私が故郷和歌山から東京に出たのは大学に入学した昭和44年、 ちょうど18歳の時でした。
当時の若者の多くがそうであったように、 「大都会へのあこがれ」 は私にも強くありました。
当時私にとって、 和歌山はどこにでもあるような普通の街…。 しかし時とともに、 その素晴しさが強く感じられるようになりました。
海、 山、 川、 城…まさに 「日本の原風景」 が和歌山にはあるのです。
さんぽみちプロジェクトは、 和歌山のさりげない景色の中にある素晴らしさを地元の人たち自身が再発見し、 それを全国に、 そして世界に発信しようというものです。精一杯応援したいと思います。
実は私自身、 文化・芸術による町興しを願って 「和陽文化振興会」 というNPOを立ち上げました。
これには、 さんぽみちプロジェクトの次田さんにも参加してもらい、 共同で色んな試みをしていくつもりです。
その先には、 元気で素敵な和歌山が見えます。
【東京都/竹中平蔵】
当時の若者の多くがそうであったように、 「大都会へのあこがれ」 は私にも強くありました。
当時私にとって、 和歌山はどこにでもあるような普通の街…。 しかし時とともに、 その素晴しさが強く感じられるようになりました。
海、 山、 川、 城…まさに 「日本の原風景」 が和歌山にはあるのです。
さんぽみちプロジェクトは、 和歌山のさりげない景色の中にある素晴らしさを地元の人たち自身が再発見し、 それを全国に、 そして世界に発信しようというものです。精一杯応援したいと思います。
実は私自身、 文化・芸術による町興しを願って 「和陽文化振興会」 というNPOを立ち上げました。
これには、 さんぽみちプロジェクトの次田さんにも参加してもらい、 共同で色んな試みをしていくつもりです。
その先には、 元気で素敵な和歌山が見えます。
【東京都/竹中平蔵】