脚本家の遊川和彦さんからの「葉書」の最後にいつも「遊川 拝」と書かれている。僕は以前から、この「拝」の意味が分からなかった。で、調べてみた。
手紙文の最後に入れる「拝」とは、どういう意味?
「拝」は、「生(せい)」同様、手紙の後づけにおいて、差出人すなわち自分の姓の後に用いて、相手への敬意を表す語であるといわれます。これだけを聞くと、上司や恩師など目上の人への手紙に用いてさしつかえないように思われます。しかし、手紙の後づけにおける差出人名は、姓名をともに記すのが正式であり、姓のみを記すのは親しい間柄に、名のみを記すのは家族などに限られるとするのが一般的です。
したがって、姓の後に「拝」「生」を用いてよい場面は、かなり限定されたものとなります。同等、あるいはやや目上であって、親しい間柄にある人に宛てた手紙において、相手への敬意を表す際に用いられると考えるのが妥当でしょう。
差出人名の後に「拝」を用いることは、もう少し広い範囲、目上の人に宛てた手紙においてもおこなわれているのが現状のようですが、やや距離のある目上の人には姓名を記すのが無難であるといえるでしょう。
なお、「生」は「小生」「老生」に見られるように、男性の謙称ですので、この点にも注意が必要です。
という事は遊川さんは僕との関係を「親しい間柄」と感じて下さっている様だ。何事も調べてみるものだ。
手紙文の最後に入れる「拝」とは、どういう意味?
「拝」は、「生(せい)」同様、手紙の後づけにおいて、差出人すなわち自分の姓の後に用いて、相手への敬意を表す語であるといわれます。これだけを聞くと、上司や恩師など目上の人への手紙に用いてさしつかえないように思われます。しかし、手紙の後づけにおける差出人名は、姓名をともに記すのが正式であり、姓のみを記すのは親しい間柄に、名のみを記すのは家族などに限られるとするのが一般的です。
したがって、姓の後に「拝」「生」を用いてよい場面は、かなり限定されたものとなります。同等、あるいはやや目上であって、親しい間柄にある人に宛てた手紙において、相手への敬意を表す際に用いられると考えるのが妥当でしょう。
差出人名の後に「拝」を用いることは、もう少し広い範囲、目上の人に宛てた手紙においてもおこなわれているのが現状のようですが、やや距離のある目上の人には姓名を記すのが無難であるといえるでしょう。
なお、「生」は「小生」「老生」に見られるように、男性の謙称ですので、この点にも注意が必要です。
という事は遊川さんは僕との関係を「親しい間柄」と感じて下さっている様だ。何事も調べてみるものだ。