影した。
(2008年6月、台東区上野公園、富士フイルムFinePixA800)
5月の連休に、猫を探して月島を歩いた。
しかし、その日は二匹の猫に出会つただけである。一匹は「警戒2~高所から」(2008.6.3)と題して掲載した。
もう一匹は、高いところに逃げたわけではないが、植木の陰に隠れてニヤーニヤー鳴いてゐた。
(2008年5月、中央区月島、富士フイルムFinePixA800)