お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「新聞紙」が結んでいたコミュニケーション

2005年04月18日 | エッセイ・日記・意見
昔は、市場の魚屋さんとかで、ものを包む場合、そういえば、「新聞紙」を使っていたなぁ~という事を思い出した。何故思い出したかというと、長男と次男に買っている「学研の科学」の付録に、「サボテン栽培セット」がついていて、それを作るのに、子供たちはベランダへ出て、新聞紙をひいて、土がこぼれない様にして、サボテンを植える作業をやっていた。それを見ていて、「この風景、どっかで見たなぁ」と思った事から始まった。
八百屋や魚屋では、薄い茶色の油紙?にまず商品を包んで、それから、その上から、新聞紙を被せ、輪ゴムでそれをとめて、客に渡してくれた。そこでは、常連さんと店の人の会話が弾んでいた。
「新聞紙」が結んでいたコミュニケーションは、今はなく、コンビニの白い可燃性の袋に変わってしまい、「人の心の絆」が薄れてきたのではないだろうか。強引な論理だろうか・・・。
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子供、恐るべし。学ぶ事、多し!!!!!

2005年04月18日 | 子供・動物・生き物・ペット
昨日夕方、長女がリビングの食卓で、友達に一時間半くらい、手紙を書いていた。書く事は僕に似たのか、好きらしい。便箋に文字を一字ずつ丁寧に書いていく。電子メールが飛び交っている時代に、手紙を書くという行為は尊いものだと思う。目を食卓に10センチくらいに近づけて、手紙を書く事に没頭している。長女は日曜日、三時間、サッカーの練習に行っている「スポーツ少女」である。帰ってきて、手紙を書き始めたのだ。僕が子供の頃、すなわち、メールとか無い時代でも、一時間半も手紙を書いた事は無かった。素直に感心してしまった。中学一年生になったばかりである。これから、どんな思春期を送るのだろうか?とっても楽しみである。
長男もサッカーをやっている。昨日は試合があり、レギュラーの座を獲得した。僕は中学・高校・大学と11年間、「バスケットボール」をやっていたが、189センチも身長があるのに、レギュラーになれなかった。尊敬尊敬である。子供を持って、子供に教えられる事のなんと多い事か。うちの父と母は、僕と妹から、何を学んでいたのかなぁ~。そんな事も想像してしまう昨今である。
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「A」で感じたアジアへの親近感・・・

2005年04月18日 | テレビ番組
日テレの「A」を見た。台北の校則が印象的だった。日本の様に、「・・・してはならない」というのではなく、「褒める」というのがコンセプトで、「掃除が学校一できた」「遅刻が一人もいない」など、加点式で、一週間ごとの「学校の、最優秀クラス」が選ばれ、そのクラスには、「ごほうびのお小遣い」とか「一日私服を着て来ていい」とかの権利が与えられる。
とても良い事だと思った。子供は基本的に、「褒める事」が大切だ。それをいつも欲している。だから、画面に出てくる学生達の表情が生き生きとしている。40年くらい前の日本の子供たちの様な素直な表情の顔である。
「A」はスタジオ部分を増やして、久米さんの出る時間を増やし、VTRを少なくして、「インターネットでアジアの人とライヴで話す」という要素に特化した方が見やすい様に、僕は思った。なんか、やっぱり、「抗日運動」とかが、中国で起こっているけれど、同じ「アジア」に住む人々の事はもっと知るべきだし、心を開いて付き合っていくべきだと、「A」を見て思わされた。そこには「戦争という負の歴史」が厳然と横たわっているので、日本人の考える「アジア」と、他のアジア諸国の考えは、今現在、かなり違うものだと思うのだが、まずは「文化」を通じて「心を交流させる」のが第一歩かなと感じている。
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次男は言い訳魔・・・

2005年04月18日 | 子供・動物・生き物・ペット
うちの次男は「言い訳魔」である。何かして、怒られると、「だって、○○ちゃんが××したんだもん」と、すかさず言う。最初に「ゴメンナサイ」と言ったためしが無い。あたまの回転が、そういうところでは速いのか、まず言い訳をする。その言い訳は、その場で口から出たものだから、妻がいろいろ関係者に事情聴取していくと、「話が合わなくなってきて、次男のウソがばれる」事になる。そうして、次男は「ちびマル子ちゃんが失敗をしてガーンとなった顔」になるのである。
それと夕食を食べるのが、極端に遅い。僕は夕食を10分で食べる。これも極端に速いが。次男は午後7時に食べ始めて、食べ終わるのが午後9時を回っている。テレビを見たり、途中で席を立って遊んでみたり・・・毎日、僕と妻に怒られているのだが、なかなか直らない。そして、彼の髪はいつもいろんな方向に突っ立っている。何故だろう?
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「高尾山」のビアガーデン

2005年04月18日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
大阪で入社したての頃、「富国生命ビル」という梅田のビルの屋上に「ゴーゴービアガーデン」というのがあった。単純に、ビアガーデンの真ん中での高い台の上で、水着のおねえちゃんが踊る・・・というそれだけのものだった。他のビアガーデンには、「泥レス」(泥んこの中で水着のおねえちゃんがレスリングをやる)をやっているところもあった。
東京で行きたいビアガーデンがある。それは、京王線の終点・高尾山口で降りて、ロープウェイを上った所にある「山頂ビアガーデン」である。高尾山の上は夏でも結構涼しい。眼下に夜景を眺めながら、「自然の涼しい風に吹かれて」ビールをグビグビ飲みたいものだ。ただ、酔っ払って、都心まで戻ってくるのが大儀だなぁ~と思い、毎年行きそびれている。
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「消費者金融」のバックに何故か・・・

2005年04月18日 | エッセイ・日記・意見
「消費者金融」つまり「サラ金」のバックには、今、大手の銀行がついている。これって矛盾してない?と思うことがある。「東京××銀行」の」」「キャッシュワンとか、「三井○○銀行」の「プロミス」とか。一つは、「銀行」で借金ができなくなった人が「サラ金」に行くのではないかという事。もう一つは、「大手銀行」の名前がその「サラ金」についていると、人間の心理として、「そんな阿漕なことはしないだろう」という「変な安心感」を借りる人が間違って持ちかねない事。この二つが矛盾点だと思う。「ハワイへ行きたい」→「お金が無い」→「サラ金でお金を簡単に借りよう」→「ハワイへ行って楽しかった」→「えっ!こんなに利子が高いの!?借りるんじゃなかった。返せないよぅ~」・・・という流れがたくさん存在するのではないかと思う。
僕は基本的に、「家」とか「車」のローン以外では借金はしない主義である。こんな低利子時代、「借金をする」のは損だし、精神的負担を常に負うのは嫌だからだ。
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ドラマの「タクシー送り」を巡って・・・

2005年04月18日 | テレビ番組
ドラマの予算管理で、結構重要なのがいわゆる「宅送」と言われる、「キャストやスタッフが電車で帰られなくなった時、「タクシーを乗りあって家に帰ってもらう」事である。ドラマは関係する人数が多い。スタジオ収録の場合だと100名近くの人間がスタジオで働いている。「宅送」の目安はだいたい23時、午後11時だ。スタッフの方も疲れていて、「タクシーで帰りたい」から、午後10時を過ぎると「牛歩戦術」に出て、午後11時過ぎに終わる様に努力してくる。厳しい制作会社だと、午後10時を過ぎた段階で、収録は翌日回し。四日間、スタジオ収録があったら、三日目までは午前9時から、午後10時過ぎまで収録し、最終日に朝近くまで収録し、宅送を週に一回にしようとする。スタジオやロケの場所にもよるが、一回「宅送」を出すと、30万~50万円のお金が出ていく。
スタジオやロケでは、こうした午後11時をめぐるプロデューサーとスタッフの駆け引きが日夜繰り返されているのである。だから、「早撮りの監督」は、ある意味でプロデューサーに喜ばれる。1クール(三ヶ月)で一回しか、「宅送」を出さなかった監督もいた。しかし、矛盾があって、やはり、良いドラマを作ろうと思えば、ある程度の収録時間をかけなくてはならない。「早い」だけではダメなのである。
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「ロンパールーム」の飲み物に憧れた僕

2005年04月18日 | テレビ番組
日本テレビは昔、午前中は子供番組が多かった。「おはよう子供ショー」とか「ロンパールーム」とか。後者はよく見ていた。「おやつの時間」があって、飲み物むが出てきて、見ている僕と同じ世代の幼稚園児が美味しそうに、その飲み物を飲んでいたのが印象的だ。歴代の先生は、下の名前が必ず「みどり」で、その一人が、現在キンキンの奥さんの「うつみ美土里」さんである。「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」というフレーズも忘れがたい。何故、あの時代は、午前中に「子供番組」をやっていたのだろう。のどかな時代だったのかもしれない。

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