
日光線に投入された新型車両(E131系)は、日光らしいレトロ調を継承しつつ、宇都宮で復元された
火焔太鼓の山車をイメージした黄色と茶色のラインを纏って、賑やかで高級感のあるデザインだ。

わたらせ渓谷鐵道を呑み潰した呑み人は、終点の間藤から日足連絡バスに乗って日光へやってきた。
日光を訪ねるとどうしても東照宮に足が向くのだが、今回は徳川三代将軍 家光公の廟所 大猷院を訪ねる。
仁王門を潜って次は、左に持国天を右に増長天が安置しているから「二天門」、扁額は後水尾上皇の筆だ。
巨大な門は陽明門を凌いで日光二社一寺では最大、「東照宮を凌いではならない」という遺言に違えている。

さらに屈曲した階段を上ると、廟所を守護する四夜叉を安置した「夜叉門」を見上げる。奥に唐門がのぞく。
夜叉門の金色と燻んだ朱色には、新型車両の配色が親和しているのではないだろうか。

長いバス待ちの列を横目に、JR日光駅までの道のりはぶらぶらと歩くことにする。
大谷川に架かるのは二荒山(男体山)をご神体としてまつる二荒山神社の「神橋」ここから先は神々の領域だ。
神聖な橋はもっぱら神事・将軍社参・勅使などの参向に使用され、庶民は下流の仮橋を渡ったと云う。

かつて神橋の傍を電車(日光軌道線)が走っていた。日光駅前から神橋、西参道、清滝を経て、終点の馬返しで
華厳滝や中禅寺湖への観光客をケーブルカー(当時)に繋いだ。東武日光駅に当時の100型電車が展示されている。

東武日光駅を横目に坂を下ると、淡いピンク色を配したルネサンス様式のJR日光駅が見えてきた。
重厚なエントランスを潜ると落ち着いた白と茶の世界、大正ロマンに溢れた白亜の洋館から日光線は出発する。

日光街道の杉並木に並行して、25‰の急勾配をE131系が駆け上ってきた。
県都宇都宮と鹿沼・今市・日光を結ぶ路線は、観光客の動線を東武日光線に譲っている。どちらかというと
通勤通学を含む生活路線のイメージ。勿論オールロングシートでそれなりに混んでいるから缶ビールはNGだ。

そうそう、大猷院から日光駅に向かう途中で田母沢御用邸正門通りの「日光珈琲」に甘ぁい寄り道をした。
太い梁が通った商家造りの店で、日光天然氷の “かき氷(とちおとめ)” を味わう。呑み人らしくないだろうか?
絹のように薄く削った氷が、イチゴの果肉と一緒にすぅっと優しく溶けてなかなかの美味なのだ。

19:02、864Mは勾配を駆け降りて宇都宮駅に終着する。直ぐ様家路を急ぐ乗客が雪崩れ込みそこに旅情はない。
駅前広場からバスに乗って、馬場通り・本町方面に向かう。今宵の酒場を探しに行くのだ。
宇都宮には3年半住んだけど、若い管理職として過ごした日々は仕事に明け暮れたので、この街の楽しいところ
美味しいところはまるで知らない。時あたかもビジネスマンに24時間闘うことを求めていた時代だからね。

中心街のオリオン通りではアーケードに飲食店がテーブルを出して、まるで屋台のように賑わっている。
もちろんご同輩が目につくけど若者も多いなぁ。案外女の子のグループもグラスを傾けていて頼もしい。
ほんとは違う店に当たりを付けていたけれど、この「魚田酒場」の活気に誘われ、カウンターに席を求める。

生ビールをゴクリっとやってから気が付いた。黒板に書かれた刺身類には軒並み「売り切れ」の抹線、残念。
アテは “たぬき奴”、たっぷりの天かすをのせてポン酢の汁に浸かった冷奴がワサビを溶いて美味しい。

“四季桜” はご当地の酒、県産米とちぎの星を醸した純米酒はやや辛で濃醇、料理を選ばないタイプかな。
やっと見つけた刺身系は “太刀魚炙り” を択ぶ。塩を塗してよし、わさび醤油でよし、日本酒に合うなぁ。

“惣誉” は鬼怒川を挟んで市貝町の酒、辛口特釀酒は地元オヤジ晩酌の定番酒なれど山田錦を使っている。
きりっと冷やしても、燗をしてもいけそうだ。ボクは迷わず冷えたのを。これもどんな料理にも合いそうだ。
天汁におろしで “小柱と大葉のかき揚げ” をいただく、まったりした旨さを辛口でスッと流す。美味いね。
この時期は青春18きっぷの旅だから、1時間半かけて東京へと戻る。日光線の旅には延長戦が残っていた。
ボックスシートにほろ酔いの身体を収めて、宇都宮もまだまだ掘り起こしたい街だと思うのだ。
日光線 日光〜宇都宮 40.5km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
OK!マリアンヌ / ビートたけし 1982