僕らがテレビ局に入った1980年前半の時代、大阪本社では深夜番組と昼のワイドショーしかやっていなかった。僕は深夜組。ADを二年半位やり、それからは一ヶ月に一回のサイクルでディレクターが回ってくる。決まっているのは司会者のみ。テーマから、セットから、取材対象から、全部自分と構成作家で決めた。これはとってもしんどい事だったが勉強になった。今のゴールデンの番組のほとんどは、ある程度決まったセットで、出演者にお任せの部分も多い。まあ、ゴールデンタイムだから、それほど冒険はできないのかもしれない。
そういう意味で僕らは貴重な体験をさせてもらった世代である。この事が後のドラマ作りにも活きてきたと思うし、今の仕事にもなんらかの形で、「一からものを造るという精神」は生き続けている。ラッキーな時代に入社したものだ。




そういう意味で僕らは貴重な体験をさせてもらった世代である。この事が後のドラマ作りにも活きてきたと思うし、今の仕事にもなんらかの形で、「一からものを造るという精神」は生き続けている。ラッキーな時代に入社したものだ。




