【このインタビューは2007/04/25に掲載されたものです。】
目標は一つだけでいい
「白い妖精」「カオル姫」と称され、一躍ブレークしたのは2005年夏のワールドグランプリからだ。相手の強打をフライングレシーブで次々拾いまくり、自らも長大な滞空時間を生かした強烈なスパイクで攻撃しまくった。群を抜く活躍に加え、透明感あふれる独特の存在感、端正な顔立ちが人気に拍車をかけた。現在はJTマーヴェラスに所属。練習に励む菅山かおるさんを訪ねた。
(取材・文/井上理江 写真/宮田昌彦)
――今年、JTマーヴェラスは調子よかったですね
はい。年始めから練習をしていましたが、Vリーグ優勝に向かってチームが一体となっている実感がありました。選手みんな仲がいいし、雰囲気もいいので、今年こそ優勝のチャンスと思って頑張ってきました。おかげで4月15日の決勝に進出。惜しくも優勝は逃しましたが、いい試合ができたと思います。
――練習はどの程度しているのですか?
リーグ中の場合は、午前中は自主練習で、午後2時から5時までが全体練習。その後、みんなで足りないところを強化する練習を行います。ただ、リーグ中は練習であまり体力を消耗すると本番まで持たなくなってしまうので、体の様子を見ながらしています。
練習を始めると夢中になる
――練習は楽しいですか
楽しいし、好きですね。全体練習でできなかったことが、自主練習を繰り返すうちにできたりすると、もっともっと頑張ろうという気持ちがフツフツとわき上がってくる。そういうのが励みになっています。もちろん、練習が嫌なときもあるのですが。
――それはどんなとき?
練習とはいえみんな本気なので、ガンガンにやられたりすることも。そんなときに「もう、勘弁してよ」と(笑い)。後は、朝起きて「今日はしんどいなあ」「行きたくないなあ」と思うこともあります。でも、いざ練習を始めると、いつものバレーボールが好きな自分に戻っていて、夢中になっている。自分でも不思議ですね。
――バレーの選手になると決めたのは小学校へ上がる前だったとか
興味を持ったのは幼稚園のとき。母親のママさんバレーの練習について行ったのがきっかけです。パスをすると「上手だね」って、みんなが褒めてくれて。とにかく楽しくてしかたなかった。バレーの選手になりたいというより、とにかくバレーボールをやりたいと自然に思うようになっていました。
――では、本気でVリーガーになりたいと思ったのは?
バレーボールの名門、古川商業高校(現・古川学園高校)へ入ってからです。全国大会出場など、具体的な目標に向かってみんなで練習を積み重ねる。そして実際に試合や大会に出場して頑張って勝つ。そういう経験の中で、目標を達成する喜びを知ったというのが大きい。それと、高校時代に実業団の合宿に参加したことも引き金になったような気がします。
――というと?
高校だと監督に厳しく言われ、怒られながら「練習をやらされている」という感覚が強かったのですが、実業団の選手たちは決して「やらされているバレー」ではなかった。競争の中で自分が頑張らないと生き残っていけない。そういう厳しさにあえて身を置いて、何ていうか「自分が積極的に向かってやるバレー」「求めていくバレー」だった。そこに魅力を感じて、私もこういう環境の中で頑張ってみたいな、と。
――高校卒業後に入社した小田急ジュノーが2年で廃部となり、JTマーヴェラスへ移籍。その後、全日本女子バレーの代表に選ばれるまで6年かかりました
全日本は私の大きな目標であり夢でした。全日本に選抜されるためにずっと頑張ってきたといってもいいくらい。だから、決まったときは素直にうれしかった。でも、決して遅いという感覚はなかった。選ばれないのは、まだまだ自分の実力が足らないからだ、もっと頑張らないとなって。それだけでしたね。
五輪よりも目の前の試合
――05年、ワールドグランプリから「カオル姫」と呼ばれ、注目され始めましたね
そう呼ばれるのは恥ずかしかったのですが、多くの人が自分の名前を覚えてくれるのはうれしかった。励まされました。
――ワールドグランプリの次の目標は、08年の北京オリンピックですか?
いいえ、いつも、目の前の試合が一番の目標です。それ以外のことは考えていません。Vリーグの時は、JTが優勝するため自分がどんなプレーで貢献できるのか、そのことだけに気持ちを集中させていましたし。一つの目標が終わってからでないと次のことは考えられない性格なんです。二つも三つも目標を作りたくないし。とくに今年は守備専門のリベロという重要なポジション。自分が崩れるとチーム全体がガタガタになってしまうので、そこを常に意識して試合に臨んでいます。
――そこまで菅山さんがバレーボールに夢中になれるのは?
単純にバレーボールが好きだから。その一言に尽きます。大した理由なんてありません。練習をどんなにシンドイと思っても、試合で勝った瞬間にそのつらさを忘れてまた頑張ろうと思う。それと、私がダメでもチームのみんなが助けてくれる。そういうチームみんなの一体感みたいなものも好きなんでしょうね、きっと。
――辞めたいと思ったことは?
しょっちゅうです。小さな波はいつでも押し寄せる。普通の生活もしてみたい。でも、反対に考えたら、バレーを辞めた生活はいつか必ず実現できることでもある。だから今はもう、今しかできない大好きなバレーボールに集中したい。それが自分の幸せだと思うので続けているだけです。
試合のビデオは見ない
――アスリートの多くは試合前にゲンを担いだり、ジンクスを持っていたりしますが
試合のときには必ず左の靴から、という選手もいますが、私はジンクスや縁起担ぎに一切興味がない。試合はあくまで練習の結果。負けたとき確かに落ち込んだり、クヨクヨすることもあります。でも、私は引きずらない。終わったことだからしょうがない。もっと練習して実力をつけて次を頑張るしかない。そういうスタンスです。
――常にバレーボールのことが頭から離れないわけですね
いやそういうわけでもないんです。今住んでいる家には試合のビデオやトレーニンググッズなどの、バレーボールに関するものは一切置いていません。家にいるときはゆっくりお風呂に入って、テレビを見てのんびりしています。
――そのメリハリが、バレーボールでの集中力につながっているんですね。テレビは何を見るんですか?
サスペンスドラマが好きなんです。実家へ帰ると両親が試合のビデオを一緒に見ようというのですが、それも嫌いで見ませんね。かといって、今はバレーボール以外のことに興味もない。だからシーズン中は毎日、バレーをしているか、ご飯を食べてるか、寝てるか。そんな感じですよ、本当に。
質問1
これまでの人生で最大の買い物(投資)は何ですか?
自分用に買ったものとして一番高かったのはパソコンです。でも、買った直後にジュースをこぼしてしまって、すぐに買い換えることに。意外におっちょこちょいなんです。
質問2
こだわりがある、という生き方をしていると思う人を挙げてください
プロ野球の清原和博選手。お会いしたことはないので実際にどんな方なのかは知らないのですが、男らしくて、人の意見に左右されない印象があり、そこがステキですね。自分の好きなことに集中して取り組んでいる人、目標に向かって突き進んでいる人はみんなすごいなと思う。尊敬します。
質問3
人生に影響を与えた本は?
人から勧められたり、面白いと言われないと本は読まない。したがって、人生に影響を与えた本というのはないですね。最近、読んだ本で面白かったのは「佐賀のがばいばあちゃん」(島田洋七著)。全日本のとき、後輩の高橋翠に勧められて読みました。
1978年12月26日生まれ。宮城県岩沼市出身。96年、古川商業高校(現・古川学園高校)のエースとして、春の高校バレー優勝に貢献。小田急ジュノーを経てJTマーヴェラスへ。ポジションはリベロ/ウイングスパイカー。2005年のワールドグランプリで全日本デビュー。このころから「カオル姫」の愛称で呼ばれるようになる。身長169cm 、体重56kg。
いつも応援ありがとうございます
菅山かおるさんの所属するJTマーヴェラスは、2006/07V・プリミアリーグを、準優勝という好成績で終えました。「これもファンの皆様の熱い応援のお蔭です。これからも皆様に最高の輝きと感動をお届けできるように頑張りますので応援よろしくお願いいたします」(菅山さん)。
(朝日新聞紙面より引用)
「カオル姫」は何でバレーボールを止めるのだろう。多治見麻子選手も36歳で頑張っているのに・・・淋しい。
目標は一つだけでいい
「白い妖精」「カオル姫」と称され、一躍ブレークしたのは2005年夏のワールドグランプリからだ。相手の強打をフライングレシーブで次々拾いまくり、自らも長大な滞空時間を生かした強烈なスパイクで攻撃しまくった。群を抜く活躍に加え、透明感あふれる独特の存在感、端正な顔立ちが人気に拍車をかけた。現在はJTマーヴェラスに所属。練習に励む菅山かおるさんを訪ねた。
(取材・文/井上理江 写真/宮田昌彦)
――今年、JTマーヴェラスは調子よかったですね
はい。年始めから練習をしていましたが、Vリーグ優勝に向かってチームが一体となっている実感がありました。選手みんな仲がいいし、雰囲気もいいので、今年こそ優勝のチャンスと思って頑張ってきました。おかげで4月15日の決勝に進出。惜しくも優勝は逃しましたが、いい試合ができたと思います。
――練習はどの程度しているのですか?
リーグ中の場合は、午前中は自主練習で、午後2時から5時までが全体練習。その後、みんなで足りないところを強化する練習を行います。ただ、リーグ中は練習であまり体力を消耗すると本番まで持たなくなってしまうので、体の様子を見ながらしています。
練習を始めると夢中になる
――練習は楽しいですか
楽しいし、好きですね。全体練習でできなかったことが、自主練習を繰り返すうちにできたりすると、もっともっと頑張ろうという気持ちがフツフツとわき上がってくる。そういうのが励みになっています。もちろん、練習が嫌なときもあるのですが。
――それはどんなとき?
練習とはいえみんな本気なので、ガンガンにやられたりすることも。そんなときに「もう、勘弁してよ」と(笑い)。後は、朝起きて「今日はしんどいなあ」「行きたくないなあ」と思うこともあります。でも、いざ練習を始めると、いつものバレーボールが好きな自分に戻っていて、夢中になっている。自分でも不思議ですね。
――バレーの選手になると決めたのは小学校へ上がる前だったとか
興味を持ったのは幼稚園のとき。母親のママさんバレーの練習について行ったのがきっかけです。パスをすると「上手だね」って、みんなが褒めてくれて。とにかく楽しくてしかたなかった。バレーの選手になりたいというより、とにかくバレーボールをやりたいと自然に思うようになっていました。
――では、本気でVリーガーになりたいと思ったのは?
バレーボールの名門、古川商業高校(現・古川学園高校)へ入ってからです。全国大会出場など、具体的な目標に向かってみんなで練習を積み重ねる。そして実際に試合や大会に出場して頑張って勝つ。そういう経験の中で、目標を達成する喜びを知ったというのが大きい。それと、高校時代に実業団の合宿に参加したことも引き金になったような気がします。
――というと?
高校だと監督に厳しく言われ、怒られながら「練習をやらされている」という感覚が強かったのですが、実業団の選手たちは決して「やらされているバレー」ではなかった。競争の中で自分が頑張らないと生き残っていけない。そういう厳しさにあえて身を置いて、何ていうか「自分が積極的に向かってやるバレー」「求めていくバレー」だった。そこに魅力を感じて、私もこういう環境の中で頑張ってみたいな、と。
――高校卒業後に入社した小田急ジュノーが2年で廃部となり、JTマーヴェラスへ移籍。その後、全日本女子バレーの代表に選ばれるまで6年かかりました
全日本は私の大きな目標であり夢でした。全日本に選抜されるためにずっと頑張ってきたといってもいいくらい。だから、決まったときは素直にうれしかった。でも、決して遅いという感覚はなかった。選ばれないのは、まだまだ自分の実力が足らないからだ、もっと頑張らないとなって。それだけでしたね。
五輪よりも目の前の試合
――05年、ワールドグランプリから「カオル姫」と呼ばれ、注目され始めましたね
そう呼ばれるのは恥ずかしかったのですが、多くの人が自分の名前を覚えてくれるのはうれしかった。励まされました。
――ワールドグランプリの次の目標は、08年の北京オリンピックですか?
いいえ、いつも、目の前の試合が一番の目標です。それ以外のことは考えていません。Vリーグの時は、JTが優勝するため自分がどんなプレーで貢献できるのか、そのことだけに気持ちを集中させていましたし。一つの目標が終わってからでないと次のことは考えられない性格なんです。二つも三つも目標を作りたくないし。とくに今年は守備専門のリベロという重要なポジション。自分が崩れるとチーム全体がガタガタになってしまうので、そこを常に意識して試合に臨んでいます。
――そこまで菅山さんがバレーボールに夢中になれるのは?
単純にバレーボールが好きだから。その一言に尽きます。大した理由なんてありません。練習をどんなにシンドイと思っても、試合で勝った瞬間にそのつらさを忘れてまた頑張ろうと思う。それと、私がダメでもチームのみんなが助けてくれる。そういうチームみんなの一体感みたいなものも好きなんでしょうね、きっと。
――辞めたいと思ったことは?
しょっちゅうです。小さな波はいつでも押し寄せる。普通の生活もしてみたい。でも、反対に考えたら、バレーを辞めた生活はいつか必ず実現できることでもある。だから今はもう、今しかできない大好きなバレーボールに集中したい。それが自分の幸せだと思うので続けているだけです。
試合のビデオは見ない
――アスリートの多くは試合前にゲンを担いだり、ジンクスを持っていたりしますが
試合のときには必ず左の靴から、という選手もいますが、私はジンクスや縁起担ぎに一切興味がない。試合はあくまで練習の結果。負けたとき確かに落ち込んだり、クヨクヨすることもあります。でも、私は引きずらない。終わったことだからしょうがない。もっと練習して実力をつけて次を頑張るしかない。そういうスタンスです。
――常にバレーボールのことが頭から離れないわけですね
いやそういうわけでもないんです。今住んでいる家には試合のビデオやトレーニンググッズなどの、バレーボールに関するものは一切置いていません。家にいるときはゆっくりお風呂に入って、テレビを見てのんびりしています。
――そのメリハリが、バレーボールでの集中力につながっているんですね。テレビは何を見るんですか?
サスペンスドラマが好きなんです。実家へ帰ると両親が試合のビデオを一緒に見ようというのですが、それも嫌いで見ませんね。かといって、今はバレーボール以外のことに興味もない。だからシーズン中は毎日、バレーをしているか、ご飯を食べてるか、寝てるか。そんな感じですよ、本当に。
質問1
これまでの人生で最大の買い物(投資)は何ですか?
自分用に買ったものとして一番高かったのはパソコンです。でも、買った直後にジュースをこぼしてしまって、すぐに買い換えることに。意外におっちょこちょいなんです。
質問2
こだわりがある、という生き方をしていると思う人を挙げてください
プロ野球の清原和博選手。お会いしたことはないので実際にどんな方なのかは知らないのですが、男らしくて、人の意見に左右されない印象があり、そこがステキですね。自分の好きなことに集中して取り組んでいる人、目標に向かって突き進んでいる人はみんなすごいなと思う。尊敬します。
質問3
人生に影響を与えた本は?
人から勧められたり、面白いと言われないと本は読まない。したがって、人生に影響を与えた本というのはないですね。最近、読んだ本で面白かったのは「佐賀のがばいばあちゃん」(島田洋七著)。全日本のとき、後輩の高橋翠に勧められて読みました。
佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)島田 洋七徳間書店このアイテムの詳細を見る |
1978年12月26日生まれ。宮城県岩沼市出身。96年、古川商業高校(現・古川学園高校)のエースとして、春の高校バレー優勝に貢献。小田急ジュノーを経てJTマーヴェラスへ。ポジションはリベロ/ウイングスパイカー。2005年のワールドグランプリで全日本デビュー。このころから「カオル姫」の愛称で呼ばれるようになる。身長169cm 、体重56kg。
いつも応援ありがとうございます
菅山かおるさんの所属するJTマーヴェラスは、2006/07V・プリミアリーグを、準優勝という好成績で終えました。「これもファンの皆様の熱い応援のお蔭です。これからも皆様に最高の輝きと感動をお届けできるように頑張りますので応援よろしくお願いいたします」(菅山さん)。
(朝日新聞紙面より引用)
「カオル姫」は何でバレーボールを止めるのだろう。多治見麻子選手も36歳で頑張っているのに・・・淋しい。